文化祭の思い出
noteで文化祭。
実行委員の私も書いちゃうよ〜😆
まずは、こちら。
思い出コーナーに参加します。
文化祭の思い出…。
まずは中学生の頃。
私は2年生の時に弁論大会に選ばれました。
うちの中学は田舎にあるとても小さい学校だったので、各学年1クラスのみ。
確か、各学年2名が選ばれ計6名が弁論大会に参加したように思います。
朝早くに学校へ行き体育館でマイクを使った練習もしました。
私の前に、1つ上の男の先輩が練習していました。
自分の論文の内容は1つも覚えていないのに、35年経った今でも彼の論文は覚えています。
「あれは確か」というフレーズで始まります。
「あれは確か、小学5年のある日のことでした。居間に行くと父のタバコが置いてありました」
すると、練習の場にいた1つ上の先輩の友達が口々に歌い出します。
♪あれは確か〜2年前の〜雨降る夜に〜
小柳ルミ子さんの『今さらジロー』をみんなが歌い出すのです。
もうそうなると、練習が進みません。
「お前らもうやめろって」と言っても最初のフレーズの「あれは確か」と言うと歌い出します。
何度も何度もリピートアフタミーです。
面白くないことも面白い時期です。
仕方ありません。
せっかく早く行っても私の練習する時間はほぼなくなりました。
もう💢と思っても彼はイケメン(←関係あるのか?)
しかも面白い(←関係ないよね?)
私のタイプではありませんでしたが、イケメンに弱い私は、怒ることは出来ませんでした。
しかもそのお兄さんはもっとイケメン。
さらに私好み💖(←もっとも関係ないけど)
仕方ありません。
全然関係ないけど、『今さらジロー』のそのイケメン先輩は、バレンタインの日に必ず大きな紙袋を持って学校に来ます。
そして必ずその袋いっぱいにチョコを入れて帰っていました。
小さな学校なのに、なぜあのくらいのチョコを手にすることが出来たのか不思議でした。
けど、本当にモテモテの先輩でした。
小泉孝太郎に少し似てるかも。
記憶は定かではありませんが…。
話も面白いし、性格もいいし、頼りになる先輩でしたね。
では、話もズレまくって来たので、高校の文化祭の話に移ります。
高校の頃私は演劇部に所属していたので、文化祭は大忙し。
みなさん、照明っていじったことありますか?
ガラスの仮面で月影先生に落ちてきたあの照明。
あれを体育館のステージに準備するんですけどね。
うちの高校の設備のせいなのか、照明をつける棒があるんですけど、その棒に着ける照明のアンペアだとかワットだとか、ちょっとわかんないんだけど、数字が決まってるらしいんですよ。
照明も色々あるらしく、配置を考えて取り付けないといけないのです。
それを超えると、ボンッとショートしてしまうのです。
ブレーカーが落ちるみたいな…。
落ちるだけならいいんですが、ボンッといったら、もうその照明は使えなくなるのです。
私は、全ての照明器具を使えなくさせてしまいました。
私の母校のステージの照明を使えなくさせたのは、私です。
先輩の説明もよくわからなかったし、私は理科が苦手なのです。
ワットとかアンペアとかわかりません。
仕方がないですね。
私の代から文化祭では、町の電気屋さんに来てもらい、照明を借りるようになりました。
もともとあった学校の照明よりも弱々しい灯りでしたが、面倒な設置をしなくても良くなり、効率は良くなりました。
町の電気屋さんの照明は全てくっついてるタイプだったので、置くだけ。
しかも明かり調整が簡単。
いいとこづくし。
さらに照明を生徒がいじるのは危険ということで(ボンッとやらかすから?)文化祭の日は、町の電気屋さんが照明係をやってくれるようになりました。
ありがたいですね。
そう。
文化祭の思い出といえば、後夜祭も思い出深いですね。
私の学生時代は、バンドブームということもあり、後夜祭でバンドを組んで演奏する人たちもいました。
いわゆる一軍ってやつですね。
私も友達にキーボードやって欲しいと頼まれたことがありましたが、楽譜も読めないし、リズム感もないし、指も短いので全力でお断りしました。
しかも私、アマチュアの三軍ですし。
バンドなんて、ムリムリムリって話です。
私は照明を当てる係。
これくらいがちょうどいい。
これはボンッて飛ばないやつ。
スポットライト的なやつ。
色のついた羽をくるくる回して盛り上げます。
バンドを組まずに、カラオケをする人もいました。
バンドやカラオケでキラキラする人たちがいる一方で、少し違うタイプの人もいました。
「松山千春」が大好きな同級生。
彼は毎年、松山千春だけを熱唱していました。
彼の名前も顔も覚えていませんが、松山千春が好きということと『ハゲしいな櫻井くん』という漫画本を持っていたことは覚えています。
あまり話したことがなかったのですが、その漫画本を借りた記憶があります。
あ、あと『柔道部物語』という漫画本も彼から借りましたね。
彼の独特のセンスはなかなか良かったのです。
それだけは覚えています。
あと、普段おとなしくて目立たない男子が「22歳の別れ」というマニアックな歌を地味な振り付けをして歌った時は、度肝を抜かれました。
会場の大爆笑をかっさらっていき、面白いことを面白いですよーとやるだけが、人を笑わせるのではないんだいうことを彼から教わりました。
その彼の名前も顔も覚えてませんが、彼の地味な振り付けのステップは未だ覚えています。
『文化祭』という非日常的な場が、いつも地味で目立たない彼をスターにのし上げた、そんな感覚にもなりました。
が、文化祭も終わるとやっぱり彼は地味で目立たない元の姿に戻ってました。
あんなに客の心を掴み、わっしょいわっしょいされたのに、それに踊らされることなく、冷静になれる彼を私はこれまた尊敬の眼差しでこっそりと見ていました。
私なら有頂天に登って天狗になっちゃう。
続いては、会社での文化祭。
うちの会社、昔景気が良かった頃は文化祭というものをやっていたんです。
各職場で、絶対参加ではないけど、職場の紹介みたいなものを模造紙などを使って作り、それを体育館に飾り、お昼休みや帰りに見るのです。
その展示するために、担当に選ばれた人は、勤務時間中、仕事もせずにそんなことを堂々とやれたのです。
お金にも時間にも人にも余裕があった時代ですね。
その上、それらをやった人には、何かしらの商品がもらえたりするんですよ。
仕事しないで、さらに商品もらえるってラッキーでしたね。
今ならパソコンなどで作るんでしょうけど、あの頃は手書き。
マジックで書いたり、写真を用いてペタペタ貼ったり、ザ・アナログって感じ満載。
それはそれで楽しかったです。
最後は娘の高校の頃の文化祭。
私は役員をしていたので、PTA役員として、バザーに参加。
それもまた楽しかった〜🥰
学生時代に戻った感じ。
寄せられたバザーの品々にいくらにするか値段を決めたり、当日どこにどう置くかとか。
売るのは基本、生徒たち。
お母さんたちは、所詮裏方。
なのですが、中にはめちゃくちゃ張り切って、生徒たちよりも声を出し、率先して売りまくるお母さんもいました🤣
そのくらい楽しかったんでしょうね。
共通して言えるのは、どれも準備段階から楽しかったこと。
中学の文化祭なんて、何か調べて教室に展示するだけだったけど、それも楽しかった。
いっつもふざけてる男子も最後の最後に絵を描かせたらめちゃくちゃ上手かったとか、大きな字を書くときに、物差しを使って上手に書いてくれたり、意外な一面が見れて面白かった。
高校も何を展示したか忘れたけど、話したことないクラスメイトも一緒に作業するうちに話すようになったり、ツンケンしてるのかと思っていた子が、こんなことに笑ったりするんだって気づけたり。
なんか、文化祭っていいなって思ってた。
以上、大したオチもないららみぃたんの文化祭の思い出話でした〜‼️
最後までお読みいただきありがとうございました😊
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