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夜更かし

 「夜更かし」について考えてみる。
 初めて夜更かししたのがいつだったか、正確なことは覚えていないが、その要因が「テレビ」であったことは、まず間違いない。
 実家暮らしの頃、「ゴールデン番組はつまらない、深夜番組は面白い」という家族の共通認識があり、よく一同スナック菓子を摘みながら、深夜番組を見ていた。
 今ではそんなこともなくなったが、番組の放送は一回きりである。わざわざ録画でもしない限り、その一回を逃すと、二度と番組を見ることはかなわない。そうなると深夜番組は、夜更かしして見ることになる。
 正直、番組の内容はほとんど覚えていない。眠くて欠伸ばかりしていたことと、色んなお菓子を堪能したこと。この二つだけが、頭の片隅に残っている。

 なぜ唐突に「夜更かし」について語り始めたかというと、最近「夜更かし」に関する書籍を手に取ったからだ。

『夜更かしの社会史 安眠と不眠の日本近現代』

 本書を私はタイトル買いした。文字通り、ろくに中身を確認せず入手した。
 刊行元が、安定の吉川弘文館であること。また、扱っているテーマが他に類を見ないこと。この二点があれば、多少期待外れな内容でも構わない、と購入に至る。

 私のイメージしていた内容と、実際の中身は異なっていた。ただそれは「期待外れ」という意味ではない。

「近代社会の眠りは多義的である。たとえば一九世紀以後の産業化の進展や消費文化の勃興、あるいは機械照明の発達が、都市社会の不眠化を惹起したことは、経済史や消費文化史、科学技術史など、さまざまな分野で指摘されている。つまり、夜の労働文化・消費文化の歴史を扱った研究群が教えるところでは、近代社会とは何よりも、眠らないことへの欲望によって特徴づけられるべき社会である。」
右田裕規・文、『夜更かしの社会史』吉川弘文館、P4)

 人々に「夜更かし」することを促してきた、様々なコンテンツ(深夜番組や深夜ラジオなど)を深掘りしていくーー私はこんな内容を予想していたが、実際の中身にはより深い視点があった。
 「眠らない街」という言葉があるように、24時間、システムやサービスが駆動し続けること。この点が、近代社会の重要な特徴となっている。

「近代社会とは、安眠と不眠の双方を欲望する二元的な機構が成立・作動し、安眠派と不眠派の衝突が、(夜間勤務や深夜の営業騒音などをめぐって)構造的に繰り返されることになる。ただ、この二つの欲望の関係は、対立的なそれに限らない。両者はしばしば同居し、重なりあってもいる。たとえば近代社会の安眠志向とは実のところ、不眠志向の一亜種としても解釈できる。」
右田裕規・文、『夜更かしの社会史』吉川弘文館、P5)

 この文章を読むと改めて、「誰かの余暇」は「誰かの労働」によって支えられている、という事実に気づかされる。
 日曜日、商業施設でのんびり過ごせるのも、そこで働く人たちがいるからであり、施設内に夥しい数の商品が並んでいるのも、昼夜問わず商品生産に従事する人たちがいるからである。

 生活時間の大半を、学業や労働に費やさざるをえない私たちは、自由に過ごせる場として「夜」に希望を見出し、そこから少しでも時間を捻出しようとすると、「夜更かし」を選択せざるをえない。一方、健康を損なわないために、質の高い睡眠時間も確保したい。
 不眠と安眠。この二つを同時に達成したいという欲望にかられながら、現代人は日々を生きていると言える。



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