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憑く

 ストレスや疲れが溜まってくると、ホラーコンテンツが見たくなる。
 どうしてだろう。無理に言語化すれば、ストレスを生み出すのは、多くの場合「現実社会」であるから、そことできるだけ距離のある作品を、心身は欲しているのだと思う。
 ……それならSFでもいいだろう、と自分で自分にツッコミを入れる。たしかに、そうだ。我儘だが、SFだと「現実社会」から離れすぎているのかもしれない。私にとってのSFは、元気なときに見るジャンルであったりもする。ストーリーや世界観を把握するのに、それなりの体力が要るからだ。
 ホラーコンテンツは、「現実社会」と離れているというより、その中でひっそりと存在する異空を描き出す。こういうイメージの方が、感覚的にしっくりくる。

 最近も、「ホラー見たいな」という欲求に導かれて、書店の棚を見て歩いた。「こりゃ疲れてるな」とも思ったが、見たい気持ちに噓はない。
最終的に手に取ったのは、『いろいろな幽霊』という本である。
 決め手は、主に2つ。一つは、表紙のカバーデザインのかわいさ。黒い背景に、小さいアイコンが8×6で48個並んでいる。その中には所々に黒目の幽霊が描かれており、そのかわいらしさから本の中身が想像される。
 決め手の二つ目は、パラパラめくっているときに目に入ってきた、次の文章である。

「幽霊とは、特定の家や草地や街角に自らを固定するものーー場所を選んでとり憑くものと決まっている。そうして粘り強く一点に注意を向けることで、水面を漂うサギさながら何世紀も流されていくのを防いでいるのだ。ところがこの幽霊はじっとしているコツがつかめず、物質世界は彼にとってどんどん意味のないものになっていった。」
ケヴィン・ブロックマイヤー著、市田泉訳『いろいろな幽霊』東京創元社、P75)

 多くのホラーコンテンツでは、舞台となる空間に幽霊がとり憑くのは当然のものとされ、うまくとり憑くコツが摑めず、苦労する幽霊が描かれることは滅多にない。そもそも幽霊中心に物語が進むことも少ない。
 主人公である幽霊は、自身が落ち着ける場所を求めて、様々なものにとり憑いていく。小さな木骨造の家や、幾何を教える若い教師など。だが、とり憑いた途端、あっという間に家は崩れ、人は骨片になってしまう。時の試練に耐えられないのだ。

「ついに幽霊は岩を選んでとり憑くことにした。町にある中でとりわけ古く動かしにくい岩だ。幽霊は意志の力をふるって、徐々にその岩に入り込むことができた。石とは独自の時間を刻むもので、とり憑いた幽霊もじきにそうするようになった。幽霊が驚き、安堵したことに、岩と分かち合う時間はこれまでほど慌ただしくなく、もっとゆったりしていた。幽霊は岩の横にある亀裂から、せわしなかった季節の経過が緩やかになるのをながめた。」
ケヴィン・ブロックマイヤー著、市田泉訳『いろいろな幽霊』東京創元社、P76)

 幽霊が最終的に行き着いたのは、町中にある古い岩だった。ここなら時の試練に耐えられる、そう判断した。
 岩を安住の地と定めた幽霊の心中を想像したとき、不思議と癒される心地がした。こういう感覚になることは、ホラーコンテンツにおいては滅多にない。
 幽霊が出てくるだけで、恐い要素は微塵もないから、この短篇を「ホラーコンテンツ」と呼んでいいかは、正直謎である。とはいえ、とても素敵な幽霊話であったことは間違いない。



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