Episode 260 自分で選んで買うのです。
「渋好み」という言葉がありまして、辞書を引くと「衣服や装身具などの、落ち着いた深みのあるものを好むこと。また、その人。」という解説が加えられています。
私は、ずっとこの「渋好み」が私の考え方のベースにあるように感じます。
渋好みとは、言い換えれば時代に左右されないベーシックなものでありながらも、それが古くさくならない感じなのではないかと私は思います。
衣類を例にして考えれば…
以前に私は「どうせ買うなら良いものを長く」という発想でモノを選ぶ都合で、信頼のおける一級品を購入することが多いとお話ししました。
少しばかり高くても、ワンシーズンで使わなくなるようなものは購入しない…長く使うことで結果的に安上がりになるような選び方に拘ってきたように感じます。
それは「私はこれで良い」と納得する動作を繰り返してきたということなのではないか…と、今になって思うのです。
自分が納得できるものを使うということは、恐らく「完璧主義」から導き出される方向性です。
私にとって「考え抜いて選ぶ」ということは「自分自身を納得させる」と言うことだったのだろう…と。
そうやって選ばれた「モノ」は、世で言う一級品であるものが多かったその一方で、流行の最前線に位置するものであるかは考慮の対象外だったワケです。
あるものは最新型だったかもしれません。
またあるものは「いまそれ?」って感じのものだったのかもしれません。
その感覚は、私自身の「どれだけ安定して長く使い続けられるか」という価値観によって生み出されるもので、都合ベーシックなものに落ち着く感じだったのだと思います。
つまり、「派手」は避けられ、落ち着いた色合いと形に落ち着くということです。
…とまぁ、そんな感じでしょうね。
外目から見れば、ただ「地味」に見える私の趣味ですが、何でもいいワケではなかったのだと思います。
そこには完璧主義を起点にするモノ選びの工程があり、納得して購入するという「自己肯定感」があったのだと思うのです。
身の回りのモノの多くは私がモノに拘る性質から集められた品々なワケで、それのひとつひとつが納得して購入した自己肯定感の塊だとすれば、私の自己肯定感はかなり鍛えられていたのではないかと思います。
そういう意味では、こだわりの強い人は「私は私」を強く持てる人…と言えるような気がするのです。
旧ブログ アーカイブ 2019/6/1
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