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Episode 326 間に小川が必要です。

「仲良くなると、いきなり距離感が近くなるよね。」
だいぶ昔にパートナーから言われた一言を思い出しました。
ずっと言っている意味が分からなかったのです。
これはどういう意味だろう?

耳に引っ掛かった小骨のように刺さって抜けなかった言葉が、最近書いているブログ記事で整理されて、意味を伴って心に落ちたようです。

それはつまり私が、「あなたが私を全て受け入れてくれた」と解釈してしまうからなのだと思います。

人とのコミュニケーションが苦手な私は、人と話をするときも話すタイミングが掴めなくて、聞く方も言葉の意味を理解しきれなくて、どうしても黙りがちになってしまいます。
谷川の両側に私とあなたがいて、深い渓谷を挟んで会話しているみたいな話です。
せめて小川を挟んで握手ができる距離にあなたがいれば良いのですが、轟音を響かせて流れる深い谷川を挟んでいたら、手なんか届きません。
「おーい!聞こえるかー?」って大声で叫ぶようなコミュニケーションは、ハッキリ言って距離が遠いのです。

そんなある日、パートナーが「こっちにおいでよ!」って、私を誘ってくれるのです
嬉しいですよね、だって大好きな人が「傍に来て」って言ってくれるのですから。
私は一大決心をして、その谷川の渓谷を飛び越えるワケですよ。
晴れて川の対岸ではないふたり…うん、ラブラブです。

多分ね、人間…少なくても自他の境界線が正常に機能している人というのは、どんなに仲良くて近い間柄の人であっても、川を超えて対岸に飛び移ることはないのです。
あなたと私を分かつ川は、どんなに身近な関係の人であっても必ず流れていて、それは両側で手を繋いで歩けるくらいの小川なのです…きっと。
縁の薄い人は、幅広くゆったりと流れる大河の河口付近のように声も届かないような存在だろうし、仲の良くない人は急流の対岸のような存在なのかもしれません。

パートナーから見た私との間に流れる川は、私が感じていたような谷川の急流ではなくて、小川のせせらぎに見えていたのかもしれません。
対岸の遠いところでモジモジしている私に「こっちにおいでよ!」って、「手を繋ぐところまでおいでよ」って意味だったのでしょう…多分。

それがですよ、その境界の川を越えて私があなたの領域に飛び移るのです
私は境界線の意識が弱いので何とも思わないのですが、あなたからすれば自分の領域に突然入り込む私に戸惑うことになるワケです。
対岸に飛び移った私の境界線の意識は弱いので、あなたの一人称と私の一人称の境目を見失います。
あなたの意見と私の意見は同一…と勘違いする。
あなたが「違う」という意味が分からない。
ASD者の「内モード・外モード」の話って、つまりこう言うことではないのか?
私とあなたとの間を分かつ小川を越えて一人称を混同するのが内モード…ならば、話しの辻褄が合う。

問題は…あなたと私では、ふたりの間に流れる川の見え方が違うのだろうと言うこと。
私の周りを囲む川はどれも谷底の急流で、手を取って歩けるような位置に人はいないように感じます。
急流で水音もうるさいから、会話も途切れがちで続かない…そう考えれば、外モードがよそよそしく他人行儀で、コミュニケーションに労力を必要とするのも納得です。

きっとASDと定型者の関係は、この「内モード・外モード」のギャップから問題が見えてくるのだと思います。
それはつまり、ASD者である私の自他の境界線が緩くて、あなたの一人称が私の一人称と違うということが理解できていないから…なのでしょう。

「仲良くなると、いきなり距離感が近くなるよね。」という言葉が、胸に落ちて水紋が広がります。
私が意識するべきなのは、距離感。
パートナーと手を繋いで歩ける程度の小川があるという、程よい距離感を意識することなのでしょう。

旧ブログ アーカイブ 2019/8/6

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