見出し画像

Episode 335 異性が好きなのは偶然です。

これは私の感覚の問題で、実際の統計や発達障害の一般論ではありません…と改めて予めおことわりしておきます。

私は自分自身の恋愛の対象が女性になったことが、偶然だったとしか思えないのです。
男性である私が女性を好きになる…社会一般で言うところの「普通の感覚」です。
人間の三大欲求である、子孫を残すという「性欲」が正常に機能しているということです。
その普通の感覚を獲得できたのが、偶然だったとしか思えない…と感じることがあるのです。

私が性的興味を最初に感じたのは、小学校1年生のころに意図せず見てしまった週刊誌のグラビアだったと以前にお話ししました
服を着て隠さなければいけないとされる「女性の胸」を堂々と見せつけて微笑む金髪美女の姿に美しさを感じたのだと、そしてそれが私のエロスの原点になったのだと今でも思います。
もし…これが女性の曲線美ではなく、男性の筋肉美だったらどうだったのか?

家にあった25冊組の百科事典を隈なく捲って、女性のカラダに芸術的な美しさとエロスを求めた私が、同じ百科辞典の中に芸術作品としての男性の肉体美を扱う記事を見つけるのは容易かったでしょう。
カッコいい男性が自慢のカラダで自信満々の視線でポーズを決める…そこにクラクラするカッコよさを感じない自信がありません。

小さな子が幼なじみの異性と仲良く遊んでいて、「大きくなったら結婚する!」ってのは良く聞く微笑ましい話でして、幼児の時期にはすでに男女関係の社会性が作られようとしているように私は思います。
当然、幼児が自発的に男女関係を形成するワケもなく、幼児なりのコミュニティの中で見て聞いて学習していくワケです。
さて…聞くことに過敏という問題があり、人に触られることを嫌った私の幼児時代に「◯◯ちゃんがボクのお嫁さんになるの!」みたいな発言をした記憶も、そんなこと言ったという恥ずかしい昔話を聞いたことがありませんが…。

前からお話ししているように、感覚過敏/鈍麻は自分のニガテを遠ざけて通るコミュニケーションの欠落と独自の思考パタンを作り出す原因のひとつになると私は考えています。
裏を返せば、自分の美的感覚にはどこまでも忠実で、そこに社会的な通念に基づく構造的な美意識や常識は存在しないのです。

ASDという発達障害を抱える人には「同性愛」という性的少数、もう一つのマイノリティを抱える「ダブル・マイノリティ」の人が少なからずいます。
ASDの人は定型者よりも圧倒的に少数、その中のダブル・マイノリティですから人数的には多くはないでしょう。
でも…多分、割合としては定型者よりも多いのだろうと思います。
さらに性的な興味がない(または限定的な)アセクシャルも、そうなってしまう要因がASD者には揃っている気がしてなりません。

こっそり借りた姉のマンガが「BL」だったら、恋愛の対象が男性だったのではないか…?
それは「もしも」の話なのですが、その「もしも」がないと言い切る自信が…私にはないのです。

旧ブログ アーカイブ 2019/8/15

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?