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80歳の乙女にキスされた話

私は介護の仕事をしていたことがある。主に認知症の方が入所している施設で働いていて、個性的な彼らと毎日交流することが楽しみだった。

認知症は怖い病気(私はあまり病気と言いたくないが)だ。程度の差はかなり大きいが、重症な人であれば自分の家族ですら忘れてしまうこともある。しかし、”記憶”という人格を構成する上で大切なものが欠落していたとしても、魅力的な人はたくさんいる。それは当たり前だ。

今日はそんな中でも、一番記憶に残っている女性のことについて話したいと思う。

10月に「桜が見たい」と言うおばあさん

私が入職したときから、そのおばあさんはその施設で暮らしていた。聞けばすでに5年以上そこで過ごしているとのことだった。

その人は絹のようにサラサラとした白髪で、どこか上品さを感じる顔立ちだった。初めて出会った日、おばあさんは他の入所者との輪から一人離れ、窓の外を眺めていた。

何をしているんだろう、と気になって眺めていると、急におばあさんが車椅子から立ち上がった。転倒してはまずいと思った私はすぐに駆け寄り、「どうされましたか?」と声をかけた。

おばあさんは少し驚いたような顔をしたが、少しだけ笑って「今桜が咲いているでしょ? だからちょっと見たくて」と言った。

そのときは10月だったのでもちろん桜は咲いていない。しかし、おばあさんは4月ごろだと思い込んでおり、どうしても桜が見たいのだと言った。

こうした事実と異なる認識は認知症の人にはよくあることだ。私はそれを否定せずに「ここからじゃ見えないですね」と答えた。

誰よりもひょうきんで人を喜ばすことが好きだった

おばあさんはいつも他の入所者と距離をおいて過ごしていた。みんなで集まって歌を歌うレクリエーションの時間にも、おばあさんは一人部屋ですごしていた。

普通であれば拒否があっても一応参加してもらうよう努力するのだか、おばあさんに限ってはいくら不参加でも誰もなにも言わなかった。

先輩にその理由を聞いてみると、以前無理やり参加させたことがあり、その際にほかの入所者と激しい喧嘩になったという。それ以来、積極的には誘われなくなったとのことだった。

その話を聞いたとき、私はとても驚いた。なぜなら、おばあさんは誰よりもひょうきんで人を喜ばすことが好きだったからだ。

たとえばトイレをする際、立ち上がるときにわざと「どっこいしょ」を「どっけいしょ」ということがよくあった。最初はそういう方言なんだと思っていたが、ある日「どっけいしょって言い方は珍しいですね」と言うと、おばあさんは「面白いかなぁと思って言ってるのよ」といたずらっぽく笑った。

そうやって人を笑わせることが大好きな人だった。昔からそうだったのかと聞くと、「若い頃から周りを笑わせるのが得意だったのよ」と嬉しそうに答えた。

私はこのおばあさんのことが大好きになった。

ときおり見せる厳しい一面

そんなひょうきんで可愛らしいおばあさんだが、時には厳しい一面を見せることもあった。

ある職員が急いでおしぼりを配っていたとき、少し離れたところからおばあさんの目の前に投げたことがあった。おばあさんは目の前に投げられたおしぼりを手に取り、床に放り投げた。

職員が「ダメでしょ!そんなことしたら!」と怒ると、おばあさんは静かに「私は乱暴に投げられたおしぼりは使いません」と言い放った。こういう毅然とした態度をとる入所者は職員に嫌われやすい。職員からすれば都合の悪い存在だからだ。

そのため、おばあさんが一人ぼっちで過ごしていても、話しかける職員は少なかった。私はおばあさんのことが好きだったので、いつも暇を見つけては声をかけていた。どんなときでもおばあさんは優しく答えてくれ、いつも私を笑わせようとおちゃらけてくれた。

毎回初対面な私たち

私はどんどんおばあさんのことが好きになっていたが、認知症の影響からおばあさんは私のことを覚えていられなかった。

そのため、毎日毎日私たちは「はじめまして」と挨拶することから始まった。別に「昨日も会いましたよ」と言えばいいのだが、おばあさんは自分が認知症であることを薄々自覚しているらしく、自分が覚えていないことを話されると少し悲しそうな顔をする。

だから、私は毎朝「はじめまして」と声をかけた。本当は自分のことだけでも覚えてくれたらなぁと少しだけ、心がズキズキしたけれど。

おばあさんは朝食が終わると、決まって窓際で立ち上がって外の景色を見ようとしていた。理由はもちろん「桜が見たい」からだ。今が10月であることや、立ち上がっても外に桜は見えないということも全てリセットされるから、毎日同じことを繰り返しているのだ。

ある日、おばあさんに家族のことについて尋ねたことがある。おばあさんには兄弟がおらず、ご両親はすでになくなっている。結婚はしておらず、子供もいないということだ。

結婚の話をするとき、おばあさんはちょっと寂しげな顔で「いいところまでいった人はいたんだけどね」と呟いた。私は溢れ出る好奇心をぐっとおさえ、その後に続いたおばあさんの沈黙の意味について思いを馳せた。

突然キスをされてしまった

ここだけの話、これは絶対によくないのだが、私はお年寄りのほっぺたを触るのが好きだった。もちろん嫌がる人には絶対にしないが、快諾してくれる人には許可をとって触らせてもらうことがあった。

赤ん坊のほっぺたも触ると気持ちいいが、お年寄りもほっぺたも違った感触で気持ちがいい。赤ちゃんが「ぷにぷに」だとすれば、お年寄りは「ぷよぷよ」だ。

そのおばあさんは気さくにほっぺたを触らせてくれたので、その日も少し触らせてもらっていた。「おばあさんのほっぺは本当に気持ちいいですね」と言うと、おばあさんは「そうかい?いくらでも触っていいよ」と微笑んだ。

いつもはそこで終わるのだが、その日は珍しくおばあさんが「あんたのも触らせておくれ」と言った。いつも触らせてもらっているので、「もちろん、好きなだけ触っていいですよ」というと、おばあさんは「若い子の肌だねぇ」とペタペタ触ってきた。

そして「ちょっと耳を貸して」と言ってきたので、顔を近づけると急におばあさんがキスをしようとしてきた。私はとっさに顔をそむけたので結果的にほっぺにキスをされる形になったのだが、とても驚いた。

私が「まだそういう関係じゃないでしょう?」とおどけて言うと、おばあさんはいつになく真剣な顔で「ずっと一人だったんだから、少しぐらいいいじゃない」と言った。

その顔は私の知る限り乙女の顔で、それを見てなんだか胸が締め付けられるような痛みを感じた。

おばあさんがこれまで歩んできた人生について考えた。人を笑わせることが好きで、正義感が強くて、優しくて。ルックスも可愛らしいので、おそらく若い頃は相当モテたと思う。

そんな人が、今は天涯孤独で他の入所者とも仲良くできず、毎日見れるはずのない桜を見ようとしている。

言いようのない切なさが全身を駆け巡り、私はそっとおばあさんの手を握った。氷のように冷たく、少女のように小さい手だった。

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その後、私は春を迎える前に退職した。あれから2年が経つが、彼女は元気にしているだろうか。まだ桜を見ようと毎朝窓際で立ち上がっているのだろうか。今年の桜は、見れただろうか。

介護の仕事は安月給だのブラック労働だの色々言われることが多いが、その反面たくさんのお年寄りと関わりを持つことができ、時には一生忘れられないようなステキな出会いに巡り合うこともある。

私にとっては、あのおばあさんとの出会いがそうだった。どうか、今日も元気で過ごしていますように。


大事なお金は自分のために使ってあげてください。私はいりません。