就活ガール#78 挫折経験がない!
これはある日のこと、講義中の講義室の隅で美春と雑談をしていた時の話だ。今日もほとんど誰も聞いていない講堂の中で、ハゲた先生がボソボソとした声でつまらなさそうに授業をしている。
「なぁ、美春って挫折経験ある?」
「あ、エントリーシートや面接でよく聞かれる質問ね。」
「そうそう。いつも適当に書いてるんだけど実際どうなんだろうと思って。」
「私も大した話はないわよ。そもそも何事にも本気で取り組まずダラダラ過ごしてきた人間が集まるのが白雪学園のようなFラン大学じゃない。」
「そりゃそうだ。」
定番のFラン自虐ネタで笑い合う。就職活動を始めるまではあまり考えたことがなかったが、いざ他大学と比べられる立場になると、やはり自分の学歴が気になってしまうのが大学生の性というものだ。もちろんFラン大生もFラン大生なりの努力をして約20年間生きてきたことは否定しないけれど、とはいえ社会一般が20歳に求める水準の努力をしてきたかというと、そうではない。そのギャップを見せつけられるのが就職活動という場なのである。
「本気で取り組んで努力したことがないから、挫折したこともない。当然よね。」
「そうそう。俺だって何かしらそれなりに頑張ったことはあるし、それでもうまくいかなかったことくらいはあるけど、挫折なんて大層な話じゃないぞ。」
「そうね、私もそんな感じよ。でもそれ就活ではそれを挫折経験として語るしかないんじゃないかしら?」
「だよなぁ。」
「挫折っていう言葉がなんだか大げさなのよね。Fラン大生はもちろんだけど、おそらくそれなりに高学歴の人とか、部活動やアルバイトで実績を残してる人だって、自分の経験を大したことがないって思ってる人は少なくんないんじゃないかしら。何を挫折経験と呼ぶかは人それぞれなのよ。」
「たしかに、頑張ったと断言できるかって内容もそうだけど、本人の性格によるところも大きいよな。」
ぱっと思い出すのはバイト先の後半の日野原さんだ。日野原さんは自分に自信がないから1年生から就活をしていると言っていた。俺から見ると頭はキレるし真面目で一生懸命だし、なにより1年生から就活に取り組むという気迫と本気度があるように見える。俺とは就活にかける努力のレベルが違うのだから、きっと他のことにも惜しみなく努力をしてきたのだろう。そもそもコンビニバイトだって、人見知りを直したいという理由で始めたと言っていた。なんとなくで選んだ俺とは最初の動機からして次元が違う。
「それで、おとっぴはどういう回答してるわけ?」
美春に聞かれたので、俺の回答を見せることにした。
「なるほど。たしかに挫折というにはちょっと大げさな気もするわね。」
美春が俺の回答を聞いて頷く。
「だよなぁ。」
「ま、でもそれは今更気にしても仕方ないから。どういう時に悔しいと思い、どうやってそれを乗り越えたのかを知りたいっていうのがこの設問の出題意図なのよ。たしかにエピソードがすごい経験であればその方が目を引かれることはたしかだろうけど、実際に一番重要なのはエピソード自体ではないわ。」
「うん。エピソードの強弱は今更気にしても仕方ないからな。」
「それで、これはどういう意図で書いた答えなの?」
「まずは挫折経験の要因を内的なものにしたってところだな。」
「内的?」
「うん。俺の場合、どうしてもエピソードのネタ自体は低次元になってしまうだろ。だから、自分自身がうまくいかなくて悔しいという話にして、あくまでも俺の心理状態を中心に書いたんだよ。そして、誰かのせいにしないっていうのも意識したポイントだな。」
「なるほどね。たしかにそれはいい案だと思うわ。世の中の理不尽によって追い込まれたエピソードとかは、気の毒だとは思うけれどだから何っていう感じでもあるし。」
「だよな。」
「うん。だからエピソード自体は悪くないというか、まぁこの辺が現実的な落としどころだと思う。あとは伝え方の問題じゃないかしら。」
「と、いうと?」
「おとっぴの回答だと、あんまり主体性があるように見えないっていうか……。」
「どの辺だ?」
「例えば、『後から聞いた話によると』ってところかしら。実際はこれが正しいんだろうけど、この辺はもうちょっと脚色してもいいと思うわ。」
「確かに偶然聞いたみたいな感じに聞こえるな。実際はどういう経緯で知ったのかよく覚えてないけど、俺が積極的に聞きに行ったことにしてもいいのかも。」
「そうそう。その辺もふまえて私ならこんな感じにするわね。」
そう言って美春が俺の回答を書き直してくれる。就活での添削は色んな人にしてもらっているが、美春の場合は俺と同じ立場で同じ程度の知識や経験を持つ同級生なので、教わっているというよりも二人で答えを考えているという印象が強い。今日は俺が教わることが多いけれど、逆もあるのだ。そういう関係もまた、有意義だと思う。自分が教えることで頭の中が整理され、勉強になるということも多いからだ。
「お、いいな。序盤も良い具合に短縮されてる。」
「うん。重複記載があったから短くしておいたわ。こういうのって自分では気づきづらいけど、他人の回答を見ると意外と気づくわね。」
「たしかに。200字しか書けないから無駄なことはできるだけ削る必要があるってわかってても、なぜか冗長になってしまうんだよな。」
「それから、さっきも言ったけど本人に何かコツがあるのか聞きに行ったと明記して、自ら現状を打破する努力をしたと伝わりやすくしてみたの。」
「その直前に、『いつまでも落ち込んでいてもどうにもならない』というのも追加されてるな。」
「ええ。面接官は学生がどういう考えで行動に移したかを気にしているでしょう? だから書いてみたの。」
「たしかに、同じ行動であっても動機が同じとは限らないからな。どういう時にモチベーションを上げたり努力しようと思えたりするのかを知っていると、上司や同僚としてもやりやすいと思うし。」
「そうそう。企業としては社員に意欲を持って働いて欲しいわけだから、いわゆるやる気スイッチがどこにあるかを調べたがっているというのもこの質問の意図に含まれてるんじゃないかしら。」
「たしかに。文字数制限もあるから詳細には書けないけど、ちょっと触れておくだけでも全然印象は違うな。」
「それから、おとっぴの話だと単なる努力不足って結論になってるのがもったいないと思ったわ。」
「もったいない?」
「あんまりアピールになっていないのよね。努力不足だったので頑張りましたっていうすごくシンプルな話になってしまってる。そして、それが謙遜で言っていると伝わるレベルの話だったらいいんだけど……。」
「俺のエピソードはそうじゃない、か。」
「うん。ごめんね。やっぱり部活の全国大会で負けて努力不足を感じたとかっていう話と比べるとちょっと……。」
「いや、大丈夫。罵られ慣れてるからむしろその態度から優しさを感じるぞ。」
俺の言葉に美春が笑う。美春も、アリス先輩や美柑に俺が厳しく指導されていることは知っているのだ。
「じゃあいうけど、そもそもこの程度のエピソードで努力不足でしたって言われると、『おう、そうだよな。俺もそう思うぜ。』と面接官に思われかねないと感じたわ。」
「たしかに。それだとあまりにも抑揚のない回答になってしまうな。」
「うん。だからこの経験から何を学んだかをアピールする方向に変えてみたの。他人を頼って素直に頭を下げられるとか、アドバイスに従えるって結構重要な能力だと思うから。」
「ああ、素直さは企業が学生に求めることのランキングでも上位に入ってることが多いよな。」
「そうね。それに、素直さなら私たちだって他の学生と互角に勝負できるじゃない?」
「たしかに。努力の程度で比較するよりはずいぶん戦いやすい土俵だと思う。」
「私の回答意図としてはそんなところかしら。色々詰め込んだら具体的なエピソードが少し削られてしまったけど、それはまぁ仕方ないでしょう。」
「わかった。ありがとう。」
今日は挫折経験についての回答方法を学ぶことができた。このテーマは、俺のようなダラダラした人間はもちろん、謙虚すぎる人間にもエピソード選びが難しい。ただ、そもそも何をもって挫折と呼ぶかの基準は人によって大きく異なるのだ。自分では大したことのない話だと思っていても、周りから見るとすごい経験だということもある。
それに、結局は挫折経験を通して何を学んだのかとか、どうやって立ち直ったのかという話を企業は知りたいわけだ。そして、それらが業務上においても発揮できるかというのを見定める材料にされる。そういう風に、面接官の出題意図をしっかりと理解することができれば合格に近づくというのは、どんな企業のどんな質問でも同じだろう。そんなことを考えていると、チャイムが鳴った。そういえばあの先生は何を考えてFラン大学で講義をしているのだろうか。そんなことを思いつつ、講堂を後にするのだった。
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