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現実は、ゼロリセットでは終わらない。(テレビドラマ「17才の帝国」を観て)

話題になっていたNHKのテレビドラマ「17才の帝国」を観た。

予告では不協和音のBGMがビリビリと鳴り、アイキャッチの画像のような支離滅裂なカオスが起こり続けるエンターテイメント作品(スリラーっぽいというか)かと思いきや、無難な落とし所で終わってしまったというか、それっぽいリアリティを重視してしまったんだなという印象だ。

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設定が奇抜だったし、スタッフやキャストが魅力的だったので期待感は高かった。

AIが統治する行政特区の自治体。それを17才の主人公をはじめ、20代の若者たちが行政を担っていく。「地方議会の廃止」とは、ありきたりな発想ながらも間違いなく不協和音を生みそうな仕掛けではある。

「これは楽しそうかも」と思ったけれど、主人公の万能感が最後まで傷つかず、「結局いちばんの悪者を退出させて終わりか」という、半沢直樹的なストーリーに拍子抜けしたのが正直なところだ。

レイ・ブラッドベリ『華氏451度』などにみられるゼロリセットの考え方。

全てがリセットされて世の中が新たになるという筋書きだが、これは多くの識者が批判する「ゼロリセット信仰」と呼ばれている。悪者がいなければ、世の中は良い方向に好転するはずだ。現実でも、分かりやすい悪役を探して必要以上に糾弾するという状況は続いている。

そんな思想はよく叫ばれがちだけど、そんなに上手く世の中は好転しない。なぜなら、だいたいがヒューマンエラーのもととなったシステムの課題であることが多いからだ。森喜朗という人を組織委員会から退場させても、組織委員会はポンコツのままだったように。だがえてして、問題の本質には触れられない。

なんでこういうことが起こったのだろうか。

それはNHKが作ったドラマだから、というのは簡単だけど、「政治」をテーマに扱う限り、構造的にそういうある種勧善懲悪な話しかウケないと思われていたからではないか。そして何より、スタッフ陣の政治リテラシーが低く(あるいは本質的な議論がまとまらず)、無難な落とし所として、ゼロリセット的なストーリーにしか収まらなかったのではないだろうか。

この作品はそもそも、「AIが政治を行なえるのか」といった視聴者の興味に応えていない。それは単純にゼロイチで語られることではないけれど、最終的にAIが中心となった施策が「オッケー」とされてドラマは終わる。

それが結論でももちろん構わない。

だが、そこに至る結論が雑だし、主人公が職を追われたのは個人的資質といったヒューマンエラーによるものだったと半ば強引にされているのは、奇しくも日本人の政治リテラシーの低さを露見しているようにも思う。

ドラマは、どうやら評判が高いらしい。そもそも、この「テレビ」というメディアで誰の評価が高いのだろう。その評価の高さは、どんな意味があるのだろう。

やや辛口かもしれないが、わりとハッピーエンディングな結末を目にして脳裏に浮かんだのは、出口の見えない日本という国の不透明感の行方だった。

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ほりそう / 堀 聡太
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