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Episode 47 モノがあると安心です。

このブログに度々映画の話が出てきますが、もともと映画鑑賞はパートナーの趣味でした。
パートナーと付き合うまでは映画を見に行くという習慣がなくて、パッケージ化された映画ソフトを購入して自宅で見るのが私のスタイルでした。

映画を見るのに1,800円払うのなら、映画ソフトを3,000円で買う方が良いんです。
だって、2回見たら元が取れるじゃないですか。
映画館で映画を見ても、作品を見おわったら、手元に何も残らないじゃないですか。
たった2時間の形にならないものに何で金を払わなければならないのかわかりません。
ソフトを買えば手元に形が残る、何回でも見られるじゃないですか。
2人で見に行くことを考えれば、ソフトを購入した方が断然オトクじゃないですか!

モノに対しての執着は、きっと私自身の完璧主義と関係しています。
聴覚過敏/鈍麻があって会話が苦手で、触られることも苦手人前で左手を隠す意識から個人プレーが多かった私は、ひとりで何かを作っては見せに行くといった行動で社会との接点を on にすることを覚えたのだと思います。
人との会話で感動を共有できない代わりにモノの受け渡しを感動の共有に置き換えたのでしょう。
日本地図パズルを完成させて親に見せに行く…って行動が、まさにこれ。
ひとりで完全に仕上げたモノを媒体にして、「すごいねー!」と言ってもらうことで、私と親で感動を共有するってワケです。

感動を共有するためには、目に見えるモノが必要…。
その裏側に、モノが存在しないと社会と接続できない不安感があるってことです。
だから安心できる物理的に存在するモノが欲しい。
映画館で映画を見て、2時間後に手もとに何も残らない不安感はたまらなく痛い。

結婚して20年以上の月日が過ぎ、パートナーと映画館で何本の映画を見たでしょう…。
最近になって漸く「残らなくても良いんだ、その時間を楽しむことに、映画館で映画を見る意味があるんだ」って分かってきました。
それでも、手元にモノがあることに安心を感じます。

なぜそんなにも形のあるものにこだわるのかと言えば、それは私にとって「形があるものこそが社会の入り口」だからです。
このブログに書いていることも、口頭では伝えられない、文字という形があってこそなのだと思うのです。

旧ブログ アーカイブ 2018/10/31

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