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五月雨をあつめて早し最上川|芭蕉の風景

「NHK俳句」でもおなじみの俳人・小澤實さんが、松尾芭蕉が句を詠んだ地を実際に訪れ、あるときは当時と変わらぬ大自然の中、またあるときは面影もまったくない雑踏の中、俳人と旅と俳句の関係を深くつきつめて考え続けた雑誌連載が書籍化されました。ここでは、本書芭蕉の風景(上・下)(ウェッジ刊)より抜粋してお届けします。

五月雨さみだれをあつめて早し最上川もがみがわ 芭蕉

風流ここに至れり

 大石田には最上川の港、酒田へ下る川船の発着所があった。『おくのほそ道』のなかでは芭蕉はここから乗船するために日和を待つ。その間に土地の俳人に乞われて連句を巻くのだ。それについて、「このたびの風流ここに至れり」と記している。意味は「今回の旅の風流はこの地に極まった」。実はこの記述は次の句と呼応していた。「風流の初めやおくの田植歌」。白河の関を越えた須賀川すかがわにおいてこの句を発句とする一巻が編まれた。これがみちのく俳諧行脚の初め。その句と遠く呼応しつつ、ここ大石田の連衆の俳諧への執心を讃えている。

 元禄二(1689)年旧暦五月二十八日朝、芭蕉は曾良とともに馬を借りて立石寺の宿坊を発つ。そして同日午後二時過ぎ、大石田の俳人、高野たかの一栄いちえい宅に到着した。滞在は三日間。一栄の俳号と本名は、すでに曾良の『随行日記』の五月十八日、尾花沢滞在中の余白に記されていた。尾花沢の豪商俳人、鈴木清風の紹介があったのかもしれない。

 掲出句は紀行文『おくのほそ道』所載。意味は「五月雨の水量を集めて早いことなだあ、最上川は」。

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 山形新幹線の大石田駅で降りる。駅構内の観光案内所で「大石田てくてくガイド」をもらって、最上川へ急ぐ。大橋近くに一栄の旧居があるのだ。堤防の上に出ると最上川が見渡せた。通りかかった人に水量について聞くと、今は雪解けの影響で増えているとのことだ。梅雨に入るとどうか聞くと、今よりさらに増えて、橋桁近くまで届くそうである。芭蕉はそういう川と対したのだろう。

 一栄旧居には歌仙碑が建てられていた。掲出句の初案を発句とする歌仙(三十六句を連ねる連句)は芭蕉の自筆懐紙が伝えられている。その表六句、名残の表六句、奥書が拡大されて彫られていた。芭蕉は筆にたっぷりと墨を付けている。筆の運びにはリズムが生まれている。見ていると気持ちが良くなってくる。

 さて、掲出句の初案は二十九日、一栄宅の句座に出された次の形である。

 五月雨を集て涼し最上川 『俳諧書留』

「早し」ではない。「涼し」であるところに客の挨拶の意がある。「夏なのに五月雨を集めていかにも涼しげな最上川の景が眼前にあります。心地のいいお宅で過ごさせていただきありがとう」。

 それに一栄が付けた脇句は次のとおり。「岸にほたるを繋ぐ舟杭」。「岸には舟杭はありますが舟もありません。蛍がとまっているばかりです。そんなつまらぬ所ですが、ゆっくりなさってください」と亭主は謙退の意を表す。

「すゞし」から「早し」に

『おくのほそ道』に収録された句は「すゞし」から「早し」へと変えられている。芭蕉の挨拶の対象が旅で会った一栄から和歌に詠まれてきた歌枕最上川そのものに変わっているのである。

 この句の魅力は「五月雨を集めて」という部分にある。「峰々に降った五月雨が流れ込む支流を集めて」とことばを補ってもいいだろう。かなり大胆な、乱暴と言ってもいい表現である。この部分に「すゞし」をつなぐと若干渋滞の気分がある。「すゞし」はあくまでも人間の主観的な繊細な感覚である。挨拶のための人間界のことばである。これは「五月雨を集めて」の荒々しさと微妙にずれる。芭蕉はまだ最上川の外にいる。対して「早し」は客観的で率直、単純。「五月雨を集めて」にぴったり来る。この表現が来て、最上川と芭蕉とは初めて一つになり、ともに流れ下るのである。

 古注には「最上川はやくぞまさるあま雲の登ればくだる五月雨のころ」『兼好家集』を踏まえるとの説が少なくない。歌意は「最上川は早く水量が増えている、雨雲が空にのぼると雨が降る五月雨のころには」。たしかにことばは似ている。しかし、もたもたとことばが重複して理屈っぽい。梅雨の川のスピードが感じられない。芭蕉が名所の句を作る際には古歌を乗り越えるように作る。掲出句はまさにその成功例である。

 芭蕉は『おくのほそ道』に「最上川乗らんと、大石田といふ所に日和を待つ」と書いている。意味は「最上川を舟で下ろうと、大石田という所で天気のよくなるのを待つ」。しかし、実際には大石田滞在の三日間は天候が悪くない。雨は二十九日の夜に入って小雨が降るばかりで、三十日など晴れてもいる。この悪天候を連想させる一文は川が増水していることを読者に想像させんがためではないか。芭蕉は大石田からは乗船しなかった。新庄を経てずっと下流である元合海もとあいかいから乗っている。それなのに大石田からのように匂わせているのは、川の上で過ごす距離と時間とを長く感じさせるためではないか。掲出句には船上での実感がある。句のリアリティをより確かにするための企てではないか。

 かつて大石田の岸には塀と蔵とを兼ねた塀蔵へいぐらという建物が立ち並んでいたようだ。現在堤防には塀蔵が壁画として描かれている。なんと六百メートル余りで世界一だというが、芭蕉が見たら喜ぶだろうか。川下りの船がこのあたりから出ていたそうだが、それも近年廃されてしまったという。しかし、川の流れは変わらない。

最上川雪解ゆきげ濁りや日を返す 實
虎杖いたどりに最上はやしよ波立てず

※この記事は2003年に取材したものです

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小澤 實(おざわ・みのる)
昭和31年、長野市生まれ。昭和59年、成城大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。15年間の「鷹」編集長を経て、平成12年4月、俳句雑誌「澤」を創刊、主宰。平成10年、第二句集『立像』で第21回俳人協会新人賞受賞。平成18年、第三句集『瞬間』によって、第57回読売文学賞詩歌俳句賞受賞。平成20年、『俳句のはじまる場所』(3冊ともに角川書店刊)で第22回俳人協会評論賞受賞。鑑賞に『名句の所以』(毎日新聞出版)がある。俳人協会常務理事、讀賣新聞・東京新聞などの俳壇選者、角川俳句賞選考委員を務める。


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