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未だに苦手なこと:幼い頃のトラウマは今も消えない

こんにちは、ほしまるです。
早いもので1月の土日も今週が最後。
もう2月なんですよね。
特に受験生や受験生を持つご両親、ご家族の方々もこの時期は風邪を引かないよう、気の張った日々をお過ごしかと思います。
全国の受験生皆さんの努力が実を結ぶことを祈りつつ、どうか皆さんくれぐれもお身体お大事に暖かくしてお過ごしくださいね。

私は40代後半になり、もう数年で50代に突入する。
そんな私には未だに苦手なことがある。

歩いていて、後ろから/背後に、
人が近づいてくることが苦手

特に人通りの少ない道で、昼でも夜でも
後ろから人が近づいてくる、近づいてくる足音を聞くことが、私は未だに苦手だ。

特に近年はハンズフリーで通話、話ながら一人で歩いてくる人も多い。
一人で歩いていて、遠くに聞こえていたはずの、独り言にも思える話し声がだんだん迫ってくると
後ろを振り返るのも戸惑われるので、必ず一旦止まる。
止まってスマホを取り出し、あたかも通話に出るようなフリをする。

大抵は、女性や男性がハンズフリーで通話していてほっとする。

その人が通り過ぎるのを待って、少しずつまた歩き始める。

ほっとしてはいるものの、ドキッとした時の不安だとか、少しの恐怖はやはり未だに慣れない。

こんな風にドキッとして、恐る恐る歩みを止めて
後ろから来た人が先に歩いていくタイミングまで待つことは、はたから見たらとても馬鹿げたことかもしれない。

「貴女は音楽が好きなんだから、人通りの少ない道でもイヤホンで音楽を聞いていればいいのに。」

ここまで読んで、そういう意見があるのは百も承知だ。

けれど、私は人通りが少ない道になると、余計にイヤホンで音楽を聴くことができないのだ。

全く知らない、気づかない間にひたひたと人が後ろから歩いているのに気づかないでいて
知らない間に近くまで来られる方が私にはとても怖いから。

それは、幼い頃に私が怖い思いをした経験によるトラウマに他ならない。

幼稚園入園前、私は誘拐されかけた

その日は母と、まだ生まれて間もない妹と一緒に最寄り駅近くの大きなショッピングセンターに来ていた。

母は私の手を引きながら妹を背負っていた。
途中で、妹がぐずり泣き出した。
周りに迷惑をかけないように、母は私の手を引いて
売り場のすみの方へ早足で歩いた。

背負っていた妹を抱き抱え、おむつの様子を見る。

「おむつは大丈夫そうだね。ミルクもさっき飲んだから。少し様子みてからまたあっち行こうね。」

母は片手で私の手を握りつつ、私のことも気にかけながら妹がニコニコ笑うのを嬉しそうに眺めていた。

あっ、と母が下を向いた。

妹が持っていたおしゃぶりが落ちたのだ。

そのおしゃぶりを拾おうと 一旦私の手を放し、

「ほしまる、ちょっとだけお手て繋ぐの、待っててね」と妹を抱えたまま、おしゃぶりを拾った。

時間にすればほんの数秒だ。

そこに私の姿はなかった。

私は母が一旦手を離しておしゃぶりを拾う姿を見ていた。

いきなり後ろから知らない人に口を押さえられ、抱き抱えられ、逃げられた。

知らない人に抱き抱えられまま 母と妹の姿が遠くなることに不安を覚えながら、
なんとなく

このままわたし、死ぬんじゃないか

そんな気持ちで泣きそうになっていた。

私はある場所で下ろされた。

目の前にいたのは、背の高い、男性だった。

「なんでわたしはここにいるの?」
「ママのところへ帰らなきゃ」

私は泣いた。

男は、目一杯の笑顔でこう言った。

「お嬢ちゃんのこと、ママに頼まれたの。」
「ママには赤ちゃんいるもんね、かわいそうだけど、お嬢ちゃんは邪魔なんだよ。」

私は、はっとした。
3つ年下の妹が生まれてからは、母は妹にかかりきりで、
駄々をこねた私を、優しい言葉で、時には厳しく叱ることもあった。

やっぱり私は邪魔なのかな

こども心に、その男の話に私の気持ちを見抜かれているような気持ちだった。

「だからね、おじさんが、お嬢ちゃんの好きなもの買ってあげるよ。何が好き?」

「ピンクレディ...」

「じゃあ、ピンクレディのもの、何か買いに行こうね」

その時だった。

「ほしまる!すぐにその人から離れなさい!」
母がとてつもないスピードで妹を抱えたまま走ってきた。

後ろから、店長とおぼわしき人と、警備の人たちが来ていた。

ピシャリと母はその男の頬をはたいた。

「うちの大事な娘になにしようとしたの!」
母の目には涙が浮かんでいた。
母は全身でその男に怒っていた。
私のために。

「こどもと楽しく遊びたかったんだよ!」
「いろんなことしたかったんだよ。こどもとね!」

警備の人たちに連れていかれながら、男は叫んでいた。

その言葉は今でも私の脳裏から消えない。

後から聞いた話では
その男は、ショッピングセンター界隈で
幼い女の子を日々物色していたそうだ。
実際に家まで連れていかれそうになった女の子達もいたという。

父と母から、もし、あのまま連れていかれていたら...という話も含めて

「パパもママも
全力でほしまるのことを守るけれど、
ほしまるもこれからも
絶対知らない人に着いていっちゃいけないよ」

などと念を押して言われた。

そして父と母は付け加えた。

「ほしまるのことが邪魔なんてわけないよ。」
「ママとパパにとっては
ほしまるも◯◯(妹)も大事な宝物なんだ。」


小学四年生の時に足の膝を骨折した

私は、小学四年になりたての頃、左足の膝を骨折した。

なぜ骨折したか。
校庭の高い遊具で遊んでいたら、一番上にいた、がたいのいいボス的男子生徒に 振り落とされた。

落とされたショックと、あちこち擦りむいたり、足の痛みで起き上がれない私をみんな笑った。

「だっせー!」
「落ちてやんの~」
「ほしまるはもやしっ子だもんな。本だけ読んでろよ!」

誰も私のところにかけよってこなかった。

足を引きずりながら、校庭の水で擦りむいた箇所を水で流して、痛い膝をさすっていたら
保健室のおばさんが漸く来た。

「授業始まってるでしょ?」
「なにやってるの!」

「遊具から落とされました」
「落とされた?そんなことあるわけないじゃない。うちの小学校にはいじめなんてないでしょ!」

そう言われることも分かっていた。
だから最初から、私は保健室にも、職員室にも行かなかった。

「もう帰るので、担任の先生に伝えてもらえますか?」

小学一年からクラス替えしても
ずっと毎年同じ、ヒステリックな女性担任だったから
嫌みを言われるのはこりごりで。
彼女にも会いたくなかった。

「...いいけど。」
「さようなら。荷物は後で母に取りに来てもらいます」

ゆっくりと校門へ向かって歩きだした。
足を着くと痛い。
なんとかゆっくり足を引きずりながら歩いた。

とても、とても遠くに感じる。

誰かが私の名前を呼び、かけよった。
ヒステリックな女性担任だ。

私の学帽と、ランドセルを持ってきていた。
「怪我したんだって?普段から校庭で遊ばないで、本ばっかり読んでるもやしっ子だからそうなるの。こどもらしく遊びなさいっていつも言ってるでょう?」

私はそれに対しては何も答えなかった。

「ランドセルありがとうございました、さようなら」

ヒステリック女性担任と保健のおばさんに背を向けて家路についた。

「ちょっと、どうしたの!?」
玄関で母は驚いた。
買い物に行っている間に学校から留守電が入っていて、かけ直そうとしてたところに私が帰宅した。

「遊具から落とされた」

「それいじめでしょ!もう...」

母は濡らしたタオルで汚れたあちこちを拭いて、すぐに学校に電話をした。

あくまでもいじめ、とは一言もなく
私が自ら遊具から飛び降りた、保健室のおばさんも、女性担任も、校長も主張したそうだ。

「病院に行かないとわからないですけれど。改めて学校へも伺いますので!」

母は怒りに震えていた。

近くの接骨院へ行った。
なんと最初は誤診で捻挫と言われた。

けれど様子がおかしいと再びレントゲンを撮ったら
「すみません、僅で見逃してました。確かに折れてました」

もう、びっくりである。

すぐに紹介状を貰い、都内の病院への通院へ。
太ももから足の甲までギブス、松葉杖。
全治3、4ヶ月だった。

その後、生徒の証言で 明らかにいじめはあったということが証明された。

学校の校長、教頭、教師、PTAたちが毎日代わる代わるお詫びやお見舞いに来た。

父も母も、いじめをひたすら隠蔽しようとしたこと、
怪我した生徒を一人で帰らせたこと
等々
淡々と学校側を責めていた。

「誰もが安心して通える学校にしてください」

父も母も何度も言っていた。

ギブスも取れ、リハビリが始まってからは私も松葉杖のまま学校へ行った。

階段の上り下り、お手洗い、教室の移動など
特に不自由なことはなかった。

一番つらかったのは松葉杖が取れて、ふつうに歩けるようになるまでのリハビリだった。

主治医の先生はもちろん
療法士の先生も、同じリハビリに取り組む沢山の人たちもとても優しく、応援してくれた。
でも、一度あまりの辛さにリハビリを断念したせいもあり、ふつうに歩けず、しばらくは足を引きずりながら歩いた。

「このままだと、ずっとふつうに歩けなくなります」

ある日、主治医からそう言われた。

私は、リハビリを頑張ればふつうに歩けるようになるだけでなく、
走ることも、運動することもふつうにできるようになるのに、心のどこかで
このままでもいいと思っていた、

そんな私に罰が下るとは その時は思っていなかった。

足を引きずる私に襲いかかる影

リハビリを受けながら、の学校生活も夏休みを迎えようとしていた。

夏休みに入る前の日。
宿題で使う絵の具だとか、色々持ち帰るものがあった。

ランドセル背負って、両手に沢山の荷物を持って
私は足を引きずりながら家まで歩いた。

いつも通学路で、挨拶を交わす地元のおじさんおばさん、おじいちゃんおばあちゃん達はいつも
「頑張ってね」と声をかけてくれていた。

この日も同じだった。

家の近くには沢山、材木屋(同級生の家)があった。そこには沢山働いている人たちがいた。
いつも挨拶を交わしたり、
どこの材木屋の人たちからも
「足がよくなるまで頑張ってね」と応援してもらっていた。

ふっと、片側の荷物が軽くなった。

材木屋で働く、よく会うたびに話す気さくなアルバイトのお兄さんが荷物を持ってくれていた。

「家まで、持っていってあげるよ」
「え、いいよ、大丈夫。というか仕事しないと怒られるよ?」
「今はね、休憩時間なの。」

私の荷物を片方持ちながら隣に歩いているアルバイトのお兄さんになんとなく違和感を感じていた。

家(マンション)について、下からインターホンを鳴らした。

インターホンに出た母に

「ただいまー!私。待っててね。」と告げ、
エレベーターを待った。

お兄さんは別の階を押した。

お兄さんがボタンを押した階に止まった。

じゃあね、ありがとう、またね

言いかけた私の手を取ってエレベーターから引きずり出した。エレベーターは閉まって、私の家の階へ。

お兄さんは、私の手を取りながら廊下に出て、ドアを開けて踊り場に私を座らせた。

「ほしまるちゃんは可愛いから、俺ずっと好きだったんだ。抱きしめたかった。」
「お兄ちゃんといいことしようか?」

お兄さんは私へ不敵の笑みを浮かべていた。
いつもの気さくなお兄さん、ではなく、男、だった。

口にテープを貼られた。

怖い、怖い。
なぜならお兄さんはナイフで私を黙らせていたのだ。

スカートにお兄さんの手がのびる。

スカートの中へ手を入れようとしているのがわかった私は右足でお兄さんを思い切り蹴った。

いてぇ...と言いながらそれでも私へ笑みを浮かべていたお兄さんは怖かった。

「お兄ちゃんが、ほしまるちゃんに教えてあげたいことあるからさ。」

やめて!

その時だった。

ドアを開けて、母がお兄さんの後ろから飛び蹴りをした。

「なにしてんだ、お前。」
母は敢えて男言葉で睨んでいた。

管理人さんと警察官が私にかけよった。

インターホンを押してから家に着かない私を不審に思った母が管理人さんに伝えた上であちこち探してくれていたのだ。

私を襲おうとしていたお兄さんは笑っていた。

「できなかったかー、ちくしょー!」

私は震えていた。

警察官に連れていかれ、お兄さんは直ぐに解雇された。

材木屋さんのご両親は私のことを気遣い、何度謝りに来た。

あのまま、母や管理人さん、警察官が来なかったら

私は、死にたくなるほどの屈辱を受けていたかもしれない。


おかげさまで私は、地道なリハビリの甲斐あって
後遺症も残らず、ふつうに歩けるようになった。
思いきり、走ることもできるし
運動もダンスもできた。

リハビリを断念していたら
私はまだ足を引きずりながら歩く日々だったかもしれない。

そして、幼い頃、小学四年の時いずれかに
そのまま母たちに助けられなかったら。

幼い女児への事件として被害者になっていたかもしれない。

そう思うと、
未だに日々どこかで起こる、こどもを狙った事件をニュースなどで知るたびに
とても張り裂けそうな気持ちになるのだ。

決して、他人事ではなかったから。

トラウマからくる、未だに苦手なことは
これからもずっと苦手だろうし、治ることはないかもしれない。

私は、被害に遭いかけたことを忘れない。

そして、実際に今もなお絶えない残忍な事件が
これからも起こらないよう、願い続ける。

今回も読んでくださりありがとうございました。
























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