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【社会不適合者】上下関係アレルギーなわたし。

誰が上とか誰が下とかどうでもいい。人対人で本質的な付き合いがしたい。

私は小学校から高校一年まで、剣道部に入っていた。

顧問は少年院で不良たちを指導しているような厳しい人で、今であれば確実に問題になるような激しい“しごき”を受けることが日常茶飯事だった。

実際、その顧問は私が部を辞めた数年後、生徒への体罰が問題になり協会を追放されたらしい。

そんな過酷な部活に入っていたから、私の精神は少しずつ病んでいき、顧問が大好きだった精神論年功序列的な(あるいは立場的な)上下関係というものにアレルギー反応をきたすようになってしまった。

もちろん、それらはスポーツ界ではある程度必要なものだと分かっているが、度を越してしまえば選手を萎縮させてしまう悪習に過ぎない。

竹刀で頭をばかばか殴られながら、私の中には長い時間をかけてぼんやりと、それでいてくっきりとした反発心が芽生えてしまった。

高校一年のときに剣道を辞めて以降、私は他人が決めた“ルール”だとか精神論というものに嫌悪感を抱き、過剰なほどに噛みつき、あるいは避けてきた。

校則はもちろんのこと、クラスで決めた文化祭の役割も守らなかったし、それを無視した私に「皆で一緒にやることに意味があるんだよ」と言ってきた情熱的な同級生の言葉も無視した。

国語の小論文の授業では、「敬語は本当に尊敬できる人以外には使いたくない」という内容で提出し、最低点をもらったこともある。点数の横には赤字で「社会ではそんなこと言ってられませんよ」と書いてあった。

こじんまりとした世界である学校ですらこんなにしがらみが多いのに、社会に出たらとんでもなく不自由になるんだろうな、と気が遠くなりそうだった。

それからとくに更生することもなく大学生になり、そして社会人になった。

あの頃に比べれば幾分ルールだとか精神論的なものに免疫はついたが、上下関係だけは未だにアレルギー反応が出てしまう

新人は目上の人に媚びないといけない。雑用をやって当たり前。苦労して当たり前。

上の人間は自分のミスを謝らなくていい。理不尽な指示を出してもいい。くだらないことで部下を怒ってもいい。

そんな社会に出れば当然のように充満している理不尽に遭遇すると、私は体が硬直し、吐き気がし、鳥肌が立つ。

周囲の人がそれを受け入れて生きていることにも苛立ちを覚える。

それでも周囲と衝突すれば生きていけないから、とりあえず受け入れたふりをして生きる。そんな自分にも絶望する

しかも私は演技が下手だから、すぐに相手にバレてしまい、「あいつは目上の人を敬っていない」とか「礼儀がなっていない」だとかで嫌われてしまう。

自分が上の人間になってしまえばストレスも軽減されるのだろうが、嫌な上司になってしまわないかとそれはそれで悩むだろう。

誤解を解いておきたいのは(職場の人がこの記事を読んでいるわけはないが)、私は別に他人を敬っていないのではない。むしろ自分と違う感性を持っている他者には基本的に尊敬の念を抱いている

私が軽蔑しているのはシステムの構造上生じている“理不尽”であり、そのことになんの疑問も持たずむしろ利用している連中である。

私はただ人と対等に話したいだけなのだ。

話していくなかで相手の良い特徴を発見し、自然と尊敬の念を抱くことになるだろう。それは上下関係ではなく、横の関係であっていいはずだ。

社会人の皆さんはこの文章を読んでひどく稚拙だと思うことだろう。社会をなめているのかと。

その通り。私はガキくさい考えで社会を否定するし、そして社会というものをくだらないと思っている。

この面倒な性格について、これまでたくさんの大人たちに説教されてきた。でも、心に響いた言葉は何一つとしてなかった。

私は今後も上下関係というものを拒絶し、否定し、唾を吐き続けるだろう。そして社会の中でますます孤立を深めるだろう。

私の名前は“おダメさん”。おそらく1万人に1人の社会不適合者だ。



大事なお金は自分のために使ってあげてください。私はいりません。