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ほしまるの夏。第2回(計4回):中学受験勉強をしていた夏

前回(第1回)はこちらです。
(※連載読み物ではないので、続けて読まなくても大丈夫です。)

早いもので、8月も残りあと10日ほどとなりましたね。
お子さんがいらっしゃる方や、学生の方々は
夏休みの宿題も佳境に入る頃でしょうか。
残暑がかなり厳しくなっていますので、引き続き 皆さんも夏の疲れや熱中症などくれぐれもご自愛ください。
なかなか noteにも来られなかったりですが
時間のあるときにゆっくり伺いますね。
☆☆☆
【小学6年生の夏休み】

「夏を制する者は受験を制す」

この言葉を初めて先生から言われたのは

小学校6年生の時のことです。
当時、私は 翌年2月の私立中学受験のための進学塾に通って、受験勉強をしていました。

※進学塾での思い出は 以前こちらの記事に書きました。↓


6年生の夏休みは、夏期講習で毎日勉強漬けの日々。

そのため、家族揃ってどこかへ、というのは

この年に関してはありませんでした。

けれど、三才年下の妹が夏休みどこも行けないのも可哀想なので 近場へ両親と三人で行ったり、双方の祖父母宅へ行くときにも

私だけは行かない、という感じの夏休みでした。

参考書やテキスト、ノートが入った鞄を背負って 塾へ向かうときも、暗くなってから家へ帰る時も、近くの商店街のおじさん おばさんや、近所のおじさん おばさん 達が 必ず一言言っていたことがありました。

「皆と同じように、遊びたいでしょう?」

「辛くない?勉強なんて止めたいよね?」

私は にこりとしながら

「全然。そんなこと思ったことないから。」

そう言って会釈してそそくさと歩みを進めていました。

多分、はたから見たら

中学受験は 親から無理やりやらされているもの、というイメージだったのかもしれません。

行きたい学校があって、そのために勉強してるとか。

高校とか 大学とか、先のことを考えて その上で、今勉強している子もいるんだとか。

とにかく、この学区から脱出したいから 私立に行きたいんだ、とか。

私だけでなく、塾の仲間には皆似た感覚がありました。

そしてそうした感覚は、多分 こういう人たち(私に余計なこと言ってくる近所のおじさん達)に言ってもわからないだろうな という考えが 当時既に私には備わっていました。

小学校で数年間いじめに遭っていた私にとって、

進学塾は皮肉にも、のびのびと過ごせる場所でした。

どんなに勉強してても ガリ勉なんて言われない。

それどころか、色んな学校から 勉強ができる子達が集まっていて、わからないところをお互い教えあったりもする。

初めて 仲間との切磋琢磨、という感覚を味わった時期だったかもしれません。

そんな中で、夏休みからは、これまで勉強してきた実践を踏まえて、志望校の過去問題や全国の私立中学の過去問題(電話帳のように分厚い本)を1つずつ解いていく、という段階に入っていました。

家でも、進学塾でも 志望校や全国の私立中学の過去問題に取り組む日々。

すると、だんだん、苦手な分野と得意な分野がより明確にもなっていました。

頑張って、めいっぱい頑張っていても 成果に出ないということは大人になってもあります。

当時、この小学校6年の夏休みに 私は 挫折というものを初めて経験しました。

志望校の過去問題だけでなく、全国の私立中学の過去問題を解いていると、全く歯が立たない問題が存在することもあるのだという実感もしていましたが。

この夏休み中の 進学塾の月例テストで

成績がガクッと下がったことがありました。

ずっと上位だったこともあり、子ども心に物凄いショックで、帰りにとぼとぼと帰った道のりがとても遠く感じたことを覚えています。

長女だったこともあり、私の私立中学受験の時は 両親は少し気負っていたのはよくわかっていました。

のちに

「ほしまるの時には、色々うるさく言ってしまったよね、ごめんね。」

と何度も両親から謝られましたが。

そこまで、ガミガミ言われた記憶はないけれど、このテストの時は少し両親から怒られたのは覚えています。

「こんなんじゃ○○(当時の志望校の1つ)は無理なんじゃないの?」

父がなだめるも、母は少しピリピリしていました。

「1回のテストの結果で決めるのもおかしいけど、無理せず別の志望校にしてもいいかもね。

先生との面談でも少し考えようか。」

次の日の朝、そんなことを父と母から言われました。

きっと、夜 二人で話し合っていたのかな。

そう考えると申し訳なく思いました。

「私も、少し考えてみる。」

「うん。今日も頑張るのよ。」

塾に向かう途中、隅田川をぼーっと眺めていたら、ちょっと涙がこぼれました。

これ以上、成績が下がったらどうしよう?

もしも、来年の受験で不合格だったら

どうしよう?

そう考えると、色々怖くなっていました。

そのくらい、同じ学区の公立には行きたくなかったのです。

結論から言うと、この時のことがきっかけで

志望校を変更しました。

もともとの志望校と同じ受験日なので(当時)、併願はできなかったけれど 

以前 文化祭も見に行っていて 行きたいな、と思っていた学校でした。

そして、合格して 縁あって通うことになった学校。

そして、まさかまさか、で妹も通うことになった学校。

なぜ、まさかまさか、なのかと言うと

妹は私よりも運動だけでなく、 勉強もはるかに出来たので別の学校に行くだろうと勝手に思っていたからです。

私自身、そんな妹にコンプレックスを抱いていたこともありました。

そんな妹は 生きている間 私に対して純粋に慕い続けてくれていたことは 家族三人が亡くなってから改めて知ったことも多い気がします。

小学校6年の夏休み、私は ちょっとした挫折から無意識に色んなことを学びました。

とにかく、自分なりに頑張ってみる。

おそらく、この頃一緒に勉強していた仲間も口にせずとも同じ思いだったと思います。

お昼休みや、休み時間には 思いきりはしゃいでいても、授業中などは皆 真剣でした。

一緒に頑張ってきた皆と乗り越えた中学受験。

もう、当時通っていた進学塾はなくなってしまったけれど、当時の思い出はまだ覚えています。

☆☆☆

【最後に】
今回は、小学校6年生の夏の思い出を書きました。
私の場合は 中学受験を控えていて 勉強漬けの夏休み、でしたが。
子どもだと本人の意志で 励んでいることでも、【親に強いられている】という見方は割と多く今も存在しているような気がします。
それが スポーツであれ ピアノなどの楽器やバレエなどの舞踊であれ。
「こうなりたい」という子どもの夢や意志で続けていることでも、そう見られてしまうのはとても残念な気持ちがします。
けれどもやはり、「子どもにこうあってほしい」と願う親御さんの気持ちもありますよね。
私の友だちでも実際いますが、
「将来のために○○を習わせている」
とか
そうしたことも理解はできますし。
今回この記事を書いたのは、ここ最近、たまたまなのか最寄り駅に 小学生・中学生・高校生向けの塾が乱立(笑)しているからです。
私の感覚だと、今は子どもの数自体も少ないのだから、塾といっても そこまでの集客力は望めない気がするのですけれどね。
でも、以前 接骨院の人から聞いた話ですが
「同じ業種が多くある方が、お互いのお店(施設)は流行る」らしく。
その法則に従っているのかな?とも思います。
しかし、それにしても 駅周辺に塾、建てすぎじゃないだろうか?と思うのですよね。
以前、派手すぎてやばく見える謳い文句の個人塾が あっさりと畳んでしまわれたので...
ちょっとだけ心配しています。
せっかく通っていても そこの塾がなくなって先生にも会えなくなってしまうのは辛いだろうと思うので。

今日も読んで下さり、ありがとうございました。


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