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不登校を克服するために ー 子どもを愛する親ほど、気づかずに踏み外してしまう「親の法律」というもの

「親の法律」と聞くと、「なんだ、それは!」と思われるかもしれません。もっともなことです。今回、林 礼子さんの「母さん、早く学校に行きたいよう!」(講談社出版サービスセンター)の中の第8章「素直な子どもにする(母親の法律)」をクローズアップして紹介します。

「母さん、早く学校に行きたいよう!」は、小学生の不登校を克服するために書かれたものなのですが、この8章が伝える内容は、「全ての子育てをする親(保護者)に、ぜひとも一読してほしい」ものだと確信しています。

最も読んで頂きたいのが、「自分の子どもをとっても大事に考えて、自分のことよりも、子どもを優先させるような親御さん」なのです。実は、そのような親御さんが、「良かれと思って日頃していること」が、結果的にその愛すべき子どもを苦しめている元凶となっているのですが、そんなことは、まず夢にも思わないでしょう。
同書は、その具体例を「小学生の不登校」で説明しています。

私自身も少し同じような思いをしたことがあるのですが、愛する我が子がそのような状態になると、当然、愛情深い親ほど、「どうにか解決したい」と必死になります
その結果、学校や様々な相談機関に相談し、何が原因かを探ろうとします。そして、その原因・要因を取り除くためにありとあらゆる努力をします。原因がはっきりしない場合には、子どものそういう状態を無理にでも受け入れ、長い忍耐を持って、(そういう状態)と付き合っていこうとします。
結果は個人差はありますが、事態は改善することなく、長い年月だけが過ぎてゆきます

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わたしも含めてですが、『まさか、自分がこれまで、子どもの事を精いっぱい考えてやってきた態度や言葉が、その原因だった』という考えに行きつくことはまず無いでしょう。それは親にとって、本当にショッキングなことですから。
「教師に問題があるのではないか?」「クラスメートや部活の仲間に恵まれていないのではないか?」等と、つい思ってしまうのです。

もちろん、世の中には許されないような「いじめ」のケースもありますし、問題のある教師もいるでしょう。しかし、「これといった原因が思い当たらない」のに、自分の子どもが、不登校であったり、または執拗に反抗的な場合は、上記の原因を誰もが疑うべきと考えます。
記事を長くすることは本意ではないので、先に結論を述べておきます

『 常に関心を持つが、けっして子どもを扱いせず、一人の尊重すべき存在であるというスタンスで接すること 』です。

「いつも子ども扱いして、何かといちいち、口出しする」は嫌がられる親の典型です。「子どもに関心が無い(見ようともしない)し、何も言わない」は、単なるネグレクト(育児・教育放棄)です。

我が子に愛情深い親ほど、注意深く子を見守り、何かの機会ごとにアクションを起こします。
特に母親は、我が子を身籠ってからは、母性本能とともに我が子を守ろうとします。その本能が無ければ、我々がこの世に誕生してくることさえ、かなり困難なことになってしまうでしょう。
乳幼児期の常に病気の危機に晒される時期を乗り越えることは難しくなるでしょう。

しかし、母親であれ父親であれ、この『 常に関心を持つが、けっして子どもを扱いせず、一人の尊重すべき存在であるというスタンスで接すること 』を身に付けなければ、その我が子を愛するがゆえの行動・態度が、知らず知らずの内に我が子を苦しめていくことになります。
親の深い愛情は、「諸刃の剣」なのです。

それでは、その第8章「素直な子どもにする(母親の法律)」林 礼子著 「母さん、早く学校に行きたいよう!」(講談社出版サービスセンター)よりを一部ですが、詳しく掲載してみます。もちろんここでは「母親の」の部分を「父親の」や「保護者の」「親の」に換えてもらって結構です。

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「 第八章 素直な子どもにする 母親の法律 」

(一部抜粋、一部表現を変えています)

・・・特にこの「母親の法律」というのは、「母親には、母親としての人権がある」、「子どもにも、子どもとしての人権がある」ということです。それを家庭内で認め合いましょう、ということです。
これらの「法律」に違反されることは、「子どもの人権を侵すもの」と私たちは考えています。
特にこの項で大切なのは、お母さんは「言うのではなしに、子どもの言うことを聞く姿勢を持つ」ということです。
特に学校に行っていない子が、母親と話していることについては、一般の指導機関ではいいように言われますが、私たちは反対しています。
なぜなら25歳以上も年上のお母さんとばかり話していて、自分の思うようにしてきたら、いざ学校に行こうとしても、行っても同年代の子どもに、どう話していいかわからなくなります。
つまり同学年の子と合わなくなるのです。これが怖いことですよ。
子どもは学校でまず、「話す姿勢より、聞く姿勢が大事」ですよ。

第1条 命令・指示はしない ・・・素直な子になりません

〇「七時よ、早く起きなさい」「目覚まし鳴ったよ」と、毎朝起こしていました。この子は朝起きが悪い子だと親が決めつけて、起こしていました。子どもはだんだんと朝起きられなくなり、ついには体をゆすらないと起きないようになってしまいました。その挙句、「わかってる」、「うるさい」などと言われてしまいました。

〇リビングにカバンが夜になってもそのまま置いてあるのを見て、「自分の部屋に持って上がりなさい」、「宿題も早くしなさい」と言っていました。子どもは「朝、宿題をするから、そこに置くのが便利」と言い訳をして、親の思い通りにはなりませんでした。

※このように「命令、指示、提案」を多く使っていますと、ある時期は子どもが素直に動いているように見えていても、だんだんと動かなくなったり、無視をするようになったりします。
そして、何よりも怖いのは、この子に「自立心」が芽生えないことです。

子どもは首を振っていればよく、自分では何もできなく、「おかあさーん、あれしていい?これしていい?なにするの?どうするの?」と自分ではなにも判断のできない子にしてしまいます。その結果だんだんと同年代の子より幼くなっていき、学校で友達と合わなかったり、いじめの対象になったりしますので、特に注意が必要です。

第2条 脅迫・注意はしない

〇「勉強しないと、高校には行けないよ」とよく言いました。ところがちゃんと高校に行きました。

〇「ゲームしすぎると、攻撃的な性格になって、「早死にするよ」などと言いました。でも子供は気遣い性の気の弱い子に育ってしまいました。子どもがだんだん大きくなるにしたがって、こんなことは「百害あって一利なし」でした。

第3条 説教はしない

〇制服のボタンが、とまっていない時に、「だらしないよ」「合わせなさい」「制服をきちっとしないと、きとっと見えないよ」などと言いました。「別にいいやん」「後でする」などと、こんな言い訳をする子に親がしていたんですね。

※子どもは「うん、わかった」と言うでしょうが、実際には母親の様子をうかがいながら行動を変えようとはしません。

子どもから見て「お母さん、今日はちょっとご機嫌が悪いな」、「ちょっと首をすくめておこうか」ぐらいにしかなりませんし、「お母さんの言ってることわかった?わかったわね」と言っても、子どもからすれば「お母さんのうるさいのがわかった」ぐらいでほとんど効き目がありません。
子どもはひたすらお母さんが「嵐から晴れ」になるのを待っているだけです。だって夜になると機嫌よくご飯をつくるのですから。

第4条 提案・忠告はしない  お母さんは普通、この「提案」が一番多いのです

〇子どもが「お茶が熱い」と言ったらすぐに「氷入れたら」と言っていました。高学年になると「入れようと思ってたんや」という言い訳が返ってきました。また、「栗ご飯嫌い」と言ったら、「栗のけて食べたら」、「味噌汁苦手」と言ったら、「中の具ふだけ食べたら」などと、すぐに言ってしまっていました。間違ったことばかり言ってました。

〇学校を休んだ日に、「明日の予定がわからんわ」と言いました。すぐさま「〇〇君に聞いたら」、「〇〇君でもいいし」などと言っていました。子どもが考えかけている時に、先さき提案して自分で判断する力を奪っていました。

〇子どもが「部屋が寒くて勉強しにくい」と言ったら、すぐに「下の部屋にコタツあるし、下でしたら」、「電気ストーブ持っていったらどう」、「コタツ出そうか」などの提案が口から飛び出していました。 「部屋が暑くて寝苦しい」と言ったら、「窓を少し開けたら」、「扇風機のタイマーかけて寝たら」などの提案をしていました。結果、「朝まで窓を開けて寝冷えした」、「お母さんのせいや」と人のせいにされてしまったり、「タイマーが壊れていて、体の調子が悪い、扇風機のせいや」などと言わせてしまいました。

第5条 尋問・質問はしない

〇夕食時に、「今日はどこで遊んだ?」、「誰と遊んだん?」などと土日に家でゲームをしていると、「今日はそとで遊ばないの?」、「友だちと遊ばないの?」、朝食を残すと、「食欲ないの?」、「食べる元気ないの?」、「ジュースの空き缶があると、「ジュース飲んだの?」、お菓子の袋があると、「食べたの?」と、子どものすることにすぎ質問や尋問をしていました。

その結果、最初の頃は話すこともありましたが、しだいに「べつに」というしらけた答えが出るようになったり、「なんで僕やと決めつけるねん」と反発させたりしていました。
うそをつくような子どもにしたり、適当に答えたり、反発する子にしてしまいました。今思えば、馬鹿なことをしていました。

第6条 勝手な想像はしない

〇子どもが朝、「食べたくない」と言っただけで、「ゆうべたくさん食べたからかな」と想像してみたり、「寒い」と言っただけで、ゆうべお布団かけて寝たんだろうかと想像してみたり、遠足から帰ってきて、「ああーしんど」と言っただけで、「疲れたんだろうか」などと想像してみたりと、日常生活で親が勝手に想像していることがたくさんあります。それらは子どもの心とは全くちがっていますので注意が必要です。

第7条 反対は言わない

〇「お母さん、僕可愛くないの?」、「可愛いよ」。「お母さん、怒ってる?」「怒ってないよ」。「お母さん、しんどいの?」「そんなことないよ」。などと、子どもの言っていることに「反対」のことを言うお母さんが非常に多いのです。

しかし、これも子どもの言っていることを認めない言葉です。
子どもがこんなことを言った時に、「あらっ、そんな風に見える?見えた?」と答えて、子どもが「どうしてそんなふうに見たんだろう」ということをお母さんが考えるべきです。

第8条 子どもには謝らない

〇よく、「お母さん遅い」、「なんでこれ食べてしまったの?」、「なんで買ってきてくれなかったの?」などと子どもに言われた時に、「ごめん、ごめん」とすぐに謝る母親がいます。

なにか落ち度があった時には「あやまる」のが正しいと思いがちですが、学校や社会では友だちがそんなに簡単に謝ってはくれません。
お母さんが謝るような癖をつけてしまうと大変なことになります。学校に行っても友だちに謝らそうとしますし、35歳のお母さんが10歳の子どもに謝っているなんておかしいことです。
また学校でなにかもめごとがあったり、片方に落ち度があった時にも。「ごめん」と謝った方がいいように思いますが、「ごめんですむのか」ということで、結果はよくありません。
それよりも、「お母さん遅い」→「遅かったね」、「なんでこれ食べてしまったの」→「あらっ、食べてしまったわ」ぐらいにすべきです。

第10条 子どもはほめない

よく昔から「ほめて育てる」という言葉がありますし、学校の先生方も、「よいことをした時などは、しっかりとほめてあげてください」とおっしゃることもあります。
それなのに、「ほめてはいけない」とはどういうことでしょうか?
実際に子供に「ほめる」言葉を考えてください。家事を手伝ってくれたから? 洗濯物を取り込んでくれたから? 早く起きたから? 「えらかったね」とほめてあげたいのでしょうか。
しかし、日頃のお母さんは、「ほめて、おだてて、嫌味を言って、叱って」と、こんな目まぐるしい中でほめてもらっても、子どもはちっともうれしくはありません。
たとえ学校のテストで100点を取っても、「えらかったね」と言うと、2~3回目には、だんだんと冷めた答えが返ってきますし、そんなことより、「あらっ、100点!お母さん嬉しいわ!」という温かい気持ちを伝えた方がいいのです。
ましてや毎日学校に行けなくて家にいる子に、「ほめる」言葉なんてないと考えてください。言葉でほめうより、心で「うれしい」という表現をすべきです。

第11条 子どもは叱らない

〇この「叱ってもいけない」も、「アレッおかしい」と思われますね。今までの子育てでも、学校の先生にも、「何か悪いことをしたら、きっちりと叱ってください」と言われていたはずですね。みんな何か悪いことがあれば、「叱らないとダメ」と思っているはずです。

しかし、一度「叱る」について考えてみて下さい。どんな時に叱りますか?ゲームをやりすぎた時? 朝起きない時? きょうだいゲンカをした時?部屋を散らかした時? 何か失敗をした時?まだまだ幾らでもあると思います。

ここで考えてみてください。先に書いた、叱らなければならない子どもに誰が育ててきたのでしょう。「ゲームも適当にやめる子に、どうして育てられなかったのでしょう」。「朝ちゃんと起きる子に、誰が育てられなかったのでしょう」。
また失敗については、小さい子は失敗の連続で、その失敗から成長してゆくのです。小さい失敗ぐらいで叱ってはいけません。家が壊れたりするような大きな失敗はしないはずです。
このように考えてみますと、「ゲームばかりする子に育ててしまって、ごめんね」。「朝起きられない子に育ててしまって、ごめんね」。、などと逆に「子どもに謝らなくてはならないのではないでしょうか」

こういう考えから叱ってはいけないのです。叱ってもその時だけ、あとはケロッとしたもんで、「叱られ慣れ」した子どもにしたら大変です。学校で先生から叱られても、「うるせーな」ぐらいの顔で先生を見るだけになります。また、子どもが大きくなるにつれて反抗するようにもなります。
また父親が叱ることについても同じ考えです。

第12条 言い訳はしない

〇お母さんが日常生活で「言い訳」をしていますと、子どももきっちり言い訳をする子になります。

「お母さん、遅かったね」、「うん、・・・・していたから」、「お母さん、ちょっとしんどそうね」、「うん、昨日働きすぎたからね」などと、ただ「うん」とさえ言っていたらいいものを、言い訳するお母さんがたくさんおられます。
このようなことを言っていると、必ず子どもも友だちや先生の前で言い訳をして素直になりません。特に注意すべきです。

第13条 先さきものを言わない

〇私たちがお母さんを指導している中で。子どもより「先さき」にものを言うお母さんがいかに多いかです。待ちきれない様子です。

また、先さきものを言ってあげることが、子どもへの新設とでもかんちがいされているのでしょうか。子どもは小さいのですから、何か言ってくるで待ってあげることが必要です。
「尋問、命令、指示」などもみんな「先さきものを言っていること」になりますよ。注意してください。
子どもが自分で考えて、そして行動するまで親はじっと見守ることが必要です。だって小学生が危険なことなどしないのですから。

第14条 子どもの機嫌をとらない

〇子どもの機嫌が少し悪い時や、すねた時には母親が気遣ってなだめたり。機嫌をとったりしないことです。だって学校や社会などでは誰も機嫌などとってくれません。機嫌が悪くても、すねていても、そっとしておけばすぐに元にもどってることに気付かれるでしょう。

第15条 子どもの好みを聞かない

〇母親は子どもが大好きです。何でも子どものためと思うのは当たり前です。「〇〇ちゃーん、今日の夕ご飯はなににしようかな、食べたいものある?」「買い物に行ってくるけど、なにかほしいものある?」レストランでも「なにか食べたいものある?」などと子どもの好みを聞いてはいけません。食事の事なら母親が日常の事を考えて、母親自身が考えてそれを作ればいいのです。
あんまり聞いてると、「お母さん、今日のおかずこんなの?僕いらない」などのわがままが出てくるし、一番大切なのは、社会や学校では好みなんか聞いてくれません。次には給食でも。「あれ嫌い、これ嫌い、食べられない」になってしまいます。

要は子ども本位にしないことです。

第16条 子どもの評価をしない

〇よく母親は先生になって評価をしたがります。「よくできてるじゃない」、「よくやったべ」、「もう少し、ここはこうなのよね」と。

子どもの小さいうちは、いい評価をもらうと喜ぶでしょう。しかし、そんな甘いものではありません。だんだんと難しくなるとできないこともあります。
うっかり「よくできてるじゃない」などと言いますと、子どもから「あんまりよくできてないよ」と切り返されてしまいます。
母親が子どもの評価をしないことです。

第17条 見たらわかることを言わない

〇「起きてたのね」、「もうご飯食べたのね」、「お風呂入ってきたの」、「帰ってたのね」などと、見たらわかることを子どもにいってはいけません。「起きてるからここにいるんだよ」の答えが返ってくるし、ご飯にしても食器を見れば食べたかどうかわかることですし、お風呂にしてもわかるはずです。
このように見たらわかることを母親が言っていることがたくさんあります。注意すべきです。

第18条 母親側の事情は言わない

〇子どもは本当によく母親のことを見ています。うっかり何もしゃべれないぐらいです。

「ああーしんど」、「疲れた」、「眠い」、「腰が痛い」などの言葉は不用意に子どもの前で言うものではありません。すぐに子どもが真似します。
母親側にもいろいろと事情があります。しかし、35歳のお母さんが、何も10歳の子どもの前で言う必要がありません。 
「疲れたのならどうして休息をとるか」、「眠いのならどうするか」、「頭が痛いのならどうするか」を自分で考えたらいいので、決して子どもの前では言わないように心がけてください。
こんな些細なことが子育てでは重要ですよ。

第19条 すねる子をつくるな、すねたらなだめるな

〇よく「すねる子」がいます。こんな子は学校でも先生や友達が「やりにくい子・つき合いにくい子」として、必ず友だち関係に問題が起こってきます。

何か母親が言った時や自分の要求が通らない時などに、すぐに「すねる」子がいます。もちろん母親がスネさせたと解釈するのですが、よく母親が「スネさせて」おいて、後でなだめることをします。「ネェ、気分直して」、「ご飯できたよ」などと。
しかし、学校や社会では誰もなだめてくれません。
「すねる子」なんて誰もつき合ってくれません。
すねたら気分が治るまでそのままにしておくのです。そのうち気分を取り直して、ようっすを伺いながら出てきますので、特に「なだめる」ことが一番悪いことです。

第20条 何でも母親に聞いてくる子をつくらない

〇「お母さん、これ食べていい?」、「お母さん、テレビ見ていい?」、「お母さん、今日のご飯は何?」などと、何でも母親に聞く子どもがいます。

このような子どもは、自立心が不足していて、ン根鈴より幼く育てているのです。このように幼く育ててしまいますと、学校で自立している子どもと遊んだり、話題を合わせたりすることができません。
今まで母親が、「あれしなさい」、「これはこうするのよ」、「これ食べなさい」、「お風呂わいたよ」、「もう寝なさい」などと、子どもが考える前にいろいろと先に口走ったために、自分で何かすることや考えることができなくなった幼い子です。
年齢相応に自分で判断して行動する子にしないと、そのまま幼いことを言ったりしていますと、学校で格好の「いじめ」の対象になります。
おかあさん、家庭教育は年齢相応に育てましょう。

第21条 親はうそつかない

・少年野球に行く時に、弁当のおかずに文句を言われました。「そんなに文句を言うのなら、もう弁当は作らないよ」と言いました。次の練習試合の時は作っていました。真っ赤な嘘うそでした。

・子どもが買ってほしいと言うので、しぶしぶ買いました。そして「もう、これっきりよ」と言いました。一か月後にまた買ってほしいと言われ、前に買ったのを忘れ買ってしまいました。言ったことを忘れ、「お母さんは何でも言ってるだけ」と思わせてしまいました。

・「おかずもみんな食べないと大きくならないよ」などとよく言っていました。こんなこと言わなくても大きくなってきました。真っ赤なうそを言っていました。

このように「母親の法律」を考えていきますと、「今まで、よかれと思ってしてきたことが、みんな逆ではないの?」と気付かれるはずです。
そうです、今まで世間で言われてきたことや自分の思ってきたことや自分の思ってきたこととはまったく正反対なのです。
これが相談所の先生もお医者さんんも教えて下さらないことです。克服した母親だからこそ教えられるのです。
あなたの家庭の朝から晩までの出来事(これらは毎日繰り返されます)にどう対応するかを少しお教えするだけで、子どもは見違えるほど素直な、元気な子になりますよ。
お母さん、今までの間違いに気づいてくださいね。克服した母や尾が言うのですから、間違いありません。

ーーー以上、同書より

結びに。
この21か条のことばを聞いて、どう感じるかはそれぞれ人の自由です。
しかし、不登校や子どもとの不和など、子どものことで悩んでいる方にとっては、必ず何らかの「鍵」を与えるものだと思います。

また、子どもとの関係にとどまらず、人と人の間に存在する「教育」や「人間関係」にもあてはまる法則であり、その意味でも一読の価値があるものだと確信しています。
私はかつてほぼ野生の馬の調教に挑んだことがありますが、その経験からも通ずるものがあります。もちろん馬には「言葉」なんて意味が無いですから。
馬との信頼を築くものは、言葉などではありませんので。

もう一つ、なぜ現代でこのような家庭問題が深刻になってきたのか?
それはやはり、各家族や地域の教育力、コミュニティが衰退したことと関係がありそうです。「文章にしなくても、伝えられていたこと」が世間の表面上から消えていたと言い換えてもいいかもしれません。

もし、何らかの問題を解決したいがために、ここまで読んでくださり、この記事が少しでもなんらかのヒントを提供できたのであれば、この記事を書いた甲斐があります。
もっと詳しく読んでみたいと思われる方は、同書を手に取ってみてください。
私が初めて読んだのも、熊本市のある小さな図書館で借りたものでした。

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