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著…樹原涼子『いきなり&もう一度! 才能以前のピアノの常識』

 「間違えずに弾けても棒読み演奏はNG。曲の情景を思い浮かべて弾く。心のままに弾くと、伝わる演奏に」
(P36から引用)

 という文にわたしはとても共感しました。

 技術云々よりも大事な事。

 ピアノ以外のこともそうですよね。

 踊りも。

 歌も。

 絵も同じ。

 たとえ荒削りであっても、イメージがはっきり伝わってきて、観客の心を震わせるものは存在します。

 逆に、どんなに技術が優れていても、どんなに正確でも、心を打たないものって、残念ながら存在します。

 特にピアノは、鍵盤を押しさえすれば誰でも音を出せる楽器だからこそ、「棒読み」演奏をしてしまいがち…。

 しかも、生身の人間のやることですから、「棒読み」演奏中にミスもしてしまう! なんてことも…。

 単に楽譜通りなだけの演奏なら、人間よりロボットの方が完璧にこなせますよね…。

 しかし、わたしはもし「ロボットによるノーミスの演奏か生身の人間による時々ミスのある演奏のどちらかを聴いて」と言われたら、人間の方を選びます。

 ミスがあってもいい、血の通った演奏を聴きたいから。

 ただし、あくまでも、演奏者の「感情」のみを押し付けるようなベッタベタの演奏ではなく、「心」を込めた演奏を聴きたいです。

 感情と心は切っても切れない関係性ですが、わたしは例えるならきっと「感情」のみで弾く演奏は食材そのもので、「心」で弾く演奏は食材を美味しく料理して綺麗に盛り付けたものだと思います。

 いくらもとが良い食材でも、例えば土のついた大根をそのまま丸かじりできるか? と言えば難しいわけで、やっぱり切ったり煮たり味付けして欲しいです。

 だんだん自分でも何を書いているのか分からなくなってきましたが、わたしとしては「心」を込めた演奏には聴く人への配慮があると考えています。

 きっと「感情」のみの演奏には演奏者しかいません。

 しかし、「心」のこもった演奏には、演奏者と観客の言葉を介さない対話があります。

 わたしは心のこもった演奏を聴いて、心を動かされて、楽しい気分になったり、悲しくも美しい気分に浸ったり、懐かしい記憶を思い出したいです。

 わたしもピアノを弾く時、「棒読み」演奏にならないよう、その曲でどんな表現をしたいのか丁寧にイメージを描き、また、ピアノを弾く自分も楽しく、そして聴く人にも楽しんでもらえるよう意識しながら演奏しよう…とこの本に気づかせてもらいました。

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