憑く
ストレスや疲れが溜まってくると、ホラーコンテンツが見たくなる。
どうしてだろう。無理に言語化すれば、ストレスを生み出すのは、多くの場合「現実社会」であるから、そことできるだけ距離のある作品を、心身は欲しているのだと思う。
……それならSFでもいいだろう、と自分で自分にツッコミを入れる。たしかに、そうだ。我儘だが、SFだと「現実社会」から離れすぎているのかもしれない。私にとってのSFは、元気なときに見るジャンルであったりもする。ストーリーや世界観を把握するのに、それなりの体力が要るからだ。
ホラーコンテンツは、「現実社会」と離れているというより、その中でひっそりと存在する異空を描き出す。こういうイメージの方が、感覚的にしっくりくる。
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最近も、「ホラー見たいな」という欲求に導かれて、書店の棚を見て歩いた。「こりゃ疲れてるな」とも思ったが、見たい気持ちに噓はない。
最終的に手に取ったのは、『いろいろな幽霊』という本である。
決め手は、主に2つ。一つは、表紙のカバーデザインのかわいさ。黒い背景に、小さいアイコンが8×6で48個並んでいる。その中には所々に黒目の幽霊が描かれており、そのかわいらしさから本の中身が想像される。
決め手の二つ目は、パラパラめくっているときに目に入ってきた、次の文章である。
多くのホラーコンテンツでは、舞台となる空間に幽霊がとり憑くのは当然のものとされ、うまくとり憑くコツが摑めず、苦労する幽霊が描かれることは滅多にない。そもそも幽霊中心に物語が進むことも少ない。
主人公である幽霊は、自身が落ち着ける場所を求めて、様々なものにとり憑いていく。小さな木骨造の家や、幾何を教える若い教師など。だが、とり憑いた途端、あっという間に家は崩れ、人は骨片になってしまう。時の試練に耐えられないのだ。
幽霊が最終的に行き着いたのは、町中にある古い岩だった。ここなら時の試練に耐えられる、そう判断した。
岩を安住の地と定めた幽霊の心中を想像したとき、不思議と癒される心地がした。こういう感覚になることは、ホラーコンテンツにおいては滅多にない。
幽霊が出てくるだけで、恐い要素は微塵もないから、この短篇を「ホラーコンテンツ」と呼んでいいかは、正直謎である。とはいえ、とても素敵な幽霊話であったことは間違いない。
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