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Episode 387 意識しないと聞こえません。

何度も言っているのですが、このブログに書かれていることは私が体験を通して理解している感覚や考え方の話であって、つまり…ASDという発達障害を抱える人の中にはこんな考え方をする人がいるのだ…という程度の話で、科学・医学的な根拠は一切ありません。

さて…前回のブログ記事で引用させていただいたツイートのツリーには、

というリプのやり取りがありまして、私は改めてASDの「過敏/鈍麻」の存在を意識したのです、というのも…。

以前、このブログの中で「大音量でドラマを見ながら料理をする」という話をしました。
それを私は「私の耳にはスイッチがある」という話で説明しました。

特定の「何か」に引っ掛かるということを説明するには、過敏と鈍麻の存在をもう一度確認する必要があるのだと思います。
このツイートに登場する当事者のお二方には「聴覚記憶が弱い」という共通項が示されている点…それは多分、私も同じくなのです。
耳からの情報は聞こえているのです…だから聴覚検査では引っ掛かりません。
それが意味を成す言葉として認識されるのか…ということ。

別のツイートをもうひとつ…。

ここに登場する私を含めた当事者3人は、恐らく耳から入る言葉を言語として認識するのに相当のパワーを必要としているのだろうと思います。
それを私は以前に「道路工事の片側交互通行」と「ヤジロベー」の話で説明しました。

パソコンがバックグラウンドで何かの処理をしていて重い…。
つまりそれは、他の場所にメモリとCPUの処理を取られていて、目の前の作業に使える処理の「余裕」が少ないワケです。
恐らくTwitterでのツイートにある「会話として聞こえている部分」のベースには、ASD者の多くが抱える「過敏/鈍麻」があるのではないか?
私はこの話から、そんなことを思うのです。

旧ブログ アーカイブ 2019/12/20

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