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中秋節に阿倍仲麻呂の悲哀を想う。|白露~秋分|旅に効く、台湾ごよみ(12)

この連載旅に効く、台湾ごよみでは、季節の暦(二十四節気)に準じて、暮らしにとけこんだ行事や風習、日台での違いなどを、現地在住の作家・栖来ひかりさんが紹介。より彩り豊かな台湾の旅へと誘います。

 天上大風。

 夏と秋が空の高いところで行き交うこの季節、空気は澄んで月が殊に美しくなる。台風がちかづけば、夕方の空は黄金色のカーテンを降ろしたように発光する。二十四節気は白露、空気が冷えて露を結びはじめる季節である。

 白雲 水に映じて 空城を揺すり、
 白露 珠を垂れて 秋月に滴る。

 楼閣に登った唐の詩人・李白は、こんな風に季節を詩に詠みこんだ。白い雲、白い露。耳をそばだてれば、夏が秋へと季節を着がえる衣擦れが聴こえるような静けさが、ここにはある。

 古代中国で生まれた、二十四節気をさらに5日ごと3つの季節にわけた七十二候では、

 初候 鴻雁来(雁が渡ってくる)
 次候 元鳥帰(ツバメが帰っていく)
 末候 群鳥養羞(鳥たちが食物を蓄えはじめる)

とある。どれも鳥の生態と関係あるが、江戸時代に日本の気候に合わせて改められた日本版七十二候をみれば、

 初候 草の露しろし。
 次候 鶺鴒(セキレイ)鳴く。
 末候 玄鳥(ツバメ)去る。

であり、ツバメが帰ってゆくのが中国版より5日ほど遅いのが季節のちがいをあらわすようで面白い。中国や日本で繁殖を終えた旅鳥たちは、冬にはタイやインドネシアなど東南アジアで冬を越す。だから彼らは、ちょうど旅の中間地点である台湾で、ひと休みするのだそうだ。

 台湾では旅鳥と留鳥を併せて6種類ほどのツバメを観察することができるが、もしかしたらこの時期に見かけるのは、日本から旅して台湾に羽を休めに立ち寄ってくれたツバメ達なのかもしれない。コロナ禍のこんな時代でも、彼らには国境なんか関係ない。科学技術が発達した現代の人間よりも、ずっと自由に往来を重ねてきたのだ。

日本と台湾に共通する「国産み」の神話

 ツバメ以外にも、古来より日本と台湾を往来して来たかもしれないものを、七十二候のなかに見つけた。次候の「鶺鴒セキレイ」にまつわる物語だ。長い尾っぽを上下に振りながらチチイ、チチイと鳴くセキレイは、「恋おしえ鳥」とも呼ばれる。

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 日本書紀のなかでイザナギとイザナミに性の営みの仕方を教え、それが日本の国産みにつながったという神話のためだ。しかしなんと、そっくりな伝説が台湾のアミ族にもあるという。

むかしアポクラヤンという神が、台湾の東海にあったボトルという孤島に天降った。ところが一すじの細い川をはさんで、タリプラヤンという女神が天降った。二神はたがいに言葉を交わし、心に適ったので同棲した。二神はイモを焼こうとして火の側にうずくまると、男神の下腹から長く突き出たものがあるのに気づいた。女神を見ると凹んだところがある。そこに鶺鴒が二羽とんで来て尾を振ったので、二神ははじめて遘合の道を知った。そして多くの子孫を得、のち舟で台湾本島に渡った。(『日本神話の起源』大林太良・著より引用)

 日本書紀と、アミ族の伝説。セキレイのしっぽを振る動作を見てまぐわいを知る二人の神が出てくるという、まるで双子のような神話である。

 何千年も昔から台湾や日本をはじめ、太平洋の広い海原を舞台にかけめぐってきた海洋民の人々に口承されたのかもしれないと想像すると、何だかわくわくしてくる。

中国と日本が揃う唯一の季節

 二十四節気の秋分は、春分とおなじく昼と夜の長さが同じになる。この時期の七十二候は

 初候 雷乃声を収む(かみなりこえをおさむ)
 次候 蟄虫戸を坯す(すごもりのむしをとざす)
 末候 水始めて涸る(みずはじめてかれる)

 初候は、夕立にともなう雷が鳴らなくなること、次候は虫が冬の巣ごもりの準備を始めること、末候は稲刈りの準備をするために田んぼの水を抜くこと。

 この秋分の七十二候は、中国版と日本版がまったく同じである。二つの暦は一年を通して似通った部分も多いが、初候・次候・末候と三つが揃って全く同じなのは、実はこの季節だけなのだ。

台湾での「中秋節」の過ごし方

 秋分といえば、台湾では何と言っても「中秋節」だろう。土地の氏神様(土地公)の誕生日でもあり、盛大にお祝いして一族の健康と円満を願う大切な日で祝日となる。旧暦8月15日なので今年2021年の中秋節は9月21日、中秋節の前にはお世話になった人に月餅や文旦を贈る習わしがある。

 月餅は月に見立てた丸い形をしたお菓子である。甘い餡や塩辛いアヒルの卵が入ったもの、クルミやヒマワリの種が入ったものなど様々で、毎年あちこちのホテルや名店が独自の月餅を打ち出して人気を競う。

 文旦は、台南の「麻豆文旦」が殊に有名だ。皮がしわしわになって来たら食べごろで、果肉は瑞々しくて甘く、皮を剥く手が止まらなくなる。分厚い外の皮を帽子のように切って、子供たちが頭にかぶって遊ぶのもお約束である。

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 日本では「中秋の名月」といってススキを飾りお団子を作って月見をするが、台湾ではなんと家族や友人、職場の仲間で集まって賑やかに焼肉やバーベキューをする習慣がある。

 これは昔ながらの伝統という訳ではなく、1980年代の食品会社が打ち出したバーベキュー・ソースのテレビCMから始まったものらしい。

中秋節にバーベキュー(烤肉)をする習慣のきっかけとなったテレビCM

 15年前に結婚して台湾に来たときは、それぞれの個人経営のお店の前で、脇をびゅんびゅんと自動車やバイクが通り過ぎるのを物ともせず、スタッフや家族総出でバーベキューする光景に驚いたものだ。

 今ではスーパーにバーベキュー用の網やら炭、竹串が並び始めると「ああ、もうすぐ中秋節だなあ」と思うようになったが、今年はコロナ禍のため屋外でのバーベキューが禁止になってしまった。

 だからという訳ではないが、昨年にひきつづき、今年の中秋節も特別な思いで月を見あげることになりそうだ。パンデミックのためこの一年半ほど、多くの在台日本人が一時帰国できずにいるからである。

 日本のパスポートがあるので帰国は出来るし、台湾の居留証があるので戻っても来られる。しかし、日本と台湾で併せて一か月のホテル隔離がゆるされるような経済的・時間的な余裕があるのは、限られた人のみだろう。

 なかには帰国がかなわず異郷で孤立し、精神的に参ってしまっている人が少なくないとも聞く。時を決めて海を渡るツバメのように、飛んで往来できればどんなに良いか……

同じ月を見ている

 奈良時代に留学生として唐に渡った阿倍仲麻呂あべのなかまろは時の皇帝・玄宗に重用され、在唐35年にしてようやく日本への帰国を許された。そして、友人であった王維や李白も同席した送別の宴で、こんな歌を詠んだという。

 天の原 ふりさけ見れば 春日なる
 三笠の山に 出でし月かも

 長安で天を仰げば、月がのぼっているのが見えた。この月は、懐かしい故郷・奈良春日の三笠の山に出ているのと同じ月なのだなあ――台湾に移住してこれまで、何度となく空に浮かぶ月を見上げては、日本の家族や友人らも同じ月を見ているのだと切ない気持ちになった。今年はそんな思いが、とりわけ深い秋になりそうである。

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 阿倍仲麻呂の乗った船は暴風雨に遭い南方へ漂流、今のベトナムにたどり着く。ふたたび長安へと戻った仲麻呂は帰国を断念し、結局、日本に帰ることなく73歳でその生涯を閉じたという。

文・絵=栖来ひかり

栖来ひかり(すみき ひかり)
台湾在住の文筆家・道草者。1976年生まれ、山口県出身。京都市立芸術大学美術学部卒。2006年より台湾在住。台湾に暮らす日日旅の如く新鮮なまなざしを持って、失われていく風景や忘れられた記憶を見つめ、掘り起こし、重層的な台湾の魅力を伝える。著書に『台湾と山口をつなぐ旅』(2017年、西日本出版社)、『時をかける台湾Y字路~記憶のワンダーランドへようこそ』(2019年、図書出版ヘウレーカ)。


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