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朦朧

 早朝から、その兆候はあった。
 頭の奥で、ズキンズキン、と疼くものがあった。
 でも、「……まあ、まあ」とスルーした。無い物として、出かける準備をした。

 出先のショッピングモールに到着した頃には、奥にあった疼きは、全面的な頭痛へと変わり、吐き気さえも生じさせた。解消しようと、実際に吐こうとするが、何もあがってこない。行き場のない気持ち悪さだけが残る。
 あまりに不快だったので、とにかく座りたいとソファーを探す。店内のソファーには大抵先客がおり、探すのに苦労した。確保したときには、へとへとである。通路の中央に置かれたソファーに倒れ込むように座り、天井を仰いだ。「天井って、こんな模様しとったんや……」。

 三十分以上はぐったりしていただろう。時間感覚があやふやになっていたから、眠っていた時間もあったと思う。少しだけ痛みが退いたような気がしたが、まだ立ち上がって移動するほどではない。何しにここに来たんだよ……とため息を吐きつつ、持参した本でも読んでソファータイムを続けることにした。

 いつものように、すんなりと中身が入ってこない。断片化された文章が、咀嚼されぬまま、頭の中を浮遊している。
 頭痛一つでここまでか、とショックを受けながらも、何とか噛み砕いた言葉が、次の一文である。

「路のかなしさ。人はゆき、人は来る。」
石川桂子編『竹久夢二詩画集』岩波書店、P290)

 これほどの短文に、「噛み砕いた」という表現を使うのは大袈裟である。ただそれほど当時の私には、文章を咀嚼する体力が欠如していた。
 私の座るソファーは、通路の中央に置かれている。普通に座っていると、目の前を絶え間なく客が行き来する。
 路のかなしさ、という言葉を、何とか強く握りしめて、客の往来を眺めてみる。休日ということもあり、家族連れが多かったが、ヘッドホンをつけ黙々と移動する女性や、杖をつきつきゆっくりと歩いていく老人、人の流れに気を遣いながら車椅子を動かす男性など、そこには多様な人波があった。
 不調な頭の片隅に浮かんだのは、私はこの人波の中の誰一人とも、実際に交流することはないという一事である。「路のかなしさ……たしかにかなしいかもしれない」。こう一人ごちた後、私は再び天井を仰いだ。



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