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飾り
本が誰にとっても「読むもの」であるとは限らない。
小洒落たお店に行けば、時折「飾り」として扱われる本を目にすることがあるだろう。
なぜかそれらの本は、決まって「古い洋書」である。まさかいまだに、西洋を上位に見るメンタリティーでもあるのだろうか。日本の書籍とは異なる、洋書の装幀の美しさというものもあるので、より「飾り」に適しているというのが実際のところだろう。
私は外国語に疎いから、「飾り」として置かれた本がどのような内容なのか、そのタイトルすら確認することができない。「ああ、日本語の本だったら、好きなだけ手に取るのにな」といつも思う。だがこんな客は、店側にとっては迷惑な存在だ。「飾り」に「洋書」を選んでいるのは、ある意味正解かもしれない。まあ、実際に外国語に長けていたとしても、飾られた本を手に取る勇気はないかもしれないが。
*
私のように、外国語に疎く、臆病な人間がいる一方、世の中には外国語に精通していて、勇敢な(?)人間もいる。例えば、言語学者の黒田龍之助が、その一人だ。
エッセイ集『外国語の遊園地』(白水社)にも、店内で「飾り」として機能する本に注目した文章がある。
先程述べたように、黒田は私とは異なり、外国語に精通していて、勇敢だ。よって、飾られた本がどんな内容なのか、手を伸ばして確認することができる。実際に手にしたのは、キリル文字で書かれた本だった。
黒田はさらに、大胆な行動に出る。
「店員を呼んだ。満席の間を忙しく走り回っている女性が、追加注文だとばかり思って近づいてくる。だが、私の求めるものは違った。
あの、この本、売っていただけませんか?
笑顔だった女性の顔が曇る。何のことだか、さっぱり理解できないといった表情。
あのですね、ここに展示してある本ですが、これが欲しいので、売っていただきたいのです。三千円でいかがでしょうか。
女性は神妙な顔をして、少々お待ち下さいと奥へ引っ込んだ。しばらくすると、店長と名乗る男性がやってきた。そして丁寧な口調で、たいへん申し訳ありませんが、これは商品ではないのでお売りすることはできませんと説明した。
それでは仕方がない。」
(黒田龍之助『外国語の遊園地』白水社、P242〜243)
手に取るのもすごいのに、さらに「売っていただけませんか?」と店員に訊ねるとは……。黒田のいる店はクラフトビールの専門店だったようだが、客に本を売ってほしいと言われるのは、これが最初で最後だろう。
「実をいえば、その本がそれほどほしかったわけではない。三千円は少々高かったかなと、すこし後悔していた。
本当の目的は、店員がどんな反応をするか見たかったのだ。
本を装飾として扱っている人たちは、その真価が分からないことを、心のどこかで意識しているのではなかろうか。もしかして、この中に大変な稀覯本があるかもしれない。そんなことを信じているように見えるのだ。」
(黒田龍之助『外国語の遊園地』白水社、P243)
とにかく「飾り」として見映えがいいことを第一に、「古い洋書」を買い集めているとすれば、その本の内訳は問題ではない。見る人が見れば、価値のある稀覯本であっても、「飾り」として扱われるかぎり、他の「古い洋書」と等価である。
黒田の試みは、何とも知的で、意地が悪い。客に突然「売っていただきたい」と言われれば、「この本、価値があるのかも……」と売り渋るのが、人間の性(さが)だろう。
とはいえ、飾られた洋書を手に取って、「売っていただけませんか?」と言ってみたい気持ちもある。一度、チャンレンジしてみようか。「あの……あのですね……」と挙動不審になる自分の姿が、目に浮かぶ。
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