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同一性

 10代までに経験した数回の「転校」が、時々役に立つことがある。
 友人・知人にアドバイスを求められたときが、特にそうだ。

 ある時、歳下の友人からの相談を受けた。ざっくり内容をまとめれば、「今の人間関係の中で求められている自分の有り様が嫌になった。一度関係をリセットして、新しい自分になりたい」というものである。
 その相談を、私は天津飯を頬張りながら聞いていたのだが、思わず口から吹き出しそうになった。「リセットしたい関係の中に、俺って入ってるの?」、当然気になるポイントである。
 「入ってないです。入ってないです」と笑う友人。とりあえず一安心だが、もし本当に「新しい自分を」と望んでいるのなら、どうだろう。引っかかるポイントはなくならない。

 私は上記の相談に、自分の「転校」経験と、一冊の本をもとに応えた。
 「転校」は、本人の意志に関係なく、親の都合で通学校が変わる事象である。そこでは、学校を中心に培ってきた人間関係のリセットが起こる。
私はここで、友人が望むところの「新しい自分」になるチャンスを獲得するにいたるわけだが、真に残念なことに、私は転校前と転校後で、そんなに自分の有り様を変えることはできなかった。
 もちろん、友人との付き合いの中で、多少趣味や好みが変わったり、加わったりすることはあっただろうが、性格や志向が根本的に変化するということは、ついぞなかったように思う。

「各個人に安定した固有の同一性が存在するのだという原則から私たちは出発し、そこにひとりの人間がいるのだと想像する。だが、実際のところ私たちは、おそらく、複数の人物の束でしかない。主体の単一性を当たり前のように選り好む理由があるだろうか。」
クレール・マラン著、鈴木智之訳『断絶』法政大学出版局、P109〜110)

 新しい自分になりたい、という願望に、別の角度からメスを入れてみたい。
 上記の引用文で、哲学者のクレール・マランの指摘するところは、そもそも「確固たる自分」なるものは存在するのか、という点である。
 「確固たる自分」を前提視しなければ、新しい自分になりたい、という願望も生まれてこない。逆に言えば、「自分」は常に揺れ動く不安定な存在だと捉えなおせば、「リセット⇨新しい自分」という考え方自体を再考することにもつながる。

 周囲の人間関係に、自分の有り様を合わせていくことは、時に息が詰まる。友人のように「リセットしてしまいたい」と思う気持ちもよく分かる。だからこそ、友人の相談には慎重に応えた。少しは役に立てただろうか。



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