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「本で人生を変えたい」という幻想は実現するのか

私は本を読むのがあまり得意ではない

仕事終わりの疲れ切った状態で感情を持たない文字たちが整列しているのを見ていると、途端に眠気が襲ってくる。文字というのは元々人間のとりのめのない思考を形として表現している道具に過ぎない。

だから、文字を延々と見続けていると眠くなってしまうのは仕方のないことだと思う。電車に揺られて個性のない町並みが過ぎゆくのを眺めているときと同じようなものだ。

しかし、それでも私は本を読んできた。普通の人よりも欠陥している部分の多い私は、人一倍物事を他人から教わる必要があったからだ。コミュ障のあまり現実に人から何かを教わることができなかったため、人とも会わずお金もそこまでかからない本はコスパ最強のツールだった。

よく「本は人の人生を変える力を持つ」と言われることがある。ネット上でも、”人生を変えた一冊”として書籍を紹介している人は多い。

私自身、生きづらい今を少しでも変えたいと幻想を抱き、苦手な本を読み続けてきた。実際、これまで読んできた本たちは私の人生をどのように変えてくれたのだろうか。

今回は、私の人生に影響を与えてくれた本、という大層なものではないけれど、なんとなく私という人間の一部になっていると感じる本たちを紹介したいと思う。

読者の方にも、ご自身が読んできた本を思い出し、「そういえばあの本に影響受けてるかもな」と気付きが得られるきっかけになれば幸いだ。

【空想編】岡田淳「こそあどの森」シリーズ

人は誰しも自分だけの空想の世界を持っているものだ。もちろん人によってその強弱はある。

たとえばハリーポッターなどのファンタジーを書いている小説家はかなり強い空想の世界を持っていると言えるし、一方で自ら物語を創造することは苦手だけど、好きな映画やドラマなどの世界観をモチーフに妄想することはできるという人もいる。

大小なりとも人は空想の中で生きているのだ。

私は物心ついたころから空想にふけるのが好きだった。とくに今いる現実世界とは全く別の不思議な世界を舞台にした作品が大好きだった。ファンタジー作品というのは太古の昔から人気ジャンルで、それこそギリシャ神話や聖書なんかは時空を超えて人々に支持され続けている。

今の日本であれば異世界転生系が熱いといえるかもしれない。

私が最も好きな作品は「こそあどの森」シリーズである。マイナーな作品なので知らないという人もいると思うが、大ざっぱに言ってしまえば”和製ムーミン”のような感じだ。

主人公のスキッパーが、”こそあどの森”を舞台にいろいろと冒険を重ねるのだが、その中で出てくる”ホタルギツネ”というキャラクターに強烈に惹かれた。

その名の通り尻尾が光る狐なのだが、その不思議な姿に加え、どこか達観しているような口調でスキッパーを陰ながら援助する。ムーミンでいえばスナフキンのようなキャラクターだ。

ホタルギツネもどこか詩人のような雰囲気をまとっており、このときから私はぼんやりと”言葉に力を持っている大人になりたい”と考えるようになった。

また、現実世界の延長線上ではなく、全く別の世界で展開される物語というものに衝撃を受け、これ以降私は現実離れした空想ばかりするようになった。

大人になるにつれ、その傾向はだいぶ薄れてきたが、今でもファンタジー要素のある作品は大好きだ。

この”こそあどの森”シリーズは、空想好きな私の人間性の根幹の一部となっているように思う。

【芸術編】谷川俊太郎「泣いているきみ」

空想好きな私だが、高校生になるまで芸術というものがよく理解できなかった。

好き勝手に物語を創作しては自己満足に浸っていた私にとって、芸術というのはどうやら”ルール”のようなものが存在し、頭が良くて偉い人たちが威張ってやっている窮屈なものだと思っていた。

しかし、谷川俊太郎の詩に出会い、芸術というのは日常の中に身近に存在するものなんだと気がついた。

普通に過ごしていれば忘れてしまうような、気づかずに素通りしてしまうような、そんな些細な感情や出来事ですら芸術になりえるのだと知った。

谷川俊太郎『泣いているきみ』より

泣いているきみのとなりに座って
ぼくはきみの胸の中の草原を想う
ぼくが行ったことのないそこで
きみは広い広い空にむかって歌っている

泣いているきみが好きだ
笑っているきみと同じくらい
哀しみはいつもどこにでもあって
それはいつか必ず歓びへと溶けていく

泣いているわけをぼくは訊ねない
たとえそれがぼくのせいだとしても
いまきみはぼくの手のとどかないところで
世界に抱きしめられている

きみの涙のひとしずくのうちに
あらゆる時代のあらゆる人々がいて
ぼくは彼らにむかって言うだろう
泣いているきみが好きだと

これを読んだころ、私は友人たちや周囲の大人と幾度となく衝突を繰り返していた。自分には自分なりの正義があると信じていたし、それを理解できない周りが悪いのだと思っていた。

しかし、この詩を読んだことで、「ああ、人と人というのは分かり合えないものなんだ」と腑に落ちた。他人の心を変えることはできないし、相手も自分を変えることはできない。

そう考えると、ふっと肩の力が抜けたように感じた。それに、この詩には「人と人は分かり合えないけど、だから人を好きになれるよね」という前向きなニュアンスがあった。

たった数十行の文章なのに、私のなかに沈殿していた頑固なわだかまりが急速に解消されていくような感覚だった。

谷川俊太郎の詩は、”デタッチメント”をテーマにかかれているものが多いように思う。人と過干渉になりすぎず、お互いの自由を尊重する。だからこそ、誰にでも優しくなれる

そういうスタンスは、彼の芸術の中にしっかりとちりばめられていて、私はとても感銘を受けた。

それから詩というもに興味を持った私は、吉野弘、石垣りん、谷川雁、金子光晴、山之口貘、金子みすゞ、萩原朔太郎、中原中也、高村光太郎、石川啄木などの詩人たちと出会った。

さらにそれらの芸術運動には流れがあることを知り、ダダイズムやシュールレアリスム、ポップカルチャーなどの詩を飛び越えた芸術的思想に触れることになった。

私の芸術的関心の原点は谷川俊太郎であり、今でもしっかりと心の中に生き続けている。

【人間関係編】古賀史健 と岸見一郎「嫌われる勇気」

これまでの記事で幾度となく書いてきているが、私は度を越したコミュ障である。

30歳に到達するまで他者との関わりに苦悩を抱え続け、時には他人につばを吐き、時には空に向かって吐いたつばが自分に降り掛かってきたりと不器用に立ち回ってきた。

今でもその悩みは消滅していないが、最近になって「もう人付き合いとかどうでもいいや」と割り切って考えられるようになった。つまり開き直れるようになってきた。

そのきっかけとなった本が「嫌われる勇気」だ。かつて人間嫌い絶頂期だった22歳ごろに初めて読み、その内容に頭を殴られるような衝撃を受けた。

慣れないクラブへ行って片耳が2週間ほど全く聞こえなくなり(3時間くらい巨大なスピーカーの真横にいた)、さらにパニック障害も発症していた最中に読んだのだが、「自分勝手に生きろ」という内容に思わず涙を流した。

読み終えたとき、「この本は私のバイブルにしよう」と思ったほどだった。

しかし、本にも書かれている通り、紹介されているアドラー心理学を習得するにはこれまで生きてきた年数の半分の年数が必要になるという。私の場合は22歳で読んだから、11年必要なわけだ。

その言葉は間違っておらず、あんなにも感銘を受けたはずなのに、実生活でまったく実践できなかった。それまで他人の言動に神経質に生きてきた私にとって、「自分は自分、他人は他人」と割り切ることは困難だった。

その思想は前述した谷川俊太郎とある意味で通底しているが、当時の私にはあまりにも壁が高かった。

それから8年の時を経て、ようやくそのエッセンスが実生活に反映されはじめた。まだまだ克服には程遠いけれど、22歳のころに読んだあのときの経験が、今になって活きているというのは実感として断言できる。

本は人生を変えてくれないが、道を広くする

思い返してみれば、ほかにもさまざまな本に出会ってその都度エッセンスを吸収してきたように思う。しかし、想定以上に長文になってしまったので今回はここまでにしようと思う。

結論を言ってしまえば、本を読むことで人生を変えることはできないと思う。

もしも人生を変えられるというのなら、誰だって本を読むし誰だって幸せな生活を送ることができる。それができないから、巷には自己啓発本が山のように積まれているのだろう。

しかし、全く意味がないのかといえば、それは明確に否定する。これまで語ってきた通り、本を通して私の思考は着実に豊かになったし、それによる環境の変化もそれなりにあった。

私はその経験上、本は人生を変えるのではなく、その道を広くしてくれるものなのだと思う。道を変えるのはあくまで自分自身だが、本はその道を通りやすくしてくれるようなイメージだ。

道が広ければ広いほど、急激な方向転換をする必要がなくなるのかもしれないし、するにしてもわざわざ狭い獣道を通る必要はなくなる。

だれかが切り開いてくれた道を知っているからこそ、力強く最初の一歩を踏み出すことができる。

私の道はまだまだ狭くて未舗装だから、これからも苦手な読書を続けていこうと思う。そしていつか自分なりの道ができたら、今度はその道を他の人に伝える役割を担っていきたい。

読書というのは、そんな人類の生み出した優しさにふれる行為なのかもしれない。

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かなり長文になってしまいましたが、ここまで読んでいただきありがとうございました。

あなたには、今でも時々思い返すようなステキな本がありますか?

大人になると、そういうことを一度立ち止まって考えてみる機会って少なくなりますよね。私も最近まで読書を忘れていたのですが、とあるきっかけでまた読むようになりました。

この記事をきっかけに、また読書したいと思っていただけたらそれ以上に嬉しいことはありません。


大事なお金は自分のために使ってあげてください。私はいりません。