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就活っガール#117 固定残業代は社員にとって得?

これはある日のこと、バイト先のコンビニで店長の薫子さんと話していた時のことだ。

「薫子さん、給料について聞きたいんですけど。」

俺がそう声をかけると、薫子さんは掃除している手をピタリととめて、真剣な顔でこちらを振り向いた。

「悪いけど昇給は無理よ。全然儲かってないんだから。」

「いや、それは大丈夫です。時給変わらなくても辞めないから安心してください。」

「ああ、よかった。夏厩くんに辞められると困るのよね。」

「色々世話になってますから。」

実際、これは建前ではなく、薫子さんに色々と世話になっているのは事実だ。バイト中にダラダラと就活の相談をしても許される環境は大変助かっているし、感染症対策で客足がぐっと減ってもクビにされていないので感謝しているくらいである。給料は働くうえで大事なことであるが、少なくとも学生時代のアルバイトにおいては給料だけの問題ではないと俺は考えているので、この店で働いて本当によかったと感じている。

「うちの店の話じゃないってことは、就活の話かしら?」

「はい。給料って色々ありますよね。」

「色々?」

「年俸制とか。」

「ああ、そういうことね。年俸制の意味が分からないの?」

「はい。野球選手みたいですよね。」

「フフ、そうね。でも年俸制って実は月給制とほとんどかわらないのよ。」

「たしかに12分割して毎月支給って求人票に書いてる会社も多いですけど、原則として1年に1回支払われる給料が支払われるわけではないんですか? そうすると自分でお金の管理するのが結構大変そうだなぁって思ったんですよね。まぁそれくらいやれよってことなのかもしれないですけど。」

「いいえ、違うわ。労働基準法24条2項を知ってるかしら?」

「いえ、知りません……。」

「あら、夏厩くんは法学部なのに。」

似たようなやり取りは最近もあった気がする。大学での勉強がいかに社会の役に立つかということを今更ながら実感させられる出来事だ。俺が黙っていると、薫子さんはスマートフォンを見せながら、さらに話を続けた。

「フフ、冗談よ。ほら、これを見て。」

労働基準法24条2項
賃金は、毎月一回以上、一定の期日を定めて支払わなければならない。(以下略)

「年俸制は違法だったんですね。」

「正確に言うと、賃金の支払いが1年に1回というのが違法ってことね。だから年俸制を取りつつも、それを12回以上に分割して支払っている企業ばかりなのよ。」

「なるほど。だから月給制とほぼ同じっていうことなんですね。」

「そういうこと。」

「じゃあどうして年俸制っていう制度があるんですか?」

「うーん。正直別に理由は無いのよね。しいて言うなら1年間の人件費の計画が立てやすいってことくらいかしら。社員側も、自分の年収が分かりやすいっていうメリットは一応あるわ。」

「そのくらいなら月給制でもちょっと計算すればすぐに年収が分かるので、あんまり関係なさそうですね。」

「そうよね。あとは海外ではよく使われている制度だから外資系企業がよく利用していて、それに釣られて一部のベンチャー企業などで導入してるってことくらいかしら。成果主義と相性がいいなんて言われてるけど、月給制でも成果主義の会社なんていくらでもあるし、年俸制であっても年功序列色の強い企業もあると思うわ。年俸制だから給料を上げやすいとか下げやすいとかっていうことはないのよ。」

「たしかに比較的新しくできたIT企業などでよく見かける気はします。」

「そうよね。あと、よくある誤解として残業代がでないと思われてるけど、それも嘘よ。」

「あ、そういえばそう思ってました。嘘なんですか?」

「ええ。年俸制であっても1日8時間、1週間で40時間を超えたら残業代を支払わなければ違法。経営者でもわかってない人や、わかってるのにわかってないフリをしてる人がいるけどね。」

「知らなかったです。」

「野球選手とは違うのよね。どこまで言ってもサラリーマンは時間給の延長線上で生きてるのよ。」

「サラリーマンで裁量労働制が導入されてるのは相当年収が高い人だけでしたっけ。」

「そうね。それも本人が望む場合などの条件があるから、実質的にはほとんど使われていない。」

「なるほど。とりあえず新卒のうちはあまり気にしなくてもよさそうですね。」

「ええ、私はそう思うわ。」

「あと、残業代といえばみなし残業代とか固定残業代っていう制度もありますよね。」

「あるわね。」

「これってなんかブラック臭がしませんか?」

「どうして?」

「20時間の固定残業代を支払うってことは、それ以上残業があるってことだと思うんです。」

「なるほどね。固定残業代を払って企業がもとを取るためには、それ以上社員が働いてくれないと困るってことよね。」

「はい、そうです。むしろ21時間以上働いてくれてたら企業は得ですよね。」

「どうして?」

「固定分を超えたらは残業代払わないつもりなんじゃないですか?」

「うーん。」

そういって薫子さんは頭をかいた。

「どこから指摘するか迷うけど、色々違うわね。」

「違うんですか……。」

「まず、固定残業代が20時間分出るからと言って、21時間以上働いても残業代が同じということはないわ。残業代は通常の時給の1.25倍以上を残業時間に応じて支払わなければどうあがいたって違法。」

「ということは、10時間しか残業してない人にも20時間分の残業代を支払う一方、30時間残業した人には30時間の残業代を支払うってことですか?」

「そうよ。」

「じゃあ企業は損じゃないですか?」

「損よ。」

「そんなあっさり……。」

「夏厩くんは勘違いしてると思うけど、まともなホワイト企業は社員を違法に働かせようなんて考えてないのよ。むしろ、過労死したら困るとか、こっそり残業されて違法だと後で騒ぎになったら困るという風に考えてるの。」

「えっ」

「そこで、あらかじめ固定残業代を20時間支給するとどうかしら。残業0時間の人も残業20時間の人ももらえる金額が同じなわけよ。」

「それでしたら皆残業しないで帰りますね。」

「そういうこと。そうして社員の健康と会社の名誉が守られるって寸法よ。」

「残業代20時間分って結構な金額ですよね。過労死防止のためにそこまでの出費をするものなんですかね?」

「実際は残業0時間って人はあんまりいないわね。いわゆるホワイト企業でもなんだかんだ月間平均10時間くらいは残業してるんじゃないかしら。2営業日に1回、1時間程度って計算ね。」

「なるほど。まぁそれに慣れれば普通なんですかね。従業員側も絶対に残業ゼロにしたいわけではないっていうか。」

「そうね。逆に仕事中にサボることもあるし、その辺はあまりキッチリしない方が得なこともあるのよ。もちろん、ホワイト企業に限った話だけどね。」

「たしかに残業時間ゼロにこだわりすぎると、逆に休憩時間が長すぎないかっていう話になったりして墓穴掘りそうではあります。」

「そうなのよ。ホワイト企業だとある程度労使間で信頼関係ができてるから、あえてキッチリしない方がお互い得なこともあると思うわ。従業員側からすると、サボった代わりに残業っていう手法を使っても残業代がもらえるから得ともいえるけどね。」

「固定残業代って、そういうダラダラと無意味な残業をすることを防ぐという効果もありそうですね。」

「ええ。どうせ残業しても20時間までは給料が増えないと思うと、時間内にやり遂げようっていう気になる社員はいるわね。そういう意味でも、固定残業代は良い制度だと思うわ。」

「わかりました。ありがとうございます。年俸制や固定残業代へのネガティブな印象がなくなりました。」

「結局、労働基準法がある以上はどんな理屈をこねたって残業代は支払わないといけないのよ。で、まともな企業であればそれはちゃんと把握してる。もちろん従業員の無知に付け込んで制度を悪用してる企業もあるから、ちゃんと学んで自己防衛をすることね。せっかく法学部にいるんだから。」

「はい、頑張ります。」

 そこまで話したところで、仕事に戻る。今、全くバイトと関係のない話をしていたこの時間にも給料は支払われるのだろう。一方で、タイムカードを切った後でも急遽仕事があれば少しくらい手伝うこともある。これも労使間で一定以上の信頼関係がある企業であればあまりキッチリと考えすぎないほうが得なこともあるという一例だ。

 また、年俸制や固定残業代についても、しっかり残業代は支払われるのだと知って安心した。固定残業時間が長すぎる企業や、固定残業代がある代わりに基本給が低く抑えられている企業などもあるので、騙されないように引き続き注意することは必要であるが、一方で、しっかりしたホワイト企業における固定残業代はむしろ従業員側にも大きなメリットがあるだろう。色々と学べて今日も有意義な一日となった。

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