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幸せな時間が詰まった萩の街|井上希美(編集者、元俳優)

各界でご活躍されている方々に、“忘れがたい街”の思い出を綴っていただくエッセイあの街、この街。第29回は、NHK連続テレビ小説「エール」で藤丸役を演じお茶の間を魅了した井上希美のぞみさんです。いまは俳優業を引退し、出版社の編集者としてご活躍されている井上さんに、ご自身初となるエッセイを綴っていただきました。

日本海に面した萩の街。
祖母の住む山口県北部のこの街に、物心つく前から夏がくるたび訪れた。

自宅のある神戸から、両親と姉と愛犬とともに向かう車での長旅。車内では両親の好きなアーティストの曲が何度もループしていたから、今でもサザンオールスターズやユーミンを聞くと、夏の暑さを伴って旅の記憶がよみがえる。

いくつかの山道を越える長距離移動の心地よい揺れにより大抵は眠ってしまう。目が覚める頃には日本海が迎えてくれていて、それは「今年も萩に来られた」と実感できる瞬間でもあった。

萩市といえば萩城下町。公園として整備された萩城跡地のそばに、白壁と黒板塀の屋敷が立ち並ぶ。街中には観光客を乗せた人力車が走り、歴史的建造物も多数残っている。教科書に出てくる人物ゆかりの建物だと聞くと、当時小学生だった私のミーハー心はくすぐられていた。

歳を重ねるごとに古民家を改装したカフェや雑貨屋などの散策も楽しくなり、萩焼の並ぶお店に入っては今年の記念にと、茶わんや平皿などを選ぶのが旅のお決まりのひとつになっていた。その影響からか大人になった今も萩焼をみかけると心が弾み、衝動買いする機会も少なくはない。

そんな城下町から北東へ10キロ程度進んだところに祖母の家はある。海のそばの木造2階建の一軒家。

海の反対には田畑が広がり、山の方をみやると小さな無人駅がぽつんと建っている。この駅には一時間か二時間ごとに列車が到着し、緑のなかに暖色系の一両編成の車両がよく映えて、走る姿を見られた時には物語の中に入り込んだかのような感覚で電車が見えなくなるまで眺めてしまう。

なにより、海を臨むことがおおきな楽しみのひとつだった。祖母の家を出て道路を挟んだ向かい側に行くとかすかに波の音が聞こえてきて、そのうち海が見えてくる。高揚感と、のまれてしまいそうな深い青色に畏怖を感じて心臓は高鳴り、私は波打ち際でくるぶしあたりまでしか浸かれないこともあったが、磯の香りを胸いっぱいに呼吸できる幸福を味わった。波打ち際に流れ着いた貝殻や角が丸くなったガラス片を拾い、宝物のように持ち帰るのもまたお決まりだった。

そんなのどかな環境だが国道沿いのため車の往来は多く、近くにはコンビニもあり、隣人の存在も比較的感じやすい。

日頃会うことのかなわない人たちと会えるのも「夏ならでは」という感覚で、今となっては贅沢なことだが、食事の時間になると大きな食卓をみなで囲んだ。萩市内に住む曽祖母もやってきて、従姉妹や伯父さん伯母さんまで集まったときにはちょっと笑えるくらい多勢になる。

食卓には決まって漁師さんから直接手に入れた獲れたての魚が並び、イカの刺身やサザエのつぼ焼きが食べられた。新鮮な野菜をつかった料理もご馳走で、野菜は家の畑で育ったものがほとんどだった。

畑では、季節の野菜や果物、例えばトマトやナス、ゴーヤ、柿にキウイ、イチジク、大きなスイカまで、あらゆる種類を収穫することができる。

元より祖母は農家の生まれではないが、その出来栄えは近所の農家さんに褒められるほどだという。誰かに喜んでもらいたいと夢中になるあまり頑張ってしまう、と言う祖母は、無理はしないでと伝えても、季節ごとに段ボールいっぱいの野菜を実家に送ってくれていた。

みんなで談笑したり、街を歩いたり、バーベキューや花火を楽しんだり。ひと夏をここで過ごす、未熟な10代のいろんな自分を知っている。「来年も、再来年も」と、うたがうことはなかった。

18才の夏が、家族全員揃って私が萩を訪れる最後となった。ニュースで「〇年に一度の流星群が見られる!」と知った私たちは、家の屋上にレジャーシートを敷き家族で川の字に寝転がって星を見上げた。視界を何にも遮られることなく星空を眺めたのはこれが初めてのことだった。

その時、自分が星を見ながらどのようなことを感じ、どのような思いを巡らせていたのか、はっきりと思い出すことはできない。ただ父が、「こういう風にみんなで星を見れるのも最後かもなあ」とぽつりと言ったことと、母が「きっとまた見れるよ」と意思の込もった声で言っていたことはよく覚えている。

高校卒業と同時に上京した私は、東京という街に漂う独特な空気に推され周りに置いていかれないようにと必死なばかりで、祖母から「野菜を送るから」と声を掛けてもらっても断るようになっていた。ついには曽祖母のお葬式にすら出られなかった時のことを思い出すと、いまでも心苦しく涙が滲む。

そんな日々を過ごしていた20代中盤のある時、ぽっきりと、心の折れることがあった。どこまでも深く沈む心身をなんとか浮上させようともがきながら、実際にはただ時間が過ぎるのを待ち、消えたいと、そればかり考えていたように思う。

そんなとき、萩の街を思い出していた。

海の深さを感じ、新鮮な空気を胸いっぱいに吸おうか。祖母の畑を手伝いながら居候させてもらおうか。あのコンビニでアルバイトさせてもらえないだろうか。時々はあの電車に揺られて、知らない街へ出掛けてみようか。
そんなことを想像しては、救われた。

ただ、その想像を実行できるほどの気力はなく、こんこんと時間が経つのを丸まりながら待っていた。それでも人間の生命力というのは不思議なもので、少しずつ元気を取り戻し、再び社会と繋がり、気付いた頃にはまた慌ただしい日常に溶け込んでいた。
あの生活をかなえておけばよかった、という一抹の後悔を心の隅に置きながら。

ある日、祖母から「萩を離れることにした」と連絡があった。思い切った決断に驚きながら、私は急いで萩の街を目指した。今度は飛行機とあの電車で。
電車に揺られ青々とした木々の間を抜けると一気に視界が開けて海がみえて、ああ、またこの街に来られた、と思った。朗らかな笑顔とやさしい声で「おかえり」と迎えてくれた祖母は、少し小さくなった気がした。

祖母の家はほとんど片付いていたが、私のために布団を残してくれていて、食器棚に残るいくつかの萩焼を譲ってくれた。持ち主が代わることを告げられた萩焼の静かな姿に、心の奥の方がくすぐられた。

その夜、清浄な布団にもぐり込みながら祖母とゆっくり話をした。未来を見据えた決断だったこと、早くにこの世を去った祖父との、思い出の詰まったこの家を離れることの寂しさを明かしてくれた。祖母の聡明さに感銘を受けながら、「せめて次にここで暮らす人たちが幸せに過ごせたらいいね」と、ありきたりだが、そんなことを二人で願ったと思う。

ここでの思い出はもう、未熟な私としての思い出だけではない。少しだけ大人になった自分でもう一度この街に来られてよかったと心底から思った。

祖母は今、神戸にある私の実家で暮らしている。88才になる祖母は変わらず健康で、私は実家に帰るたびに、洋風だった庭が畑になっていく様子を微笑ましく見守っている。

あの頃よりおおきく人生が変化した今、もう一度あの街へ行ってみたい。
あたたかくなる頃に。桜でも見に。

文・写真=井上希美


📚井上希美さんの担当コミックエッセイ

はじめましてあかちゃん 赤ちゃんより泣いちゃう母親の絵日記』作 usao

発売後即重版。共感と感動の声、続々。
母親になったusaoが描く、”なんでもない”妊娠と出産と子育ての絵日記。

──わけもわからず苦しくて。初めてだらけの「頑張らなきゃ」がつのって。そんな思わず泣けちゃう日々のなかで、ちいさな命が教えてくれたこと。
「はじめましてあかちゃん、きみはどんな子ですか。一緒に笑ったり泣いたり悩んだりおこったり、一緒に歩いたり、しませんか。」

▼幻冬舎コミックス作品紹介サイト

井上希美(いのうえ・のぞみ)
1992年生まれ。兵庫県神戸市出身。編集者。高校時代に朗読と出会ったことをきっかけに物語と携わる人生を望むように。8年間俳優として活動し、NHK連続テレビ小説「エール」藤丸役、劇団四季「美女と野獣」ベル役、テレビ朝日「やすらぎの刻~道」根来信子役などで出演、2022年引退。同年より株式会社幻冬舎コミックスにて編集者として勤め、連載漫画やコミックエッセイ、小説などを担当している。趣味は本や漫画を読むこと、映画・ドラマ鑑賞、お笑い、写真を撮りに出掛けること。

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