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美しさは、見るひとの目の中にあるというイタリアのことわざ
美しさは、見るひとの目の中にある。
イタリアのことわざのなかでも私が好きなことばのひとつだ。
イタリア語で言うと、こうなる。
La bellezza è negli occhi di colui che guarda.
目の前に美しい絵画があるとする。
それを美しいと思えるのは、そのひとが美しいと思っているからだ。
そのひとが疲れていたり、芸術に興味がなかったり、あるいは「こんなの綺麗じゃない」と思っていたりしたら、その絵は美しいとは判断されなくなる。
私は絵画を見てもあまり綺麗だと思えない貧相な人間なので、美術館巡りは15分で終わりかねない。
ひとつの絵をじっくりと見て綺麗だなあと思えるだけのこころの余裕が私にはない。
ただ、建築はすごく好きだ。
綺麗な建築物、たとえば教会や広場といったものは、いつまででも見ていられる気がする。
建築は、実際に見ても綺麗だし、写真で見てもすごく綺麗だと思う。
それは、私の目が建築を美しいと思えるようにできているからだと思う。
でも、建築に興味がないけれど、油絵がすごく好きだというひともいるだろう。
それは、建築や油絵が美しいからじゃない。
私が建築を、そのひとが油絵を美しいと思うことができるということだ。
綺麗なひとというのが、私にはわからない。
モデルさんを見てもあまり綺麗だなあと思うことはない。
ただ、あるひとが綺麗だと評価されているのは、そのひとが美しいというよりかは、そのひとを美しいと思えるひとが多いということを意味する。
ただ、もちろん「美しいひと」や「美しい絵画」というのはあるけれども、あくまでそれは最初から美しかったのではなくて、見るひとに訴えかけるなにかをそのひとやその絵は持っていて、それを素直に受け取ったひとが「美しい」と言っているのだろう。
時代や文化が変われば、美しさの概念は大きく変わる。
イタリアでは小麦色の肌をしたひとが綺麗だと言われて、絵文字でも自分の肌よりも黒いものを使う傾向にある。
日本人は色白が好きで、白いひと(白人さんに限らない)を綺麗だと言う傾向にある。
黒人さんの一部は、赤い肌に憧れるという。白でも黒でもない新しい考え方だ。
私の同級生は、高校時代、体育のときにふと言っていた。
「黒人さんって綺麗だよね」
私は昔から色白に憧れていたので、意外だった。
当時は丁寧に日焼け止めを塗っていたし、周りにいた女子高生はみんなそうしていた。
たしかに、よく見ると褐色の肌というのもとても綺麗なものだと思う。
そういったように、彼女は美しいものを美しいと言えるだけのこころの余裕を持っていたのだ。
美しいものを見たとき、ひとは幸せそうな顔をする。
そのときにあるのは、美しいものと、それを美しいと言えるひとだ。
日常に疲れていて、余裕をなくすと、ひとは疲れ果ててしまう。
そんなときに、ふと空を見上げて、綺麗だなあと思うだけのこころの余裕を常に持っていたい。
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