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サプリな小説、どんぐり姉妹(よしもとばなな)

何をやっても上手くいかないなー、という時がある。

日常生活を送りながらも、気持ちが晴れない。そういう状況から抜け出したいと、ジタバタしてみる。友達との飲みに行く、好きなモノを買う、お気に入りのカフェで過ごす。日常でできる小さな気分転換を試みながら、それでも心にかかったモヤが取れない、という経験は、誰にでもありそうだ。

すぐに検索できる小型の機械が手元にあるのだから、その解決策を検索窓に尋ねたくなる。とはいえ、実際に検索したところで、表示される検索結果に自分が求めている答えはなく、漠然とした虚しさを感じたことがある、という人も、きっと多いだろう。

そういう時、行動せずに自分の内面に寄ってみる。ゆっくりだけれど、結果的に何かを始める原動力が生まれる。私がよしもとばななさんの『どんぐり姉妹』から感じたのは、このシンプルさだった。

小説は、面白い。読んだ人によって、印象に残る部分が違う。同じ人でも、読んだ時期によって印象が変わったりする。

私が『どんぐり姉妹』を初めて読んだのは、今から8年ほど前だった。当時、絶賛ジタバタ中であった私にとってこの小説は、「内側にきれいな水をためる」という表現がとても心に残った話だ。

あらすじを読むとわかるように、どんぐり姉妹はインターネットでの文通と呼べそうなやり取りを始めた姉妹の話である。そして「内側にきれいな水をためる」という表現は、妹のぐりちゃんの言葉だ。

この文通を始める前に、ぐりちゃんは、しんどい体験もした。そして、外から見れば何もせず、しかし内面では多くを経験する時間を過ごす。
傍から見れば、働かずにときどき家事をして、家で静かに過ごす独身女性、と映るだろう。何もしていない人、と見えるかもしれない。それでもぐりちゃんは、きれいな水をためるように、自分の内面や偶然の流れを大切にしながら、毎日を過ごしたのだと思う。外から見れば何もしていないように見えるからといって、内面もそうとは限らない。ぐりちゃんは結果的に、また外へ出ていく気持ちになっていった。

当時、この小説を読んだ私は、すぐに気持ちを切り替えられたわけでも、行動せず立ち止まれたわけでもない。それでも、ぐりちゃんの姿勢は、私の心に残った。この数年間で、何度かぐりちゃんの存在が心に浮かぶことがあった。ぐりちゃんが、支えになった時もある。
こんな風に思い返すと、『どんぐり姉妹』は、自分の感覚を大事にする力をちょっと底上げしてくれる、サプリメントのような小説だ。

SNSを開けば、すべきことが目に入る。何かをしなければ置いて行かれるような錯覚を起こしてしまう。そういう時、今の自分にとって何が大事か、という気持ちを思い出したい。自分にとって良い道を選べる感覚を、育てていきたい。

そんなわけで、『どんぐり姉妹』のぐりちゃんが過ごした時間がどんなに貴重だったか、という事実を心に持てていることは、私にとっての幸運です。

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