シグナル
年末年始は、新鮮な気持ちで身体を休められる期間であるはずなのに、結局予定を詰め込みすぎて、逆に疲れていたりする。
2024年の年始に際しては、石川県能登地方を中心とする地震が発生したこともあり、その対応に追われて、身体を休めるどころではない、という方々もいる。
私は震災発生時、京都の自宅にいたが、それなりに嫌な揺れを感じ、床に積まれた本たちもぐらんぐらんと揺れていた。その後も余震が続いたこともあって、常に揺れの中にいるような酔いを覚えた。
なかなか辛い年初めである。
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私は先程、年末年始の「疲れ」の話をしたが、ここでいう「疲れ」とは、決してそれ自体が不快であるわけではない。むしろ、心地よいものであったりもする。仕事の業務や作業に追われたあとの「疲れ」とは、明らかに異なるものである。
「疲労感」と「疲労」は異なる。「疲労感」は必ずしも「疲労」を反映しているわけではない。ーーこれらの指摘は、年末年始の「疲れ」と、仕事後の「疲れ」の違いを考える上で大変参考になる。
執筆者の近藤一博によれば、一般的に「疲労」という言葉が使われるとき、疲れたという感覚である「疲労感」と、疲労感の原因となる「体の障害や機能低下」の、二つの意味を含んでいる。この二つは同じようでいて、似て非なるものである。
当人に「疲労感」があっても、身体にさほどの障害や機能低下が見られない場合もあれば、休養や食事によって「疲労感」が払拭されたと感じていても、身体にはダメージが蓄積されたまま残っている可能性もある。
巷には「疲労感減少」を謳う栄養ドリンクが大量に流通し、それを糧に、日々の労働生活を耐え抜いている人も少なくない。ここでいう「疲労感」は、身体に蓄積していく「疲労」とは別物であることを意識し、自分の身心を労わることが大切である。
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