800年の伝統を守る“山中和紙”の奥深い魅力|飛騨さんぽ
「飛騨さんぽ」は、紆余曲折を経て雪国・飛騨に移り住んだ浅岡里優さんが、日々の暮らしの中で感じた飛騨の魅力を飾らない言葉で綴る連載です。第3回は、飛騨の山奥で受け継がれてきた“山中和紙”について。
「800年続くこの伝統を、800年先まで残したい」
こう語るのは、雪深い河合町で、“山中和紙”の伝統を受け継ぐ長尾農園の長尾隆司さん。
飛騨には歴史的な文化や営みが数多く残っている。そのひとつが、伝統工芸の「山中和紙」だ。幼稚園や小学校の卒業証書や成人式の証書に使われるなど、いまも飛騨の暮らしに根付いている 。
今回は、この「山中和紙」から飛騨の魅力を紹介したい。
山中和紙は、和紙の原料である楮を“雪晒し”という伝統的な手法で漂白する
和紙に宿る自然の力
まず、和紙とはなにか。辞書を見ると、
“日本古来の製法による紙。コウゾ・ミツマタ・ガンピなどの靭皮繊維を原料として、手漉きによって作られる”──『大辞林 第四版』(三省堂)
とある。つまり和紙とは、植物を原料にして、手漉きで作った紙のこと。とはいえ、実際には機械で作られたものも含めて「和紙」として流通しているらしい。
それでは「手漉きの和紙」はどのようにして作られるのか。山中和紙の製造工程をまとめたこちらの素敵なイラストをご覧いただきたい。
山中和紙の漉き手・近谷瑠衣さんが描いた製造工程(※クリックのうえ拡大してご覧ください)
和紙はこんなにもたくさんの工程を経て、やっと出来上がるのだ。
和紙の作り方は地域によってあまり差はないようだが、図の9番目にある“雪晒し”は、雪深い土地ならではの手法だ。
たとえば日本を代表する美濃和紙は、水に晒して繊維の漂白を行う。これが一般的な手法だ。しかし雪深い河合町では、水の替わりに雪を用いる。
また、近年は効率化のために次亜塩素酸ナトリウムで漂白するところも多いという。
一般的に、紙は陽に焼けると黄ばむイメージだが、水や雪で「自然漂白」した和紙は陽に当たるほど白さが増すという。自然の力ってすごい。
左が漂白の進んだ状態。右に比べて明らかに色が変わっているのがわかる。
800年続く飛騨の伝統工芸
山中和紙は、豪雪地帯の飛騨市のなかでも群を抜いて雪深い河合町で800年以上の歴史をもつ。
紙漉きがもっとも盛んだった江戸時代、河合町には200戸以上の担い手がいたという。生産量も当時の他の地域と比べてかなり多く、飛騨における代表的な和紙の産地だったことが窺える。
なぜ、河合町なのか。
紙作りには、「原料となる植物」と「水」が欠かせない。
和紙の三大原料は先述の通り、「楮」「三椏」「雁皮」 。これに加えて、紙の繊維をつなぐネリ(糊)となるトロロアオイやノリウツギも必要になる。
三大原料のなかで最も一般的に使われているのが「楮」。山中和紙も楮を使っている。ちなみに、三椏の和紙は滑らかな紙質で印刷に向いていることから、日本紙幣に使用されている。
原料である楮の樹皮を剥がし、乾燥させている様子
河合は自然的条件から、良質な楮が育つという。江戸時代は、美濃・信濃・越中・越前の楮仲買人が高値で買いとる習慣があったとの記述も残っている。
楮の新芽
つぎに、清冽な水。紙漉きには、清く澄んだ冷たい水が求められる。また、アルカリ性の度合いが強いことや、軟水であることなど、良質な和紙を生むためにはさまざまな条件が必要とされる。
以前、河合に住む人から、この辺りの水は石灰を多く含むので、「ケトルの内側がすぐ白くなる」と聞いたことがある。石灰の主成分はカルシウムなのでアルカリ性。まさに紙漉きに適した水が流れている。
雪深い河合を取り巻くさまざまな条件が重なり合ってこその“山中和紙”なのだ。
山中和紙、自然のままに。
現在、山中和紙の漉き手として残っているのはわずか3軒。そのうち、数年前に山中和紙の伝統を受け継いだ長尾さんにその経緯を聞いた。
知人に誘われて、たまたま楮畑の手伝いをしたのが山中和紙との出逢い。その後、後継者の育成に取り組む飛騨市から声がかかり、山中和紙の漉き手になることを决めたという。
「子どもの頃から人に雇われるのは嫌だなと思っていたので、やってみようかなと」
そんな気軽な感じで……!? と一瞬耳を疑ってしまったが、ご本人は事も無げに飄々と語る。
冒頭でも紹介したように、そもそも和紙づくりはとても根気がいるうえに、きつい作業も多い。例えば「チリ選り」 と呼ばれる、原料についたゴミを取り除く作業は冬場の寒い中、原料を水に浸しながら素手で行わなければならない。飛騨では昔から「紙屋地獄」 という言葉があり、「紙屋には嫁に出すな」とまで言われていたのだ。
紙を漉く作業(再生時間:1分30秒)
なぜ、長尾さんはそれほど大変な仕事を選び、伝統を守ろうとしているのか。お話を伺いながら、ふと、山中和紙の営みと、長尾さんの大切にされている価値観が一致していることに気づいた。
長尾農園ではトマトの有機栽培にも取り組んでいる。食べものを通じて人を健康にしたいのはもちろん、土地や環境も健全に保ちたいという想いから有機栽培にこだわっている。その根底にあるのは「自然の流れに身を任せる」という姿勢だ。
長尾農園では、夏はトマトを栽培している
技術の進歩により、和紙づくりの世界でも原料の保管や製造工程に強い化学薬品を使うところもあると聞く。しかし、長尾農園では自然の力を生かした紙作りにあえてこだわっている。
自然との調和を大切にして生み出される山中和紙と、自然の流れに身を任せて生きようとする長尾さんの出逢いはけっして偶然ではなく、必然だったのかもしれない。
和紙が残る未来を
長尾さんからお話を伺い、山中和紙の奥深い魅力を知った私は、日本が誇るこの「和紙」という文化が、これから先も引き継がれてほしいと願うようになった。
『和紙の美しさと歴史』(増田勝彦 監修)という本がある。そのなかで、和紙で作られた古い歌集(国宝 西本願寺本三十六人家集)が写真付きで紹介されている。それを見た私は、あまりの美しさに思わず息をのんだ。なんと、900年も前につくられた歌集が劣化せず、美しいまま残されているのだ。
手漉き和紙は、数百年を経ても腐敗や虫食いなどの劣化がなく保存することができるという。
なぜか。
じつは、紙が劣化する原因のひとつに「紙魚」と呼ばれる紙を食う虫の存在がある。彼らは薬品ノリを好む。薬品を使用してつくられた紙は、彼らの食事処になってしまうのだ。
また、紙漉きに水道水を使っても和紙の保存性は損なわれるという。 水道水にも薬品が含まれているからだ。
長尾農園がつくる山中和紙のノリは、紙魚がつかないトロロアオイやノリウツギを使っている。さらに、楮もトロロアオイも長尾さん自ら栽培するという徹底ぶり。水も、裏山の谷から引いてきたものだ。
とはいえ、需要がなければ伝統はやがて廃れてしまう。そこで、長尾さんは現代に合った山中和紙の使い道を模索している。最近は、料理のメニューなどに使ってくれる飲食店も増えているそうだが、さらに幅を広げていきたいと言う。まずは和紙に興味を持ってくれる人を増やそうと、アーティストとのコラボレーションなどにも取り組んでいる。
アーティスト・on satoさんの絵をシルクスクリーンで山中和紙にプリントした作品
レーザーカッターを使って山中和紙にプリントすることで独特の風合いを生んだグラフィックデザイナー・森瀬なつみさんの作品
800年にわたり受け継がれてきたこの伝統を守るため、私にできることは限られているのかもしれない。それでも願わずにはいられない。
長尾さんの漉いた美しい和紙を見た800年後の人が、私のように、思わず息をのんでしまう瞬間が訪れることを。
参考文献:
河野徳吉『飛騨山中紙』2004年
菊地正浩『和紙の里 探訪記』草思社,2012年
河合村役場『飛騨河合村誌 通史篇全』1990年
月刊「考古学ジャーナル」ニュー・サイエンス社,2016年5月号(683号)
奥田利男(編)『飛騨伝統産業 飛騨河合 山中和紙』飛騨河合手漉き和紙組合,2007年3月
文・写真=浅岡里優
浅岡里優(あさおか・りゆ)
1990年生まれ。九州大学芸術工学部卒業。大学卒業後、新卒採用支援の会社を立ち上げるも挫折。0からビジネスを学び直そうと、株式会社ゲイトに参画。漁業から飲食店運営まで、一次産業から三次産業まで一気通貫する事業を経験。その後、クリエイティブの力で環境問題などの解決に取り組むロフトワークへの参加を経て、2021年に飛騨へ移住。自然に囲まれた暮らしに癒されながら、飛騨の魅力を発信している。
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