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在野研究一歩前(20)「読書論の系譜(第六回):澤柳政太郎編『読書法』(哲学書院、1892)⑥」

前回に引き続き、澤柳政太郎編『読書法』(哲学書院、1892)の「読書論」について見ていきたい。今回は「第六章」の内容である。

「第六章」(該当ページ:P49~56)↓
「專修書を選擇し能く之を熟讀講究することの利益ある前章述なる所の如し、然らは如何にして專修書を選擇すへきや、如何にして良書選擇の標準を知るを得へきや、是れ又讀書法に於て最も緊切の問題なり」(P49)
⇒ある分野(ジャンル)に絞って、本を読み進めていくこと―澤柳はその重要性を説いてきた。そこで次に、「どのように専門書を選んでいけばいいのか」が問題になってくる。

「專修書を選擇するに當り大躰左の標準に據るときは以て大過なかるへし、
第一、編述の躰裁、議論の排列等整然たる順序を具ふること、
第二、解説明晰能く大躰を盡して枝葉に渉らす繁簡其中を得たること、
第三、其學術の進歩と並馳し能く主要の點を網羅したること、
第四、學問上未た一定せさる事項に就きてハ獨斷の意見を主張せさること、
第五、讀者の智識の程度に相應したること」(P50)

⇒専門書の選択基準として、澤柳は上記の五つをあげている。
 本の内容が論理だっていること、解説が簡潔明瞭であること、学術の最先端状況を踏まえていること、独断的な主張がなされていないこと、読者のレベルにあっていること。

「大家の著述ハ勿論大著たるの價値を有すへしと雖も、初學者に向ひ或ハ又專修書としてハ未た必すしも採擇すへき書籍ならさることあり」(P51)
「今日學生か書物を選擇するの標準ハ単に其著者の名聲如何に依るか如し」(P51)
⇒ある分野について入門したいと考えたとき、「とりあえず有名な人の著した本を読んでおけば大丈夫だろう」と考えがちである。澤柳はこの一般論に対して、疑義を呈している。著名な人物の書いた本が、必ずしも初学者にとって適切であるとはいえない。
 上記の一般論は、当時の学生においても広まっていたようである。澤柳は、著者の名声によって本が選ばれている現状に批判的であった。

「若し日々發刊する所の書籍を廣く讀まんと欲するものあらハ是れ眞正の勉強家にあらす」(P52~53)
⇒本当の勉強家は、日々発売される新刊の存在に右往左往させられることはない。

「北米の碩儒ヱマルソン氏ハ選擇の三則を提唱せり、掲け以て讀者の参考に資せん、
 其一、世に行はれて未た一年を經さる書籍は讀むへからす、
 其二、有名ならさる書籍は讀むへからす
 其三、己れの好む所にあらさる書籍は讀むへからす、
 是れも亦書籍選擇の際宜しく思考すへき所にして讀書家の須らく遵守すへきものなり、今更に一二の點を諭して概則の闕を補ハん、若し同一種に屬する所のものにして新古の二書あるときハ多くは新書を選む可し、或は古書にして新書に勝りたるものなきにあらすと雖も概して云へハ新書ハ古書に優るものとす、若し沿革的に硏究するの目的に向ては古書を選むを妨けずと雖も亦新書に就て硏究すること更に利益多しとす、新書ハ主に科學的の方法順序によりて論述するを以て頗る講修に便益ありと雖も、古書に至りてハ然らさるを以て正確の思想を得ること甚た難し、凡そ沿革的の講究ハ大に趣味あり且有益のことなりと雖も初學者の決して企つへきことにあらす、殊に近世の發達進歩に係る諸科學の如きハ殆と沿革的に之を硏究するの價値なきのものとす、唯政治法律道徳哲學等の諸學に至りてハ先つ其大躰に通するの後ハ復沿革的に之を究むること頗る有益必要なることあるのみ、又一學科を硏究學修する際に於てハ成るへく議論的の書籍を閲讀することを避くへし」(P54~55)

⇒ここではヱマルソンという人物が提唱した「選擇の三則」が紹介される。「刊行されて一年未満の書籍は読まない」「有名でない書籍は読まない」「自身の好まない分野の書籍は読まない」がその内容である。
 澤柳はこの三則に賛同を示すとともに、これに付け加えるべき規則があると主張する。一つは、ある分野について書かれた本を二つの内から選ぶときに、それが新書(新刊)と古書であった場合は、新書を選ぶべきである、というものである。
 古書好きの自分としては、「古書に至りてハ然らさるを以て正確の思想を得ること甚た難し」という文章などを見ると苛立ちを覚える面もあるが、当時(1890年代)における「古書」を想像してみると、それは江戸以前のものを指すと考えられるので、今日の「古書」とは指しているものが異なるともいえる。

「今日學生の通弊にして其學識未熟なるをも顧みす好みて議論的の書を讀み直に複雜の問題に啄を容れ、以て得たりとなすもの滔々皆然らさるはなし、書籍の選擇其宜きを得さるの弊害も亦誠に鮮少にあらさるなり、世の學生たるもの豈反省せすして可ならんや」(P55~56)
⇒当時の学生は、未だ基礎的な事項も踏まえていない段階から、積極的に「議論が生じる書籍」に手を出していた。「どのような内容・レベルの本が、私の選択するべき本なのだろうか」と常に「選択基準」を意識して、本を読み進めていく必要がある。

以上で、「在野研究一歩前(20)「読書論の系譜(第六回):澤柳政太郎編『読書法』(哲学書院、1892)⑥」」を終ります。お読み頂きありがとうございました。

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