コンビニの外国人店員から学んだこと

私がよく行くコンビニでは外国人の店員がレジをしてくれる。

名札には見慣れない名が記されており、どこの国なのか見当もつかないがアジア系なのだろうということはなんとなくわかる。まだ若いから学生なのかもしれない。それにも関わらず、ほとんど毎日働いているから感心する。

私はその店員がはじめ嫌いだった。一言でいうと、”雑”なのである。

バーコードをスキャンした商品を半ば放り投げるように置くし、挨拶は一切しないし、トングで取りにくいホットスナックは手で取ることもある。

このあいだなんて、切手がほしいと言ったら露骨に嫌そうな顔をして、94円分のめちゃめちゃ細かく分けられた切手を手渡された。無言で。

正直、「これだから外国人は」と呆れていたのだが、ある日をきっかけに彼らの対応は実は間違っていないのではないかと思い始めた。

その日私は仕事でミスをやらかし、年下の上司に叱られてすっかり意気消沈していた。帰り道、一歩進むごとにため息を吐き散らかしながらいつものコンビニに立ち寄った。

店内に入ると、「いらっしゃいませ」の声がない。今日もあの外国人が出勤しているのだな、と思ってレジを見た。予想通り、彼女はレジに立ってあくびをしていた。

私がいろいろ商品を見ていると、次第にレジが混み始めた。そんなに店内に客はいないけどな、と思ってレジを見ると、あの外国人が非常に優雅なスピードで商品をレジに通しているのが見えた。

口には出さないが、客がイライラしているのがわかる。しかし、彼女はそれに一切気づかずマイペースで仕事をしている。

それを見て、私はなんだか羨望の念を抱いた。日頃他人からの評価を恐れて萎縮している自分にとって、彼女のように仕事をするのはとてもじゃないけど無理だ。

世界的に繊細と言われる日本人の中でもさらにhspな私には、マイペースに仕事をするなんて一度灰になった紙を修復するぐらい難しい。

憎たらしいまでに飄々としている彼女の姿勢に、私は憧れてしまったのである。本来、仕事はこういうふうにするのがいいのかもしれない。過剰な客の要望に応え、何か問題を起こすことを怯えて働くよりも、最低限のことは守ってあとは個人の裁量に任せて働ければいいじゃないか。

実際、外国では日本のようにきめ細やかなサービスはほとんど見られない。あるとすれば、お金を払う優良顧客に対してだけである。

日本でこのような考え方をすれば周囲から「お前のようなやつが日本のレベルを下げるんだ」と叩かれるだろうが、周囲の期待に応えようとしすぎて心がパンクしそうな私にとっては、今の日本のやり方のほうが狂っているようにしか思えない。

ゆっくりとレジをさばく彼女の列に並び、いよいよ私の番になった。必要最低限の会話、ちょっと雑な商品の置き方、それは今や心地良いぐらいだ。

そしてレジ袋の料金を入れていなかったからともう一度会計をやり直し、私は外に出た。あたりは薄暗くなってきていて、少し肌寒かった。

仕事に疲れた状態で彼女のレジを見ているとなんだか勇気づけられる気がする。彼女はレジを通して「もっと自由にやればいいのに」と私に訴えかけてきているかのようだ。

そういうわけで、私は明日からちょっとだけ、雑に生きてみようと思う。


大事なお金は自分のために使ってあげてください。私はいりません。