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御霊へ手を合わせられないのかな

わたしは、小学生から右寄り教育を受けて
マンガ『はだしのゲン』は図書室になく
平和教育は高校に入学して、HRでやった

戦争といえば
祖父は人間魚雷の『回天』の指導をし
自分もいずれ乗る予定だったという

遊秀館で初めて『回天』の実物を見た
これに、うちの爺さんが乗るのだったのかと
暫く、その場から離れられず
『回天』があったから、わたしは生まれてきた

うちの母方の祖父母は恋愛結婚
祖母は、広島県呉市三条という町に生まれ
実家の2階は、海軍の人達が寮として住んでいた

海軍さん慣れをしていた祖母と
徳山市から九州へ帰る祖父は意気投合した
(現・周南市。なぜ徳山市から帰ったのか知らない)

祖母は、小学校高学年から山口県に住み
高等女学校などは、山口県の学校を卒業している
教員になる養成をされていたという
ちなみに、父方の祖母は教員だった

祖母が10代後半、山口県光市にある
光海軍工廠が爆撃に遭い、多くの同級生が他界

祖母は光市に住んだことがなかった
ただ、女学校の同級生が大勢亡くなったことや
広島に原爆が落ちて
自分も死んでしまいたいと願っていたらしい

うちは代々、メンヘラの血が流れている
しかし、祖母はどこかで鋼のメンタルになった

山口県の親戚宅へ法事に行くと、祖母の伯母から
祖母が生きることを放棄していた話を聞かされた
祖母は祖母で、玉音放送を聴きながら
「やっと終わった」
周囲の落胆を尻目に、嬉しさが溢れたという

光海軍工廠では『回天』を研究・製造していたので
戦後、祖母は光市の爆撃跡を訪れる中で
九州へ帰る途中の祖父と出会ったようだ
祖母のメンタル回復は、祖父が居たからかもしれず

3月10日は東京大空襲
8月6日広島原爆の日、8月9日長崎原爆の日
8月15日終戦祈念日
今の日本人は、この日すら知らないという

日本を核保有国にする、しないは別として
こういった日くらいは
御霊へ手を合わせられないのかな

うちの祖父母のように生きた者
愛国心を胸に亡くなった者
どちらも敬う意味でも、手を合わせたいものだ

東日本大震災をきっかけに作られた曲ですが
御霊に捧げます