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Episode 386 引っ掛ってしまうのです。

Twitterをしていると、イロイロな人の言葉がタイムライン上に現れてきて面白いと感じます。
その中で、目に付く言葉が見つかるとグッとその言葉の世界に引き込まれるような気がするのです。

当事者であるということもあり、私のタイムラインには…やはりASDに関するツイートが上がることが多いのですが、最近見かけたこの記事…。

ここから繋がるツリーが興味深くてね。

私を含めて3人の返答があって、それぞれがそれぞれに回答をしているように見えて…結局のところ同じことを言っているような気がしてきたのです。
このことの核心部分にあるのは、ものごとの流れの中から特定の「何か」を切り取ってしまうことによって起こる「ズレ」である…と。

ツイートでの話題は「言葉」。
会話の全体像を把握するからこそ繋がりのある言葉のやり取りができるハズなのに、会話中の特定の言葉にフォーカスされてしまうと会話全体で意味がボヤけてしまい、会話の歯車が狂ってズレてしまう、と…私がボンヤリとしか説明できなかたリプした内容を、お二方が上手く解説されていて感心したのです。

私の仕事が繁忙期でなかなか家事に手が回らない師走のこの時期、いつもなら半々程度に出来るハズの夕食の準備とかは100%パートナーの仕事になってしまい申し訳なく思うのです。
パートナーにも正社員でフルタイムの仕事があって、その上での家事…という話です。
私も仕事や家事で手を抜いているワケではありませんから、お互いの立場で "50:50" であるということに変化はありません。
出来ることをできる方がする、そこにブレはないのです…でも、やはりやっていただいていることに関しては感謝以外はありません。
その感謝の言葉でパートナーの気持ちを「逆なで」するようなことがあったら…ねぇ。

休日出勤が続いて休みが取れない私…仕方がないのです、この師走の1ヵ月で1年間の半分近くの売上を叩き出す会社です。
この「勝負のひと月」がなければ、安定した会社経営が成り立たないのです。
私を含めた全社員が知っていること…そして、その家族もね。

パートナーは分かっているからこそ、私に「家事が疎かだ」とか言うことはありません。
カレンダーを見て夕食の献立を考える…休みの日に「明日は肉じゃがで明後日はカレー…なら今日のウチに作って置けるし、明明後日は手っ取り早くできる鍋にしよう…」とかね。
そんな努力があって、帰ってくれば温かい手作りの夕食が食べられる…ありがたい話です。
分かっているのです、そんなこと。

アンデルセンの童話絵本の挿絵みたいな話です。
オオカミが腹いっぱいにご馳走を食べ、それでもグラスを片手に食べ物を探すみたいなエゲツナイやつ。
「もうひと口、何かないかなぁ」
腹ぺこオオカミな私は、美味しく料理を食べつくして…そんな一言を発してしまったりするのです。
いや、ペロッと食べるくらい美味しかった…という気持ちなのですよ、でも。

何かね…言葉とか会話とかとは「別のところ」で違う回路が繋がって、感謝の気持ちを思いながら変なことを口走るみたいな感じ。
「ごちそうさまでした、全て平らげました美味しかったです!」の先に繋げる言葉のチョイスは、私の満腹感の話ではないでしょう?
先を見越して数日分の食事の段取りもしてくれているのに…ねぇ。

何かね、Twitterのこの話は「言語」だけでは片付かない気がしてきたのです。
もしかしたら、フォーカスする場所は会話中の特定の言語だけではなくて、目に映るモノだったり、私の気持ちだったりする?

これって「ASD的なズーム感の話」なのではないか…と思います。
それをちょっと整理してみたい。
これから数回で、そんな話をしてみたいと思うのです。

旧ブログ アーカイブ 2019/12/17

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