著…小野理子、山口智子『恋文 女帝エカテリーナ二世 発見された千百六十二通の手紙』
ポチョムキンが震える手で懸命に書いたとされる手紙が、わたしの心を打ちました。
自筆による最期の手紙。
愛するエカテリーナ二世に宛てて。
死んでしまうから、もう会えない。
もう会えないから、死んでしまう。
わたしはポチョムキンが手紙に込めた想いを感じ取ろうとする度に、百人一首の藤原義孝の歌を思い出します。
それは、
「君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな」
という歌。
「わたしはあなたと逢えるなら、命を失くしても惜しくはありませんでした。けれどあなたと逢えた今では、わたしの命が長く続いてくれることを望んでいます。あなたを愛し続けたいから」
という意味です。
この広い世界で、心の底から愛する人と出逢えたという悦び。
それほどまでに想う人がいるにもかかわらず、一緒に生きられない辛さ。
様々な気持ちが複雑に入り混じります。
なお、エカテリーナはロシアの女帝で、ポチョムキンはその家臣でした。
二人の関係性を「スキャンダル」と評する人も沢山いますが、少なくともわたしは、二人が交わした手紙(といっても残念ながら現存するものは少ないようですが…)から、宿命めいたものを感じました。
「運命」という言葉では形容しきれない強い力。
「宿命」もしくは「磁力」と呼んでも良いかもしれません。
そもそもドイツ生まれで、ロシアの血が一滴も入っていないにもかかわらず、エカテリーナ二世がロシアの女帝となるに至ったこと自体も奇跡だと言えます。
ただそれだけでも仰天なのに、ドイツで生を受けた女性がロシアの女帝となり、ロシア人であるポチョムキンと出逢い、恋仲になったということを確率に表したら、どれほどとんでもない数字になるのでしょうか?
もしかしたら、二人が出逢って恋に落ちることは、二人が生まれるずっと前から定められていたことなのかもしれません。
きっと魂と魂が強く惹かれ合っていたのではないでしょうか?
結ばれずにはいられない。
そういう相手だからこそ、もっと逢えるならもっと命を長らえたいし、もう二度と逢えないというなら生きてはいられないのではないでしょうか…?
なお、エカテリーナ二世は秘密を守るためポチョムキンからの手紙を燃やしてしまったため、ポチョムキンがエカテリーナ二世へ書いた手紙の現存数はとても少ないそう。
けれど、ポチョムキンはエカテリーナ二世からの手紙を全て持ち歩いたそうです。
わたしは、それはきっと秘密保持や保身のためだけではないような気がしてなりません。
もしかしたらポチョムキンは、彼女から自分への愛も、自分から彼女への愛も、いつも感じていたかったのではないでしょうか?
女帝と家臣という関係性なので、簡単に逢瀬を重ねられるわけではないし、そもそも二人の距離が離れていてなかなか会えない日が多かったそうですが、手紙のやり取りからは二人の体温のようなものも伝わってきます。
恋文越しに、見つめ合う二人。
離れていても、手を繋いでいる二人。
そんな熱が感じ取れて、わたしは思わず火傷しそうになりました。
エカテリーナ二世からポチョムキンに宛てた手紙も、わたしの心を深く震わせました。
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