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トルストイの"平和"

平和が訪れることを信じて、ロシアの作家・トルストイの著作を紹介します。

 「人はだれしも、自分が快適になれるために、自分の幸福のためにのみ生きている。」ーートルストイの『人生論』は、この仮定から出発する。
 生きる上で、喜怒哀楽を実際に感じることができるのは自分のものだけで、そこに他者の入り込む隙はない。「生きている」という実感は、自身の内にしかない。
 読み進めていくと、草木一本生えていない乾いた土地に、一人ぽつんと立っている孤独な自分が立ち現れてくる。「自分の幸福のために"のみ"ってことはないでしょ」と否定したがる自分と、完全には否定しきれない心情が衝突する。
 自身の二十数年の人生を振り返っても、結局、生きていくためには、自分でなんとかするしかないという現実がある。周囲を見回しても、他者を助ける余裕のある人は少ない。「自分より困っている人はたくさんいるはずだ」と自身を納得させて、「自己責任」という言葉に囚われながら日々を生きてきた気がする。

 提示した仮定について、トルストイは一つの重要な瑕疵を見出す。それは、人が自分のためだけに得たいと望んでいる「幸福」の中には、他者の「幸福」が前提となっているものが存在するということである。つまり、他者が幸福であるかどうかに意識を向けなければ、自身も幸福になれない場合があるわけだ。トルストイは次のように述べる。

「自分のその幸福を手に入れようと努めているうちに、人はその幸福が他の存在によって左右されることに気づく。そして、それら他の存在を観察し、検討しているうちに、人はそれらすべてが、人間も、動物でさえも、生命に関して自分とまったく同じような観念を持っていることに気づくのである。」(トルストイ著、原卓也訳『人生論』新潮文庫、P29)

 この流れから、「だからみんなで手を繋ごう」という結論に至りそうだが、残念ながらそうはならない。
 トルストイは、容易に「自身の幸福」と「他者の幸福」が接触する現実から、人は自身の幸福が他者から侵害されるのではないかという怯えを抱くようになる、と考える。そうなれば、「やられる前にやる」という発想をもつ者も現れて、気づけば幸福の獲得には「争い」がつきものになってしまうのである。

 ここからトルストイは、人が自身の幸福を"確実に"獲得するためにも、他者と不要な争いをしてはいけないという結論を得る。加えてこの結論は、何も自分が初めて思いついた発想ではなくて、これまでに様々な思想家や宗教者が常々語ってきたことだ、とも述べるに至る。

「「互いに滅ぼし合い、みずから滅びてゆく無数の同じような個我の中で、自分の幸福だけを得ようと努める個我としての人間の生活は、悪であり、無意味であって、本当の生活はそんなものではありえない」大昔から人はおのれにこう言いきかせてきたし、人間の生命のこの内的矛盾は、インドや、中国、エジプト、ギリシャ、ユダヤなどの賢人によって非凡な力と明哲さで言いあらわされた。そして、大昔から人間の理性は、さまざまな存在間のたたかいや、苦悩や、死などによって滅ぼされない人間の幸福の認識に向けられてきた。たたかいや、苦悩や、死などによって破られることのない、この疑う余地ない人間の幸福を、よりいっそう明らかにしてゆくことにこそ、われわれがその生命を知るようになって以来の人類の進歩が存する。」(トルストイ著、原卓也訳『人生論』新潮文庫、P34〜35)

 存在間で争いが生じないようにするために、人類の理性は用いられる。そして、その経験を積み重ねていくことによって、人類は進歩していく。ーーここに、トルストイの手になる一つの平和論が見出せる。

 トルストイは、争いが生じないように理性を働かせるだけでなく、"愛"をもって互いの苦しみの種を取り去る試みも勧めている。
 最後に、その該当箇所を引用して、本稿を閉じたい。

「苦しんでいる者に対する直接の愛の奉仕と、苦しみの共通の原因である迷いの根絶とに向けられる活動こそ、人間の直面する唯一の喜ばしい仕事であり、それが人間の生命の存する、奪われることのない幸福を与えてくれるのである。」(トルストイ著、原卓也訳人生論』新潮文庫、P244〜245)


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