見出し画像

What the dickens!How wonderful my tiny world is!―秋山あい『パンティオロジ―』(集英社インターナショナル)


その日はたまたま恵比寿に用事があった。
以前は、恵比寿でボクシングを習っていたから、今よりも高い頻度で恵比寿に通っていた。サンドバックをたたく日々は爽快だったなあ。仕事帰りに行くのが楽しみで仕方なかった。特にアッパーを打ち込むのが好きでね。サンドバッグを誰に見立てていたかは、ひ・み・つ。
また、時が来たら通いたい、と思っている。

あと、恵比寿にはNADiff a/p/a/r/tもあるし、東京都写真美術館もあるし。カフェ、歩粉(ほこ)のスコーンは大好きだったのだけど、今は京都に移転されているのね。飲兵衛にはやっぱり恵比寿横丁かしら。そう、忘れちゃいけないのが、what the Dickens!。訳すと「なんてこった!」という感じでしょうか。怪しげなビルの4階にあるライブハウス。ほぼ毎晩、生バンドによる演奏が繰り広げられている。おもた~いドアをよいしょと開けると、音楽とともにいろんな国の言葉、人生の陽気さと湿っぽさ、たばこのけむり、アルコールの香り、おいしそうな油のにおい、時代の層の埃っぽさが一気に押し寄せてくる。わたしはここで、ビール片手に踊るのが好き。はじめて訪れたときは、レゲエの日だった。そこで、上下白いジャージ、白いハット姿のトニーと出会う。確かアフリカの出身だった。トニーとteshと一緒にレゲエで踊り狂った。最高に楽しい時間で、以来、たびたび足を運ぶように。だけど、あの夜ほどCRAZYに楽しかった日は今のところ訪れていない。トニーにもあの日以来会うことはなかった。一期一会をかみしめる。

画像3

(いつの日かのディケンズの様子。トニーではない。)

そんな親しんでいたはずの街、恵比寿でも「山小屋」というギャラリーの存在には気づいていなかった。予定まであと少し時間がある。どうしようかな~ときょろきょろ街を見渡していると、ステンドガラスのような美しいドアを発見する。「なんだろう?すごくすてきだなあ」と、吸い寄せられるように、ドアに近づく。ここで気づく。「来たい!と思っていた展示だわ!」。そう、SNSで情報をキャッチしていた展示の会場だったの。
「Pantiology―秋山あい『パンティオロジー』出版記念展」
なんてラッキーなのかしら。今、ここにいるのが必然のような気がしてきた。喜々として、ぐいっとドアを開ける。すると、中にいらっしゃったお姉さんが「ごめんなさい!昨日で終わっちゃったんです」と。いや・・・こっちがごめんなさいですよ。行きたいと思っていたのに、会期も把握せず、終わった後にうかがうなんて・・・。それにもかかわらず、「片づけている最中で申しわけないけど、せっかく来てくれたのだから、見ていってください」と、撤収でお忙しいのに優しく招き入れてくださった。神!!!この優しいお姉さんこそ、アーティストの秋山あいさんだ。元気な真っ赤なワンピースに、綺麗な金色の髪、しかもボブ。全方位に素敵である。

パンティだらけの展示なのはわかっていたけれど、実際に壁一面にパンティの絵が並んでいるとすごい迫力。洗剤の香りとか、クローゼットに入れているお気に入りの固形石鹸の香りとか、もっとパーソナルな温度とか匂いとか・・・いろいろ妄想を掻きたてられちゃう。ところで、今回の個展は『パンティオロジー』という本の刊行記念展なの。「パンティオロジー」、聞き慣れないよね。これは秋山さんが作った新しい学問的アートプロジェクト。「パンティ×アート×考現学=パンティオロジー」。この度、そのプロジェクトの一端が「本」という形でまとめられたの。祝。

もともと、身の回りにあるささやかなものたちを描いてブログにあげていたという秋山さん。その延長で、ある日、パンティを描いてみたら色々な反響があったから、引き続きご自身のパンティを描きまくっていたそうな。しかし、なんだかワンパターンでおもしろくないなあ、他の人はどんなの履いているのかな?それを辞書とか図鑑風にしたらおもしろいかも、いや、そうなるとリサーチが大変だわ・・・と、いろいろ試行錯誤し悩まれていたところ、ふっと「パンティオロジー」という言葉が降りてきたそうな。ありますよね、そういう瞬間。急にひらめく瞬間。わたしは、ジョギングをしているときに、降りてくることが多いなあ。早くメモしたい、しかし、いい感じのペースで走ってるから走るのもやめたくない・・・すると、そこから速度が上がる。早く今日の目標距離をクリアしてお家に帰ってメモするぞーーーーって(笑)

学問ならば、いろいろな人を巻き込んで、パンティの話を聞くことができ、研究の途中経過を発表することができる。しかもかねてから尊敬してやまない「考現学 Modernology」のオマージュになるのではないか・・・。
こうして学問的アートプロジェクトともいうべき「パンティオロジー」は始まりました。
(秋山あい『パンティオロジー』はじめに より)

山小屋で秋山さんにパンティオロジーの説明を伺っている時間はとてもわくわくした。職業、年齢、国籍もさまざまな女性に一対一でパンティインタビューを行う。持っているパンティの中で「いちばんセクシーなもの、いちばんリラックスできるもの、いちばんお気に入りのもの」の計3枚を選んでもらって、それぞれ何故選んだのか、また、そのパンティにまつわるエピソードを話してもらう。秋山さんは、それらのパンティをドローイングし、インタビューは文字起こしして、絵と文をセットにナンバリング、そしてファイリングする。これがパンティオロジー。今まで100名ほどの人にインタビューをしてきたみたい。100人、つまり300枚のパンティ!!

パンティは、ブラジャーよりもはるかにパーソナルで、また性に直結しています。ふだん人に見せることのないその一枚の布から、個々の物語と時代性が浮かび上がるのではないかと、わくわくしました。
(秋山あい『パンティオロジー』はじめに より)

確かに、その日・その時、履いている「パンティ」で気持ちがあがったり、リラックスしたり、色っぽくなったりするよね。この小さな三角形の布には、履いている人の「哲学」と「人生」が秘められているの。例えばこんな風に。

画像2

(秋山あい『パンティオロジー』12-13頁)

わたしが、11月17日生まれのさそり座だからという理由で、このページを選んだんだけど、このパンティのインパクトは凄まじいわね笑。さそり座の女もびっくりよ。この遊び心は見習いたい。

秋山さんの絵はあったかい。今読んでいるポール・オースターの『サンセット・パーク』(柴田元幸訳、新潮社)にこんな一説がある。「手で触られること(ルビ:タンジビリティ)。自分の考えを友人と話すとき、一番よく使う言葉がそれだ。世界は手で触れられるんだ。と彼は言う。人間は手で触れられるんだ」(同書67頁)。秋山さんが描くパンティは、感触を持っているなあと思った。やわらかくて、パンティの持ち主の体温も感じることができる、そんな気持ちになる。だから、洗剤の香りや肉欲的な匂いが、わたしの心に漂ってきたのかな。秋山さんの描くパンティを通じて、女性たちの世界を手で触れられることができる、そう、秘められた世界を。

さらに、のびのびしていて、こちらも何かを描きたくなってくる。小さい頃から、わたしは絵を描いたり、何か得体の知れないものを作るのが好きだった。その時に、母がよく言ってくれたのは、「のびのび描きなさい。画用紙なんてはみ出しなさい」だ。秋山さんの絵は、まさに、画用紙からはみ出しちゃっているようなのびやかさがある。秋山さんの手にかかると、ささやかなものたちが、普通なものたちが、ちょっと窮屈な世界から解き放たれたように見えてくる。

すっかり、パンティオロジーと秋山さんの虜になったわたしは、『パンティオロジー』を一冊購入し、次の予定の場所へと向かった。カバーもかけずに、外で読んでいると、チラチラと周りの視線を感じる。ふふふ。


電車のつり革、道端の石ころ、石垣に生える雑草、こんなところに片方の手袋?、いつの日かの飴玉、ちょっと錆びついたハサミ、飲み終わった錠剤の抜け殻・・・。


帰路、そしてお家の中のささやかなものたちが、なんだかおもしろおかしく、愛おしくなってきた。


What the dickens!
How wonderful my tiny world is!

なんてこった!
わたしのちっちゃな世界はすばらしい。


《関連情報》
秋山あい『パンティオロジ―
出版年:2019年11月10日
出版社:集英社インターナショナル

秋山あい公式webページ:https://ai-akiyama.com/

画像1



【プロフィール】
中村翔子(なかむら・しょうこ)
本屋しゃん/フリーランス企画家
1987年新潟生まれ。本とアートを軸にトークイベントやワークショップを企画。青山ブックセンター・青山ブックスクールでのイベント企画担当、銀座 蔦屋書店アートコンシェルジュを経て、2019年春にフリーランス「本屋しゃん」宣言。同時に下北沢のBOOK SHOP TRAVELLERを間借りし、「本屋しゃんの本屋さん」の運営をはじめる。本好きとアート好きの架け橋になりたい。 バナナ好き。本屋しゃんの似顔絵とロゴはアーティスト牛木匡憲さんに描いていただきました。https://honyashan.com/


【こちらもよろしくです】
わたしたちの南方熊楠―敷島書房と本屋しゃんの往復書簡

敷島書房の一條宣好と本屋しゃんの中村翔子は、それぞれにひょんなことから南方熊楠に出会った。そんな2人が、1冊の本を『街灯りとしての本屋。』をきっかけにお互いを知った。この誌面は、南方熊楠と一冊の本の縁によって出会った2人の本屋の往復書簡。
https://note.com/kumagusutegami15


この記事が参加している募集

私のイチオシ

いつも読んでいただきありがとうございます。この出会いに心から感謝です!サポートをはげみに、みなさまに楽しい時間と言葉をお届けできるようがんばります。