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ヘンな奴

 以前、SNSを介して知り合った高校生から相談を受けたことがある。
 内容は「進学」に関するもので、中心は「大学にいくメリットは何か」にあった。
 「人による」と答えて、相談を切り上げる人もいるだろう。実際に「人による」部分もある。ただせっかく相談してきた人に、その反応はあまりに残酷だと思い、自分なりに真摯に答えることに決めた。
 振り返ると、もう少し答えようがあったなと反省している。当時の私は、ようやく京都の良さに気づき始めた時期であったので、大学がどういう地域にあるか、周辺にどんな施設があるか、をまず調べよう。それで「メリット」が変わる。なんなら、京都いいよ!、と熱弁を振るった。完全に、京都の回し者になっていた。
 この熱弁の内容には、今でも変更はない。ただ、もっと言えることがあっただろうと後悔している。

「本を読んでいくとき、やっぱりいい友だちが必要なんじゃないかなって思うよ。特に大学なんかに行ったら、いろんなところから人が来るわけでしょ。自分の知らない本を全部読み尽くしちゃってるような奴がいたり、ヘンな奴がいるわけだよ。そりゃービックリするよ。そいつに追いつこうとしたり、自分の苦手な分野の本を読もうとしたり、本に関する情報を交換したりね。あいつにできるんだったら、俺にもできるだろうっていう切磋琢磨があると面白いと思う。」
種村季弘著、諏訪哲史編『驚異の函』ちくま学芸文庫、P165)

 もう一度、冒頭の相談時に戻れるなら、私は「友だち」について話したい。
 引用したのは、ドイツ文学者・種村季弘の「落魄の読書人生」からの一節。注目したいのは、「ヘンな奴」の箇所だ。
 私自身そうであったが、大学在学時ほど、「ヘンな奴」に出会えた期間はなかった。京都在住という環境を活かし、他大学の学生とも交流が持てたこともあり、特定の分野に異常な拘りと情熱を傾けている人間とつながれた。
 ここに大学のメリットがあると考えるが、それが全ての大学に当てはまるかどうかは自信がない。現に私自身、所属大学のみでこのメリットを享受できたわけではない。複数の大学に、比較的気軽に足を運べる環境があってこそだった。(こうなると、結局冒頭の話に戻ってしまうのだが。)

「若いときのある時期は、人様からヘンパだと思われるものに熱中することも大切かも知れないね。子どもから大人になる、社会的なメンバーになっていく通過儀礼としては、現存の社会からできるだけ遠く離れたところに飛び出していって、いろんな試練を受けて帰ってくることが必要なんだよ。」
種村季弘著、諏訪哲史編『驚異の函』ちくま学芸文庫、P162)

 ここで一つ付け加えておきたいのは、恩恵を受けるならば、恩恵を与える側にもならなければならない、という点だ。
 大学に蠢く「ヘンな奴」と出会いたければ、自分自身も「ヘンな奴」になるのが一番手っ取り早い。本を貪り読む読書人間に会いたければ、それと張り合えるぐらいの読書人間に自ら成る必要がある。
 種村の言う「人様からヘンパだと思われるもの」に熱中できる場として、大学ほど適切な機関はない。これから大学生になる人には、とことん熱中して「ヘンな奴」になってほしい、というのが私の願いである。



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