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Episode 426 スキが一番ヤッカイです。

以前にASDの私とあなたとの距離感について、川幅を例えにお話ししたことがあります

あなたと私を分かつ川は、どんなに身近な関係の人であっても必ず流れていて、それは両側で手を繋いで歩けるくらいの小川なのです…きっと。
縁の薄い人は、幅広くゆったりと流れる大河の河口付近のように声も届かないような存在だろうし、仲の良くない人は急流の対岸のような存在なのかもしれません。

…ってね。

先日このことを思い出して気が付いたのですが、私は私以外の人を「すごくシンプルに」区分けしているようです…それは、

というもの。

なんでこんなことになるのかと言うとですね、単純に
①キライな人は挨拶程度しかしない
②どうでもいい人は外モードで対応すればいい
③でもスキな人には自分の思いが伝えたい
という区分なんでしょうね。

そもそも私の認知特性は白素材の映像なので、感情を言葉に乗せてあなたに伝えるには、脳内イメージを言葉に変換しなければならないワケで、相当のエネルギーを必要とするのです。
それ故に消耗しない表面的な「再生(=外モード)」でこと足りるのであれば、そっちの方がラク
この枠から外れる人がスキな人…ってことです。

ASDの私が社会で何とかなっているのは、深入りしない外モードで回しているからです。
当然、これは私の意志なんて殆ど入っていません、伝える必要もないということです。
ここをキッチリ線引きできないと、消耗するのは私自身ですからね。
言い方は悪いですが、どうでもいい人から外側は「切り捨てている」のです。
これを外側の人から見れば、全体の外枠ギリギリでひっそりと佇み、和を乱さない…ちょっと変わっているけど穏やかな人…に見えるのでしょうね。

逆に、難しいのはスキな人ですよ…。
川を飛び越えて対岸にジャンプしてしまう自他境界線の緩さ…という話は、いきなり自分の領域に入り込まれたあなたを戸惑わせることになります。
これが俗にいう「内モード」ってヤツです。
その思考の根の部分には、あなたを懸命に思う過程で、あなたの思考領域を私が乗っ取ってしまう現象があるワケです。
「あなたが欲しいものはきっとこれだろう」と思う、カオナシの話です。

物語の中でカオナシは千を思うが故に「札」や「金」を出し、千に「違う」と言われて逆上します。
これがモラハラやDVに走る部分…と思っていただけば分かりやすいのだと思います。
ただ、ASDの内モードが必ずしもモラハラ・DVの方向に現れるわけではなく、全く逆に「違うのか…」という極端な落胆に向かうこともあるのです。
それがどちら側に向かうのか…ということについては 、その当事者の性格や状況、体調・体力によって大きく変わるのだろうと思います。

物語の中で、カオナシが考えた「千の欲しいもの」は、全くの的外れでした。
この時点でカオナシは「千が悲しんで(怒って)いる理由」を見失います。
でも…「千が悲しんで(怒って)いること」は、カオナシにとっても不本意なのです。
だから、カオナシは悲しい…その理由は分からない。

ムズカシイですね…スキな人。
「外では良い人なんだけどね…」の中身って、こんな感じなのかな…と、私の今までの経験からそう思ってしまうのです。

旧ブログ アーカイブ 2020/4/22

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