体験格差
「何かを始めるのに、遅すぎるということはない」という言葉がある。何歳になっても、新しいことにチャレンジしたい。そんな思いをアシストする、大変前向きな考え方だ。私の周りにも、この考え方を体現しているような人が幾人かいる。
一方、この考え方をもってしても、若いうちに新しいことに挑戦する、その価値・メリットを無化できるわけではない。挑戦するのなら若いに越したことはない、という場面は無数にある。
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若いうちに何かに挑戦する。この機会を持つ上でのハードルは、まずその“何か”を知ること、そして、それを実践に移すためのリソースを確保するところにある。
当たり前だが、そもそも知らないことは実践できない。本当は実践できる素質を持ち合わせていたとしても、知らなければ生かされないまま終わる。また、知ることができたとしても、それを実践するためのリソース、とくに経済力がなければ、ことは動かない。多くの場合、経済面は親に依存することになるため、ここに各家庭間での格差が生じることになる。
家庭の経済状況が、子どもの「体験」の質・量に影響を与える。この現実を、独自の全国調査をベースに詳述した一冊が、上記で一部引用した書籍となっている。
著者の今井悠介も述べるように、ある「体験」ができないことの悪影響は、短期間にとどまらない。ある「体験」をしているときに味わえる喜びや充実感が得られないだけでなく、その「体験」がもたらしたかもしれない可能性や選択肢も失われる。つまり、悪影響が長期間にわたってしまうのだ。
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昨今、出身家庭・地域といった初期条件が、子どもの間に教育格差を生んでいるという指摘が、活発になされている(例:松岡亮二『教育格差』)。仮にこの点が問題視されて、学力偏重ではない体験重視の入試が拡充されているとすれば、問題の根本を見誤ることになる。学力も体験も、ともに各家庭の経済力に左右されてしまう。この現実は確実に押さえておきたい。
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