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著…西條奈加『三途の川で落しもの』

 とある事情で意識不明の重体となり、あの世とこの世の境に入り込んでしまった12歳の少年・叶人(かなと)が主人公の小説。

 ユーモラスな語り口でストーリーが進むので楽しく読めますし、純粋な叶人と一緒に「生きること」「死ぬこと」について考えながら三途の川付近を旅している気分になれます。

 叶人が三途の川へ向かう途中、親切なおじさんが奪衣婆(だつえば)と懸衣翁(けんえおう)に気をつけるよう教えてくれたのですが…。

 なんと叶人はそれを、「ダ・ツ・エヴァ」という金髪碧眼の八頭身美女と「県営王」という県知事のような人かと勘違い!

 その勘違いが幸いして、ダ・ツ・エヴァも県営王も、叶人がイメージした通りの姿で現れました。

 だから叶人にとっては全然怖くありません。

 ダ・ツ・エヴァも県営王もそんな叶人に興味津々。

 三途の川の渡し守コンビ・十蔵(じゅうぞう)と虎之助(とらのすけ)が喧嘩ばかりして、ちっとも死者運びがはかどらないので、叶人はダ・ツ・エヴァから頼まれて、十蔵と虎之助と一緒に三途の川の渡し舟に乗ることになります。

 三途の川の底にはところどころに深い穴があります。

 その底は現世に繋がっており、死者が現世への未練の塊「地蔵玉」を現世へ落としてしまうと、渡し守がその責により、地蔵玉を探しに現世へ行かなければなりません。

 叶人、十蔵、虎之助の3人で現世へ行く度に、生、死、業、輪廻、子殺し、親殺し、戦争、無差別殺人、地獄などについて、様々な価値観が描かれていきます。

 特に地獄についての解釈が興味深いです。

 この小説において、罪を犯しておきながらうまく法の目をくぐり抜けた者は、人の世で裁かれなかった分あの世で罪が重くなる…と書かれており、

「地獄には、何もない。光も闇も天地もないところで、地獄に落ちた魂は、ただ浮かんでいるだけだ」
「罪人はそこで、己の過ちを、己が封印していた思い出したくもない過去世を、くり返しまのあたりにする。来る日も来る日も、それだけだ」
「狂うことすら許されず、魂はしだいにすり減っていく。たいがいの者はそうやって、心を削られながらゆっくりと死んでいく」
(単行本版P167〜168から引用)

 とも書かれています。

 これを読んだわたしはてっきり地獄というのは魂に輪廻転生を許さず消滅させるための刑場なのかと思ったのですが、そうではないのだそうです。

 地獄に落ちるか落ちないかは、罪の多寡ではなく、魂の傷つき具合による。

 深い傷を負って弱った魂は回復叶わず朽ち果てることもあるけれど、地獄は決して魂をこらしめるための場所ではなく、むしろ、傷ついた魂を救うための場所

 …なのだそうです。

 何をもって罪とするかは宗教や国や時代背景によっても異なるのですから、この小説に登場する地獄の在り方もこれはこれでアリなのかもしれません。

 どんなに現世で善行を重ねた人でも何か罪悪感に苦しむことがあればその魂は地獄にいくのかもしれませんし、また、どんなに悪行を重ねた人でも罪悪感も良心の呵責も何も無いサイコパスだったら地獄へはいかないのかもしれません…。

 …前者の魂にこそ救いが欲しいですね。

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