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Episode 262 弓矢で狩りをするのです。

私の学業成績は良い方でしたが、決してトップではありませんでした。
頑張って必至に勉強をしていたという記憶もあまりありません。
私は学校の成績とは試験の「テクニック」で取るものと思っていたので、反復トレーニングを重ねて地道に地力をつけるガリ勉タイプではありませんでした。
だって、算数のドリルとか面白くないし飽きるんだもの。
掛け算九九なんて、九九表の半分は覚えなくて良いって気が付いて、だから未だに九の段なんて言えないですよ。

それは何故か、どのように考えるのか
私の思うポイントはそこにあって、それが押さえられていれば良かったのです。
だから、やり方は分かっていても計算で間違えるミスが多くて、取りこぼしの失点は常にあったと思います。
今思えば、この取りこぼしこそが過剰な期待を持たせないカムフラージュになったように感じます。

中学校の成績は常に上位1割程度の位置をキープ。
成績上位であることは間違いなく、でもベスト10に入れるレベルでもない。
その位置であるが故に「勉強しなさい」って尻を叩かれるでも、「頂点を目指せ」って期待されるでもなかった気がします。
これで期待されたり尻を叩かれたりしていれば、「私はこれで良い」っていう自己肯定感は育たなかったのかもしれません。
例えば成績トップを目指す主席級の秀才なら「出来た」という達成感が自己肯定感に繋がるでしょうし、勉強が得意ではないならば、スポーツや容姿など、勉強と違うところに自己肯定感を求めるでしょう。
ADDを公表されているモデル・俳優の栗原類さんや、さかなクン…は、発達障害の正式な公表はされていませんが、いずれにしても一点突破の自己肯定感を私は感じるのです。

どんな形であれ、成長していく過程で突き抜けた自己肯定感を持ち得るかという点で発達障害の自認時期が変化する様に感じるのです。
裏を返せば、どのタイミングで迷うのか…という話です。

それはきっと、弓矢で狩りをするみたいな話だと私は思うのです。
自己肯定感という弓で、どんな矢を使って何を射るのか。
それがそれぞれ違うから、同じ答えにならないのだと、私はそんなことを考えるのです。

旧ブログ アーカイブ 2019/6/3

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