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Episode 428 痛みを模倣するのです。

先日、私が Twitter で呟いた言葉に、衝撃的な引用RTが付きまして…。

ヒトを好きになることがコワイASDの人には、あなたの痛みを必死で分かろうとする中で、ワタシの痛みの一番強かった思い出を自分のココロに満たしてしまう人が、一定数いるように思います。
本当は、焼かれるような痛みを共有してまで、あなたのことが好きなんだと思います。

これ、今までずっと書き続けてきた「カオナシ」ではないのです。

「カオナシ」という現象は、私がずっと言い続けてきた「自他境界線の緩さ」が、思考のベースになります。
つまりね、あなたのことを思い続けて、私の脳が「あなたに成りすまそうとする」ことがカオナシという現象であって、思考のイメージは「私→あなた」の一方通行。
これに対して「そうではない」という否定が「あなた→私」に発生するということです。
「千と千尋の神隠し」でのストーリー展開は「まさにこの通り」で、千が欲しいと思っている「だろう」金や札をカオナシが捻りだすことに対して、千が「違う」と否定するワケです。

では、このツイートは「カオナシ」という現象と何が違うのか…と問えば、思考のイメージは「私→あなた」の一方通行なのではなくて、「あなた→私」の一方通行だという点だと思うのです。

何であなたの悲しみや怒りを拾うと増幅してしまうのか?
それは、きっとあなたの悲しみや怒りを、私が経験し得る「同種の何か」に置き換えることで、あなたの悲しみや怒りを共有しようとしてしまうから。

本当は楽しさや喜びも同じように置き換えてるのだろうと思います。
ただ…それは増幅されてもあなたと私を笑顔にするだけで、沈み込むことはないのです。
一緒に笑っていることに対して、あなたが私に文句を言う…ワケはないですよね。

あなたから受け取った「喜怒哀楽の情報」は、認知特性のフィルタを経て私に届くのでしょう。
私の場合は視覚優位の認知特性ですから、あなたの顔つきや顔色から敏感にあなたの「機嫌」を察知します。
認知特性の歪みが少ない定型タイプの人ならば、視覚以外の言語情報などから「どんな」という部分を上手くミックスして話を聞いて、自然に「そうだね…」って言ってあげられるのでしょうね。
でも私はその言語情報を上手くあなたの「顔つき」に on させることが出来ないのだと思います。
あなたの言葉が私の脳に届く過程で「白素材の映像」になるという、以前お話ししたことが間違いないのなら、私が理解できる「あなたの言葉を映像化したもの」と「あなたの顔つき」がリンクすることはありません。

そうすると…「あなたの顔つき」と「それに見合う苦しさ」を、私が持ち得る「白素材の映像情報」の中から検索してロードすることになる…。

以前に私は、読書好きな姉の真似をして「本を読む」ことに挑戦するというお話をしました
本当はディスレクシアの傾向があって、読むという作業が極端に苦手だったハズの私は、それでも必死で「姉の楽しい」を模倣しようとした…とお話ししました。

これの裏には「言葉=指示」という重要なポイントが隠されていて、指示された内容に沿うことを命令されているワケです。
つまりですよ…「あなたの言葉から、あなたの顔つきに見合う気持ちを理解しなさい」が、私に対しての具体的な命令です。

言葉を介して理解することが苦しい視覚優位の私は、その痛みを言葉以外で理解しようとするワケです。

これは Twitter のリプライを基にした、私の経験に照し合わせた仮説です。

恐らく…「私→あなた」の思考混同は「カオナシ」という怪物になり、「あなた→私」の思考混同は「私の中での思考混同」で、あなたの言葉はそれを引き起こすトリガーだということ。

思考のベクトルが変わると違う回路が動く。
双方向的なコミュニケーションが難しいことで発生する「珍事」が、私の頭の中で起こっているのだと思うのです。

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