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“かぜ” 日本の秋は風にのってくる|中西進『日本人の忘れもの』

8月7日は立秋です。万葉集研究の第一人者である中西進さんによる2001年刊行のロングセラー日本人の忘れものより、“風”について綴られたエッセイをお届けします。

日本人の忘れもの
中西進 著(ウェッジ刊)

日本の秋は風にのってくる

 ずいぶん前のことだが、亡くなった池田弥三郎さんと話をしていた時、おもしろいことを聞いた。

 堀辰雄の名作に『風立ちぬ』という小説がある。この冒頭にポール・ヴァレリーの詩が引用されていて、堀の小説の題もそれに基づいている。

風立ちぬ いざ生きめやも

 そこで池田さんは学生にこの詩を示して、「季節はいつか」と質問したらしい。圧倒的に多くの学生が、秋と答えた。

 ところがヴァレリーの原詩は夏である。彼は墓地を見下ろす丘にいる。まわりに荒々しい風がおこる。私は生きるべきだ、と詩人は思う。

 それが日本人に受け取られると、まったく違って、風が吹き始めると、さあ秋だ、ということになるのである。

 もっとも「いざ生きめやも」という堀の翻訳は間違っていて、原詩は「生きなければならない」という意味である。一方、「生きめやも」は「死のう」という意味だ。

 この表現に引きずられて秋という答えになったのかもしれない。

 しかしもっと単純に、日本人にとって、風といえば秋なのであろう。例の「秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ 驚かれぬる」(藤原敏行としゆき)という『古今集』の名歌もある。

 日本は季節風の地帯といわれる。晩夏ともなると太平洋上に発生した台風も大きくなって北上し、日本をおそう。

 むしろ、風の季節といえば秋だと答えた大学生の方が、日本列島の風事情によく通じていたというべきだろう。

 日本列島といえば、列車の車窓から見る風景に、防風林をめぐらした屋敷があって、おもしろい。L字型に家屋をかこって木を並べてあったりする。とくに海からの強い風を防ぐことも、多いであろう。

 そんな風景が人影もなく車窓を経過していくと、そこに湛えられた歴史の厚みを思ってしまう。

 もちろん人間と風とのつき合いは、世界中どこへ行っても切れない。たとえばフランスのアルル地方を旅した時「このあたりは風が強いので風車がたくさんあります」と言われて、うれしくなったことがある。

 だからこそ、アルフォンス・ドーデは「風車小屋からの便り」を書いた。そんなところで働く農夫の青年に、パリの匂いをただよわせた女は、どれほどまぶしかったことか。

 しかも近づくと、風車はけっして牧歌的なものではなく、むしろ逞しく荒あらしい力にみちていた。風に向かっているのだという実感をもった。

ドーデの風車小屋

 だから時として、怪物に見えることもあっただろう。風車小屋に向かっていったドン・キホーテの話も、あながち絵空事ではない。

 こうして風は、洋の東西を問わず生活と密接に結びつき、人間はそれから生活を守る工夫をしたり、生産に利用したりした。それなりにたくさんの関心を払ったから、季節ごとの風の変化にも敏感だったはずである。

 だから台風の季節を迎える日本の秋は、風の季節であり、秋の到来は、自然の姿の変化よりも、まず音の変化にあらわれることになる。

 じつはこれを書いている今日は立秋の日である。と言うより、昨日まであんなに暑かったのに今日はどうしたことかと思うほどに気温も下がり、空気が冷たく漂う。カレンダーを見ると立秋であることに気づくといったぐあいだ。

 まさに日本の秋は、風のそよぎからくる。

風に心を通わせてきた日本人

 ところで、日本人は風を秋を知る道具としてだけ使ったわけではなかった。古くからの文献を見ていると、日本人がいかに心深く風に向きあってきたかがわかる。

 たとえば次にあげるものは、今から千年ほど前、平安時代に流行歌として歌われていた歌謡だが、風を「心あいの風」とよぶ。

道の口 武生たけふ国府こふに 我はありと 親に申したべ 心あいの風や さきんだちや

──「道の口」

 作者は越前の国の武生にいた。いまの越前市で、当時は越前の国の国府があった。彼女はここへ流れてきた遊女だったらしい。親元は西の方である。

 家が貧しかったのか、それとも人にさらわれてしまったのか、行方知れずになった自分を心配しているだろう親に対して「道の口の武生の国府に私がいると、親に言ってちょうだい。心を知り合った風さん」(「さきんだちや」ははやしことば)と歌った。

 ところで「あいゝゝの風」とは東の風のことだ。それに「心合いゝゝ」ということばを掛けた。

 東から西へと、武生を吹き抜けていった風は、哀しい娘の消息をことづかって、親元へ流れていったのである。

 哀切な願いは、ほんとうに風が頼みを聞いてくれると思ったからだろう。そして、どこまでも吹き続けると思えたのだろう。

 同じように風に願いを託した有名な歌が他にもある。九州へ左遷された菅原道真は、出発に際して庭の梅にこうよびかけた。

東風こち吹かば 匂いおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ

 東風が吹いたら、それに乗せて梅の花の匂いを九州まで送ってくれというのである。だから「主人が居なくなったからといって、春を忘れてはいけない」と。京都から九州まで、風はどこまでも吹き続けると信じられた。

 日本列島に東の風が吹くのは春である。北陸に遅い春が訪れ、東の風が吹き始めると遊女は親を恋いしたった。また道真は、異郷の配流の身にも春風が感じられると、はなやかな都への思慕の念が湧くだろうと思った。

 一方の、さきほどから話題にしてきた秋の風も、野分のわきという別名で呼ぶ習慣があった。荒あらしく吹いて、野の草をぎ倒し、分け入っていく風だと考えたのである。

 野分という風のとらえ方は、千年以上前からあるのだが、さらに一歩踏み込んで、秋の風をとらえたのが近代の文豪・夏目漱石ではないか。

 彼の短編に「野分」という作品がある。一人の人物が講演をしている。外は野分の風が吹いている。それだけのことだから、うっかりして、読者はつまらない作品だと思うかもしれないが、じつは、この人物は白井しらい道也みちやという名である。この人名は「白い道なり」をもじったものにちがいない。つまり「二河にが白道びゃくどう」のまわりは野分にみちている、という主張がこの小説の主題である。

 二河白道というのは、中国唐代の善導というお坊さんが説いた、浄土への道である。その白い道の左右は火の河と水の河。火の河とは俗人の怒りの気持ち、水の河とは同じく凡俗の夢をむさぼる気持ち。この二つの煩悩を捨てるところに往生の道があると言うのが、浄土教を大成したこの僧の教えである。

 そこでこの河の比喩を風にかえたところに漱石のみごとさ──多分に日本的といえる比喩があると私は思う。

 たしかに人間を襲う俗情を河にたとえても日本人は、ぴんとこない。ところが野分の風のように襲いかかる俗情というと、誰でもすぐにわかる。

 しかも風は、なにか異界とつながっているように思えないか。

 あの宮沢賢治の名作「風の又三郎」は、エイリアンのような又三郎が、みごとな風の演出によって現れ、また消える。

どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいくわりんも吹きとばせ
どっどど どどうど どどうど どどう

 こんな風が異界とこの世をつなぐ。この風は異界浄土へといたる道にも、吹いているのではないだろうか。

 少なくとも漱石は、池田さんから風の季節を問われると、やはり秋と答えるひとりだったように思う。

ふう」という目に見えないものの働き

 風は、こんなふうに心の色に染められてくると、かえってだんだん透明になって、目に見えないもの、それでいてとても強い働きをするものになっていくではないか。

 たとえば「京風料理」などという。何が京風なのか、なかなかいえない。湯葉ゆば料理が入っていれば京風だとか、のちまきが入っていればいいとかいうと、叱られるだろう。

 それでいて、まぎれもなく「風」は存在する。りっぱな校風、ありがたくない兄貴風あにきかぜ、また、生まれ故郷が顔を出すお国ぶりも、その「風」の一つだろう。

 しいていえば、傾向を「風」といったということになろうか。

 ではなぜ、傾向を「風」というのだろう。

 じつは日本語には、古くから「風のいろ」と言うことばがある。辞書ふう(これも風である)にいうと風の様子のことだといえばよいか。

 一つのもの──たとえば都なり学校なりが風をもっていて、その風にそれぞれいろゝゝがある。それが京風とか校風とかというものだと思える。

 こうなると風はもう自然現象の一つから遠く離れてしまって、抽象化され、精神性がきわめて強くなる。

「あの人のことを、風の便りに聞いた」といっても、実際に風が手紙をもってきてくれたわけではない。さっきあげた武生の遊女や道真の場合は、まだまだ実体のある風だろう。しかし風の便りといえば、ほとんど噂ていどで、ふたしかさが条件でさえある。

 風のいろということばが風の様子のことだといったが、そもそも風はそれ自体に実体がない。物にふれてはじめて実体を示す。だから風の様子というのも、風がそれぞれの物に宿るありさまである。激しく揺すれば激しい風になり、ゆったりと動かせばそよ風となる。

 風の便りということばを口にすると、すぐに風が人から人へと伝達されつづけるありさまを想像するだろう。しかも運びつづけるものが人の消息だという。

 何かメルヘンのようなありさまを、大人も平気で口にしているのだから、風はこわい。

 風がこわいといえば、もっと怖い風は「あいつは人の風上にもおけない奴だ」といわれた時だ。

 風上にあるものはすべて風下へ向けて吹き寄せてくる。とくににおいを送ってくる。「あいつ」の風を受けては、たまったものではないといわれて、侮辱されてはたまらない。もちろんその反対に、いつも風下におかれているのでは名折れである。早く風上にたつようにしなければならない。

 そんな風は、影響ていどの実体をいうのであろう。影響も、いつとはなしに受け、またあたえる。そのような働きも風に託していうことが、もっとも適切だったのである。

 そうした抽象的な風も、たくさんの日本語の中に見つけることができるだろう。逆にいえば、日本人は風という自然現象に目を向けて、目に見えないながら強力に働くものとして、風をとらえてきたことになる。

 目に見えないものが強力に働くといえば、私は目に見えないものを、いろんな面から形をかえて感じつづけてきた。それなりに、いや他の何よりも、「ふう」ということばまで作って風を尊重してきた日本人の、風の大事さをもう一度考えてみたい。

文=中西 進

中西 進(なかにし・すすむ)
一般社団法人日本学基金理事長。文学博士、文化功労者。平成25年度文化勲章受章。日本文化、精神史の研究・評論活動で知られる。日本学士院賞、菊池寛賞、大佛次郎賞、読売文学賞、和辻哲郎文化賞ほか受賞多数。著書に『文学の胎盤――中西進がさぐる名作小説42の原風景』、『「旅ことば」の旅』、『中西進と歩く万葉の大和路』、『万葉を旅する』、『中西進と読む「東海道中膝栗毛」』『国家を築いたしなやかな日本知』、『日本人意志の力 改訂版』、『情に生きる日本人 Tender Japan』(以上ウェッジ)など。

出典:日本人の忘れもの 2(ウェッジ文庫)

≪目次≫
第1章 営み
わたし  日本人らしい「私」が誤解されている
つとめ  義務や義理にしばられてしまった日本人
こども  自然な命の力を育てたい
もろさ  自然な人間主義を忘れた現代文明
あきない 立ち戻りたい商業の原点
まこと  改革はウソをつかないことから始まる
まごころ 人間、真心が一番である

第2章 自然
みず   水の力も美しさも忘れた現代人
あめ   雨は何を語りかけてきたか
かぜ   風かぜは風ふうとして尊重した日本人
とり   鳥が都会の生活から消えた
おおかみ 「文明」が埋葬した記憶を呼び戻したい
やま   山を忘れて平板になった現代人の生活
はな   日本人はナゼ花見をするか

第3章 生活
いける  花の本願を聞こう
かおり  人間、いいものを嗅ぎわけたい
おちゃ  茶道の中で忘れられた対話の精神
みる   識字率のかげに忘れられたビジュアル文化
たべもの もう一度、「ひらけ、ごまゴマ」
たび   つまみ食い観光の現代旅行事情

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