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Episode 265 独りで作った世界です。

話は遡って中高生時代です。
私の自己肯定感の基礎になるアイデンティティの核心は、「私はこれで良い」という思いです。
前の話で、学年でも上位の学業成績を残しながら、取りこぼしの多い試験結果でベスト10に入ることはなかったとお話ししました。
もしも、ここで「テッペンを取る!」を目指してドリルワークに精を出していたのなら、それが出来ていたのなら、「No.1」が私のアイデンティティの核になっていたことでしょう。
そして、それが叶わなかった場合、早いタイミングで挫折感を味わっていたに違いないと思うのです。

「私はこれで良い」という思いは、恐らく小学生時代の経験から導き出された私流の選択だったと思います。
当時の子どもたちの間で流行った数ある「遊び」の中で、私はプラモデル作成に集中することを選んだと、以前話題にしました。
その過程の中で、私は「モノの道理」を覚えていったと思っています。
どうやったら上手くいくのかを理解できれば、より上手にプラモデルが作れる…それは決して説明書通りではなかったと分かっていたのです。
重要なのは、答えを導き出す方法であって、答えそのものではない。
だから、解き方が分かっていることが重要であって、計算ミスによる失点は私の自己肯定感を傷付ける話にならない…ということです。

当時、関東南部の海ナシ県に住んでいた私は、県南部の県立進学校に入学します。
ただ、この高校も成績上位に位置しながらも地域No.1ではありませんでした。
そして私はそれで全く問題なかったのです。

小中学校では外的要因のクラス替えが毎年あって、環境がリセットされたこと。
その中で学業成績が常に上位にあることで、学校でも家庭でも否定的な意見が出にくかったこと
高校以上では個人主義が強化され、過干渉なクラスメイトがいなかったこと(…これは進学校あるあるだと思います)。

世の中とのズレやブレは常に感じて、そこを追いつけるテクニックは常に磨いていたと思います。
物語を自分の経験に融合してしまう金魚鉢の話や、第三者の私が世間を闊歩する「再生」の話はその類です。
そして、そのテクニックを使うことで「月の住人」を感じながらも一般社会で浮遊してこられたのです。

そんな風に社会を浮遊しながらも折れずにやって来れたその「核心」は、私のアイデンティティそのものである「私はこれで良い」という思いが無傷のまま思考の土台を作っていたということだったのだろう思います。

私は、カサンドラ症候群を感じてしまったパートナーの裏側にいるASDさんは、恐らく結婚するまでに自分自身を律するアイデンティティを傷付けられる経験を殆どしたことがないのだと思うのです。

残念なのは、そのアイデンティティが社会の中でコミュニティに揉まれて作り上げられたものではなく、ひとりで作り上げた世界観だと言うこと。
自分とは違う価値観の人と、価値観のすり合わせをした経験がないということ。

作り上げた土台を削られるのは苦痛です。
私の経験から自己肯定感は…プラス側と同じ分だけマイナス側への反動を与えると、そんなことを感じるのです。

旧ブログ アーカイブ 2019/6/6

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