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Episode 420 感情が消去されるのです。

何度もお話ししている様に、この話は私の個人的な感覚の話で、一般論ではありません。
特に今日の話は「一般論ではない!」と、クギを刺しておきます。

さて…前回のブログ記事で、一年前に行った信州・渋温泉への旅行のことを話題にしました
当然のことながら、温泉に浸かってのんびりゆっくり…の他に、近隣の観光名所にも足を運ぶわけです。
隣の県とは言え、クルマで数時間はかかる場所ですからね。
何しろ、私が住んでいる本州・日本海側の政令指定都市から隣接する5県まで、何処に向かっても1時間以内に県境を越えられる陸路は存在ていなくてですね、住んでいる県が意外と広いと思い知るワケです。
折角、遠路はるばる遊びに行ったのですから、見られる場所は巡ってやろう…なんて貧乏クサイ小市民根性が顔を出すのです。
折角、国の登録有形文化財の建物に泊まったって言うのに…優雅さが足りないのは、もう諦めてますけどね。

地獄谷温泉で二ホンザルが温泉に浸かるところを見て、善光寺に寄って表参道で有名な七味唐辛子を買ってですね…。
楽しかった一年前の旅行を思い出してみて、ふと「あること」に気が付いたのです。
それは、指示としての言葉は覚えているけど、感情としての言葉を覚えていない…ということ。

私の感覚は圧倒的に「見たものが優先」の世界でなのです。
それは前回のブログ記事でも書きましたし、何度なくお話ししてきた通りなのです。
目から入った文字情報は「記号」だし、耳からの情報も聞く気にならないとスイッチすら入らないワケです。
そんな私の脳に、あなたの感情を含む「感覚的」な言葉が耳からの言語情報として飛び込んでくる…ということです。
私は必死にあなたの言葉を拾い上げて、私が理解できる映像の世界に落とし込もうと努力するのです。

今までずっと、言葉に弱い私は、その言葉を取りこぼすからあなたの感情を受け止められないのだ…と思っていた節があります。
果たして本当にそれだけなのか?

もちろん、一般の会話のスピードについて行けなくて会話に入っていけないということはあり得るのです。
でも、20年以上連れ添ったパートナーが、私の「会話が理解できる速度」を無視して自分の感情にまつわる話を一方的にするのか…と問えば、恐らく No でしょうね。
だって、旅行の楽しみを共有したいのでしょう?

では一体、何でパートナーの感情を飲み込んでしまうのか…という点についてあれこれ考えて、私のニュートラルの感覚は「白素材の映像」だからではないかという思いが浮かんできたのです。
つまりね、あなたの感情を含んだ言葉を、私は一生懸命に自分が一番理解できる映像データに変換するのです。
そして、その映像データは感情を含まない白素材である…。

もしかしたら…ですよ。
あなたの言葉を理解しようとする過程で、あなたの感情を消去する工程が用意されているとすれば、言葉に感情を伴わないASDの言語の本質は、そこにあるのではないか?

五感を混ぜあわせて、いくつもの認知特性を合せることによって多角的な感情イメージを用意できるのが定型の感情パタンなら、ある特定の認知パタンに絞り込むことで理解を深めるのがASD的だということでしょうか。
つまり、折角「3Dの感情を含めた言葉」を渡してくれたのに、理解する過程で「感情を抜いて2D化」してしまうのがASDの認知特性…ということになるワケです。

感情と言葉が別盛のASD…その尻尾がここから掴めそうな気がするのです。

旧ブログ アーカイブ 2020/4/1

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