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世代

 「失われた30年」という言葉がある。これは、バブル崩壊後の、日本の経済の長期低迷を意味する。私の人生は、この30年の只中にあって始まった。
 ご年配の方が多く集まる会で、自己紹介などをすると、少なくない人から「それは辛いのー」と気の毒がられる。その大半は生まれた年に起因するもので、「いつ生まれるかは、自分では選べんからな……」と嘆かれてしまう。
 嘆く先輩諸氏を見ていると、自分が考えている以上に、「失われた30年」というのは重い現実であることが分かってくる。

 生まれた年を答えて嘆かれる、といえば、「就職氷河期世代」はその代表例であると言っていい。私の知人にも、この世代に生まれて、苦労している人が多くいる。

「議論の前提として、データに基づく客観的な現状把握も重要だ。就職氷河期の経験は、人それぞれだ。一般的に、人は自分の世代が相対的に割を食っていると考える傾向がある。その一方で、社会的孤立のように、当事者以外には見えにくい問題がある。」
近藤絢子『就職氷河期世代』中公新書、P166)

 「就職氷河期世代」のことを少しでも詳しく知りたいと思い、手に取った本に、なかなか手厳しい文章があった。
 人は一つの世代を背負って生きることしかできない。大半の人は、その世代の社会制度・慣習に縛られる形で、日々の生活を送ることになる。あらゆる物事を自身が望むようにコントロールできることは、まずない。
 よほど完璧な人生を送っていないかぎり、制限を課してきた「世代」に不満が募るのは当然だ。背負える世代は一つだけであるから、実感をもって語れる世代も一つしかない。

 この現実を踏まえるならば、私が上で参照した『就職氷河期世代』のように、本などを通して各世代のことを学んでいく必要がでてくる。また、自身が背負ってきた世代についての本も読むことで、実感とは異なる別の一面が見えてくるかもしれない。
 お世辞にも愉快な読書にはならないが、有意義であることはまず間違いない。




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