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体験格差

 「何かを始めるのに、遅すぎるということはない」という言葉がある。何歳になっても、新しいことにチャレンジしたい。そんな思いをアシストする、大変前向きな考え方だ。私の周りにも、この考え方を体現しているような人が幾人かいる。
 一方、この考え方をもってしても、若いうちに新しいことに挑戦する、その価値・メリットを無化できるわけではない。挑戦するのなら若いに越したことはない、という場面は無数にある。

 若いうちに何かに挑戦する。この機会を持つ上でのハードルは、まずその“何か”を知ること、そして、それを実践に移すためのリソースを確保するところにある。
 当たり前だが、そもそも知らないことは実践できない。本当は実践できる素質を持ち合わせていたとしても、知らなければ生かされないまま終わる。また、知ることができたとしても、それを実践するためのリソース、とくに経済力がなければ、ことは動かない。多くの場合、経済面は親に依存することになるため、ここに各家庭間での格差が生じることになる。

「子どもたちにとっての想像力の幅、人間にとっての選択肢の幅は、大なり小なり過去の「体験」の影響を受けている。貧困状態にある子どもたちは、「過去にやってみたことがあること」の幅が狭くなりがちだ。そして、そのために「将来にやってみたいと思うこと」の幅も狭まってしまいがちなのだ。」
今井悠介『体験格差』講談社現代新書、P20)

 家庭の経済状況が、子どもの「体験」の質・量に影響を与える。この現実を、独自の全国調査をベースに詳述した一冊が、上記で一部引用した書籍となっている。
 著者の今井悠介も述べるように、ある「体験」ができないことの悪影響は、短期間にとどまらない。ある「体験」をしているときに味わえる喜びや充実感が得られないだけでなく、その「体験」がもたらしたかもしれない可能性や選択肢も失われる。つまり、悪影響が長期間にわたってしまうのだ。

「子どもが海外も含めた色々な場所に行き、普段とは違った経験をする。そこには娯楽的な側面と教育的な側面の両方があるだろう。昨今、学力だけでなく、学生時代の活動や経験も重視される入試制度が広がりつつある。そんな中、保護者は、我が子にできるだけ多くの「体験」の機会を提供しようと考える。だが、それをすることができる親は、実際にはかなり限られているのだ。」
今井悠介『体験格差』講談社現代新書、P54)

 昨今、出身家庭・地域といった初期条件が、子どもの間に教育格差を生んでいるという指摘が、活発になされている(例:松岡亮二『教育格差』)。仮にこの点が問題視されて、学力偏重ではない体験重視の入試が拡充されているとすれば、問題の根本を見誤ることになる。学力も体験も、ともに各家庭の経済力に左右されてしまう。この現実は確実に押さえておきたい。



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