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Episode 334 社会性に欠けるのです。

ほとんどの有性生殖動物には「発情期」という時期があって、メスの排卵があって妊娠可能な時期に「シルシ」が現れるのだそうです。
有名なところでは鳴き声のやかましいネコのそれとか、お尻が赤くなるサルのそれとかね。

ところが人間には目に見える具体的な「シルシ」が女性に発生しないのです。
有性生殖動物で性交渉に興味がなくなることは、種の保存という観点から考えると非常に危険なワケですよ。
だから、年に数回の発情期ではなくて年間を通じて性交渉に興味が湧くように、SEXで快楽が得れるように進化したらしいのです…というところまではNHKスペシャルの受け売り。

これは恐らく、安心してSEXに集中出来るほどに文明が発達した…という裏があるのだろうと思います。
いつ天敵に襲われるかもしれない環境の中では、何十分もかけて情事を楽しむ余裕なんてあるワケもなく、それ故にメスの「シルシ」目掛けて一気に仕掛けて終わらせることが、子孫を残し命を繋ぐために必要なことだったのだろうと私は思うのです。

人間が服を着ることは体温の維持だとか、怪我の予防だとか…イロイロな理由があったのでしょうが、服をきることで体を隠し、隠れることで周囲の危険を気にせずにSEXという快楽に集中できるとすれば、種の保存としての性交渉に行きつくまでに、性衝動が快楽をもたらすと知らなければならないと私は思います。

人間の性衝動が動物のそれと決定的に違うのは、性的な絶頂を自分ひとりだけで獲得できるか…という点だと思います。
いわゆる自慰行為なのですが、自分の体の性感帯を自ら刺激して快楽を得るということは、掌で体の殆どの部分を触れることができる人間が、生活の中で意図せず発見してしまうことなのだと私は思います。
そしてその性的興奮を抑えつけることが出来るのが人間の理性であって、成長の過程で獲得する倫理的な社会性なのだと思うのです。

ASDの私が自分自身の成長を振り返った時に、生殖能力を備えた「男」に生育し、その性的絶頂を覚えることを含めて性交渉に興味を持つ…という人間という動物としての成熟は年相応に順調に進んだワケです。
その一方で、隠蔽されたエロスと表に出る愛を繋ぐ倫理的な社会性を、コミュニケーションの中で獲得できたのか…と問われると、自信がありません

人間の性とは、社会性の塊である。
こんな大きなお題目を掲げなければ抑えられないほどに、私のSEXに対しての衝動は社会性に欠けた動物的な快楽に寄ったものなのだろうと思うことがあるのです。

旧ブログ アーカイブ 2019/8/14

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