就活ガール#61 社会人は意外と楽しい
これはある日のこと、区役所に用があり一人で街を歩いていると、見慣れた後ろ姿を見かけた。
「よう、美柑じゃん。」
追い抜き様に声をかける。
「あ、音彦。何でここにいるの?」
「ちょっと区役所に用があって。あれ?」
よく見ると、美柑の隣にいた背の高い女性もこちらを見ている。もしかして、連れだろうか。一人だと思って声をかけたけれど、邪魔をしてしまったなら申し訳ないことをした。
「あら、あなた。」
美柑の隣に立つ女性に声を掛けられる。すらっとした細身のその女性の整った顔には、見覚えがあった。いつかのリクルーター面談でお世話になった市村さんである。
「あ、市村さん!」
「えっと……。」
「前にリクルーター面談でお世話になった夏厩です。」
「ああそうそう。夏厩くん。ごめんなさいね、名前覚えるのが苦手で。」
「大丈夫です。」
名前を覚えられない程度のことで一喜一憂していてもきりがない。俺からすると印象的な面談だったけれど、市村さんからすると仕事として何人も会っている学生の1人ということだろう。
「え、お姉ちゃん、音彦のこと知ってるの?」
「うん。この前リクルーター面談で会ったのよ。ね?」
お姉ちゃんと呼ばれた市村さんが俺の顔を覗き込んできた。どうやら市村さんと美柑は姉妹らしい。そういえば前に、美柑が姉の存在をチラつかせていたことがあった気がする。それに、言われてみると大きな目や整った鼻筋は似ているような気がしないでもない。でも、リクルーター面談での優しい市村さんと、いつも厳しい美柑では性格が全然違う。二人が高さの違うヒールを履いているので比べづらいけれど、身長だって20センチ近い差があるように見えた。
「なんで言ってくれないのよ。苗字同じだから気づくでしょ。」
3人でカフェに入り、席に着くと美柑が不満そうに言う。
「いや、美柑の苗字知らなかったし。」
「なんでで知らないのよ。」
「教えてくれなかったから。」
「聞かれてないのに教えるわけないでしょ。」
美柑の隣に座る市村さんが、俺たちのやり取りをニコニコと笑いながら見ている。料理が運ばれてくると、話は就活のことへと移って行った。
「それで、最近は順調なの?」
「全然よ、音彦、まだ内定ゼロだもん。」
市村さんの質問に、なぜか美柑が答える。
「そうなんだ。うまくいってないのかしら?」
「そうですね。最終面接まで行ったことはあるんですが、落とされてしまって。今もそこそこ持ち駒はあるんですが、この辺で一つくらい内定が欲しいなとは思いますね。」
「ってことは、うちは結局落ちてしまったのね?」
「はい。せっかく色々教えてくださったのにすみません。」
「ううん。仕方ないわ。結果は私も教えてもらえないから、ちょっと気になってただけ。美柑の友達なら個人的に聞けばよかったわね。」
「友達っていうか、私が一方的に教えてあげてるのよ。音彦のエントリーシートとか、本当にゴミみたいな文章書いてるんだから。」
「厳しいなぁ。」
「せっかくだし、何か私に聞きたいことがあったら答えるわよ。うちの会社はもう受けられないと思うけど、就活全般についてとか。美柑よりは優しく教えてあげられるわ。」
市村さんがそう言ってじっとこちらを見る。その横では美柑が不服そうな顔でごくごくとオレンジジュースを飲み干していた。しばらく俺が戸惑っていると、市村さんに再度促されたので、ずっと悩んでいたことを思い切って相談してみることにした。
「実は俺、だんだん自信がなくなってきてるんですよね。」
俺の言葉に姉妹が揃って顔を上げる。
「あ、いや、就活についてではないんです。就活は美柑がいつも丁寧に教えてくれるのもあって、あとは応募数さえ増やして途中であきらめることなく頑張り続ければ、最終的にどこかには内定できると思ってます。気にしてるのは就職後の方です。」
「仕事について行けるか不安ってことかしら?」
「そうですね。手前味噌なんですが、俺って白雪学園の学生にしてはそこそこ就活頑張ってる方だと思うんです。それで背伸びして身の丈に合わない企業に入ってもついていけるのかなって。」
「大丈夫よ。私だって白雪学園の卒業生だけど、そこそこの企業でなんとかなってるもの。今在籍している約1万人の社員の中で、白雪学園の卒業生は私と、この前一緒にリクルーター面談をした遠藤さんだけよ。」
「私だって似たようなものだけど特に不安なんて感じてないわ。」
美柑が市村さんの肩を持つように援護射撃をしてくる。
「市村さんとか美柑は優秀だからそうかもしれないですが……。」
「内定が出るってことは、周りの同期と同じ水準に達してるってことよ。Fラン生だからこの程度でも内定出そうかなんて基準は絶対にない。だからこそ、高学歴が良い企業に集まりやすいってわけ。」
「はい。理論上はわかってるんですが……。」
「なんとなくぼんやりとした不安があるってことね。」
「そうです。すみません。話しが抽象的で。」
軽く頭を下げて、パスタを口に運ぶ。自分でも何を言っているのかよくわからず恥ずかしくなってきた。
「それにね。社会人って意外と楽なのよ。」
「え、そうなんですか?」
「ええ。例えば世の中では、社会人になると休みが少ないとか、生活費だけで精一杯とか、仕事では嫌なこともしないといけないとか、いろいろ言われてるじゃない?」
「はい。」
「さっき言ったのは全部事実だけど、ちょっと極端すぎるとも思うわ。例えば休みが少ないっていっても多くの会社は年末年始、ゴールデンウイーク、夏休みくらいはそろってる。もちろん大学生に比べると少ないけれど、自分も周囲も一緒に減るわけだから、すぐにその生活に慣れると思うわ。」
「慣れの問題ですかね。」
「うん。それに、学生は宿題とかもあるじゃない? 社会人が仕事を持ち帰って家でやるとサービス残業っていう扱いになって大問題だから、基本的にそういうのはない。仕事に関することをやっている時間は全て給料がでるの。もちろん、誰よりも上を目指してやるっていう美柑みたいなタイプだと、個人的に休日も勉強したりするんだろうけどね。」
「当然よ。他人が休んでる時間に頑張るからこそ差が生まれるんだから。」
市村さんの言葉に美柑が力強く頷く。
「それから、お金がないっていうのも正直気にしすぎだと思うわ。もちろん企業によってはお給料が少ないこともあるけど、中小企業であってもボーナスが出ない企業っていうのはあまりないわ。そもそも日本の企業の99パーセントは中小企業だけど、人口比でみると30パーセントは大企業やそのグループ会社の社員なの。だから、上を見過ぎたり特別贅沢な生活をしなければ大丈夫。ボーナスは本当に嬉しいものよ。だって、普段の月給と別にお金がもらえるんだから。ボーナス支給がある月は月給とボーナスの二重取りよ。」
「たしかに、そう考えればボーナスっていい仕組みですよね。」
「うんうん。給料1、2か月分であっても、普段の月給とは全く別に支給されるから、自由に使おうと思えば全額自由に使える。欲しいものはたいてい買えると思うわ。」
「それから、嫌な仕事をしないといけないってのも、そこまで気にしなくていい。」
「そうなんですか?」
「どんな仕事でも基本的にはチームプレイだから、少なからず助け合いなのよ。人によって得意不得意があるから、それらを考慮して業務を配分するのも上司の仕事だし。それに、夏厩くんなら周囲の人とも仲良くできるんじゃない?」
「その自信がないんですよね。まわりが優秀だと俺だけ無能と思われそうで……。」
「みんな不安に思ってるからこそ助け合えるから大丈夫。人間ってそこまで怖い生き物じゃないわ。」
「ありがとうございます。」
「それに、大きな会社であればあるほど、自分が失敗したって全体には影響がないのよ。冷静に考えればわかると思うけど、一人が仕事を失敗したせいで会社が傾くって相当危険じゃない?」
「たしかにそうですね。」
「転職とか産休とかもそう。誰がいつ長期離脱するか分からないけど、それでもうまく業務が回るようになってるのよ。」
「俺、コンビニのバイトしてるんですけど、一人いないと他の人が超大変なんですよね。」
「コンビニだと同時にバイトに入るのはせいぜい数人だし、接客は絶え間なく続くから大変そうね。でも多くの仕事の場合はリアルタイム性をそこまで求められていないわ。例えば上司への報告は一緒に仕事をしてる同僚に任せてもいいし、体調が悪いなら営業は明日行けばいい。他人に厳しくすると自分も厳しくされて損だって皆わかってるから、意外と優しいわよ。」
「ありがとうございます。元気がでてきました。」
結局、この日は2時間以上にわたり、市村さんと美柑に悩み相談をすることになった。もしかしたら俺は少し悲観的になりすぎていたのかもしれない。たしかに、就職した後も頑張り続けないといけないのは事実だし、周囲の人に甘えてダラダラ過ごすことはよくない事である。しかし、本当に辛い時は皆で助け合えばよいし、社会というのは意外とそういうようにできているのではないか。
少しでも良い会社に就職した方が、良い仲間に恵まれる可能性が高いだろう。そのためにも、今は踏ん張り時である。この日家に帰り、明日書こうと思っていたエントリーシートをその日のうちに書きながら、そんなことを思うのだった。
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