映画『あんのこと』を考え込む
現在上映中の『あんのこと』
実話を描いた作品は予備知識がなくても、
ネタバレを読んで映画を観ても深く心へ拡がる。
《 映画 あらすじ 》
主人公・香川杏は21歳。
違法薬物で逮捕され、刑事の多々羅に出会う。この出会いは杏の未来や居場所を作る安寧に繋がった。
多々羅は大胆な距離感がない刑事。ダルクでヨガを教えながら弱者を支援している。
ダルクには週刊誌記者・桐野もおり、杏は二人からの支援で母親からの暴力から逃れ、職も得て、夜間学校へ通う。
しかし世界中にコロナウイルスが蔓延し、杏は職を失い学校も閉鎖してしまう。
ある朝、杏の元へ同じマンションの住人が子どもを押しつけ逃げてしまい、
杏は子ども・ハヤトとの暮らしが始まる。
《 ネタバレ・考察・感想 》
私の中で正しさが混乱し、『正しい』の渋滞。
どれも正しいかもしれない、でも間違っている。
明らかに間違っている、でも死ななかったかもしれない。
私に強く残るのは、杏の実家は団地で、部屋はゴミ溜め。ゴミの中に祖母がいて、杏の母親は男を連れ込む。この僅かなシーンだけで「あっ察し……」
母親は杏が12歳から売春をさせ、16歳から違法薬物に手を染める。毒母からの暴力は日常で、祖母が庇うなどない。
小4のときに万引きで捕まり不登校になった杏は、
小学校をまともに出てない。
しかし性格は、人思いでとても優しい。
薬物で捕まった杏は多々羅の紹介でダルクに通い、介護職に就く。
杏はまともに働いた給料で多々羅の言葉を思い出し、日記帳とヨガマットそして家族へケーキを買う。
そんな幸せも団地の狭い部屋へ男を連れ込む母親によって破壊され、壮絶な暴力を受ける。
多々羅と桐野から杏は、暴力などで苦しむ人の避難所(マンション)を紹介され、桐野の紹介で以前とは別の老人介護施設で働けるようになった。
杏は漢字が書けない。学がない。
杏は外国人などがいる夜間学校を志願し、勉強も並行して励む日を送る。
ある日、多々羅は桐野にスクープ報道され、逮捕されてしまう。多々羅は杏が居場所にしていたダルクを私物化し、ダルクに通う女性たちへ性的関係を強要していた。
桐野は被害者たちのタレコミで多々羅や女性たちを見張っていたのだ。
事件がきっかけになりダルクは消滅した。
マンションの中は整理整頓された清潔な部屋。
ゴミ溜めなど無縁になる杏。
小学5年のドリルを地道にやりながら暮らす杏。
日記帳はひらがなだらけだったのに少しずつ漢字が混ざってゆく。
介護施設の入居者からも信頼を得て、これからという時。コロナが日本中を覆う。
杏は職を解かれ、学校も暫くの閉鎖。
拠り所がなくなってしまった。
そんな朝にマンションの女性が突如、杏へ子どもを押しつけ逃げた。
戸惑う杏だったが、子ども=ハヤトを育てるのが杏の居場所に変わる。
ここまでは幸せだった。
杏は試行錯誤しながら育児が楽しそうで、
心の優しさが描かれている。
幸せは杏を探す母親に見つかり木っ端微塵になる。
母親は杏からハヤトを奪うと、売春の強要と薬物入手の交換条件を出す。
ハヤトを返して欲しい杏は再び、売春し薬物を持って団地のゴミ溜めに帰宅するのだが、
母親はハヤトが泣いて煩いとハヤトを児童相談所へ送り、もう居ない。
杏は憤り母親へ包丁を向けるも刺すなどできない。
きっと杏は誰に教わらなくとも命の大切さを知っていて、映画の冒頭でも“見殺し”にできず、身体の不自由な祖母へ親切であり、介護施設の高齢者や外国人の多い学校、ハヤトに優しいのだと思った。
マンションは清潔で整理整頓されていたのに、物が散乱していた。
杏はベッドの隅で自らの腕へ覚醒剤を打つ。
直後、杏は付けていた日記を開き、
日記の日付に付けた「○」が途切れたのへ絶望し
コンロで焼いてしまう。
この「○」は以前、多々羅がダルクで講義をした言葉を実行したもので、
薬物などをしない日へ「○」を付けていた。
杏は自分で自らの希望を打ち砕いたのだ。
杏は燃える日記から、杏が発見したハヤトのアレルギー情報を書き込んだ部分だけを破り、手に握ると、マンションから飛び降り命を断った。
杏は“生き甲斐”と心中した。
胸糞映画、鬱映画と前評判は聞いていたが、
私は「何が正しかったんだろう」考え込んだ。
杏だけを救えばハッピーエンドなのか、
多々羅がまともな刑事ならハッピーエンドなのか、
桐野がスクープを潰すとハッピーエンドなのか、
「何が正しかった」のか。
ここで多々羅の思考を想像してみた。
多々羅は女性にだけではなく、男性や高齢者にも寄り添っていた。杏に性的な強要はしていない。
杏が日雇い労働者のときは賃金を誤魔化した施設へ怒鳴り込んだ、不条理を許さない人。
私は本当に悪い人だと思えなかった。
多々羅はダルクを私物化していると報道されたが、多分、元々は善意と正義感でダルクの面倒を見ていたのだと思う。
「立ち直ってほしい」心から願って。
人は見返りを求めない善行をすると、見返りを求められないのをいいことに高い要求をされ、やがて都合のいい人にすり替わっていく。
出来ないと断ろうものなら、相手は不機嫌な言動で要求を通すことがある。
自分が都合のいい人になったと気づいたら、慈愛を踏み躙られてバカバカしくなり、
親切の代償を求めるようになる。
アホによく聞こえるように言うと、
人は誰しも限界を持っている。
都合のいい人から見返りを求められたら、
すぐ悪い人とか障害と揶揄するんじゃない。
杏の不幸は
コロナが来たから?
杏の母親がきちんとしてないから?
ハヤトを押しつけられたから?
これがあったから、良かったわけで、
あれがなかったら、良かったわけで、
杏は不幸から逃れられない運命にあったと思う。
1つだけ回避ルートがあるなら、家庭裁判所で名前を変更し、杏の母親が追って来ない遠くへ逃亡する。
杏はゴミ溜め生活や売春、薬物、学がないだけではなく、母親から基礎的な躾をされていない様子で、箸をもってラーメンが掬えない。
食事のマナー以前の、
猿が棒を握って麺をぎこちなく扱うかのような姿は一層悲壮感を覚えた。
コロナ禍に突入して、マスク不足だった折、
世間はキッチンペーパーやハンカチを駆使して自分の身を守り、人へ迷惑かけないように生きていた。
杏と杏の母親だけはマスクしない。
母親は祖母がコロナに感染したと喚き散らすのに、
公共交通機関へ乗車しても辺りを気にする素振りさえなかった。
私は、これが家族の価値観の象徴だと思った。
今日が良ければいい、自分が良ければいい。
不幸の源へマークが点滅するかのようだ。
「正しいって何ですか?」
現行に流布する自己啓発を一蹴すれば、
「人としてこうあるべき姿の未来像」から
「今はこうしていれば未来像へ到着する過程」を歩むことなんじゃないかと思えた。
作中で杏は介護施設へ就職した際、社会人として周囲へ馴染もうとするかのように散髪し、毛色を黒に染めた。
杏は自分の理想の未来像を描き、進んでいたのではないかと推察した。
同調圧力でもなんでもない、周囲を見渡し、
自分や周りが安全安心して過ごせるマナーやルールを守って生きること。
どんな社会にも秩序はある。
だからじゃないのかな、
個人の自由は範囲が狭い。
《 まとめ 》
最初に書いた『あんのこと』は実話だ。
2020年、つい最近の出来事で事実は小説よりも奇なり、私は胸糞にも鬱にもならなかった。
それは、杏は多々羅や桐野といった親身になってくれる人と出会い、施設の入居者から慕われ、学びの楽しさ、ハヤトを育てるなどの杏に幸せな時間を過ごした証があるからだ。
闇だけではなく、確かな救いもあった。
救いが日記へ「○」に変わった。
パラレルワールドは身近にあるのだと思い、誰かの背景や生き様から学びを得たと、
今は香川杏さんへ安らかに眠って欲しいと願っている。