パニックケアワーカー

パニック障害と向き合いながら、介護職をしています。既婚者で、子どももいますが別居してい…

パニックケアワーカー

パニック障害と向き合いながら、介護職をしています。既婚者で、子どももいますが別居しています。 二世帯住宅のマイホームを建てたものの、義母と折り合いがつかずに、パニック障害と鬱を発症。その後は別居。現在は自宅に戻って要介護2の父親の身の回りの世話をしています。

最近の記事

はじめまして。パニック障害持ちのケアワーカーです。

 僕はパニック障害です。なった事がある人には分かると思いますが、ほんまに厄介な病気です。  初めてなったのは、複合機、要はコンビニに置いてあるコピー機の飛び込み営業をしていた時でした。  毎日担当エリアの会社にアポ無しでひたすら訪問しては断られるという事を続ける日々。 僕にとってはまるで、当たりの無いくじ引きをしているような、砂場に落ちた砂を探しているようなそんな感覚で、全く楽しく無い苦痛でしかない作業をしていました。  「入社してから3ヶ月の間に売れなかったらクビやから

    • オカン。

       オカンが41歳の時に、僕は生まれた。 今年オカンは78歳になる。現在は喜寿。 ただ、そのお祝いも何もしていないし、オトンはオカンの年齢もいまいち覚えてへんような気がする。  オカンは僕が物心ついた頃から宗教にハマっていた。毎日夕方にはお経を唱えて手を合わせていた。それと、毎日毎日亭主関白のオトンの為に、家事をする専業主婦やった。  後に聞いたのだが、オカンは元々結婚前に理髪店で働いていて、結婚後もそこで働くつもりやとオトンには言うていたらしいが、僕が知る限り、オカンのや

      • オトン。

         僕は2024年現在36歳になった。 働き盛りで、世間的には1番社会人として油が乗ってる頃なのかもしれない。  最近までパニック障害で1カ月以上仕事を休んでいて、ようやく働けるまで回復して、 今はちゃんとした復帰に向けて、リハビリとしてパートで雇用してもらっている。  週4日の勤務で何とか体調管理しながら仕事の感覚を取り戻している。 バリバリ働くという状態とは程遠い。  オトンと一緒に実家で暮らして、身の回りの世話をしながら働く。思ってたよりもしんどかった。オトンはトイレに

        • 時代の流れかな〜。

           今回はざっくりと僕の現在働いている施設の紹介をさせて頂こうかと思います。 介護施設といっても色々ありますし、同じ分類の施設でもそれぞれほんまに全く中は別やな〜と色々な施設で働いてきて実感しました。  特別養護老人ホーム。通称特養なんて呼ばれたりしますが、その中でも地域密着ユニット型というのがあります。 簡単にいうと、僕が元々施設介護を始めた施設は、従来型と言われてて、利用者様の受け入れ人数が多くて利用料金が安いというのが特徴です。  仕事は何より効率重視。言い方は悪いです

        はじめまして。パニック障害持ちのケアワーカーです。

          それでもなんとかやってます。

           最近になって、ようやくパニック障害の症状が治まり、やっとまた働けるようになったと思って、復職の相談をしに行った施設からの、 戦力外通告。覚悟はしてたから何とも思わなかったけど。「あ〜もう頼むからどっかでちゃんと働けや俺!!」と自分に腹が立つというか情け無いというか、、、。  そして、ここたったの数ヶ月で4回目の転職となった今回。もはや履歴書の職歴の欄ではおさまりきらないので、僕の履歴書と職務経歴書は虚実入り混じっています。    実家からチャリで10分程度の距離にある 特

          それでもなんとかやってます。

          ターニングポイント②

           寝たきりで、食事も食べられなくなった父親の在宅復帰は諦めて、僕は父親をマイホームの近くの病院に転院させた。 そして「オトンの事は俺が最期まで看取るんや。」と決意した。  オカンは施設に入って生活保護を受けている。老々介護で散々オトンを苦しめて、最後には全て僕に面倒事を押し付けられたという事もあり、オカンに対してはもう何も思わない。 主介護者は僕。唯一施設から連絡があるのは僕だけ。そして僕は施設に伝えてある。 「オカンが転倒しようが、怪我しようがどうしようが別に連絡はいらな

          ターニングポイント②

          ターニングポイント。

           約7年働いた施設を退職した。 色々あったが、今でもこの施設には感謝しているし、何より介護についてたくさんの事を学んで、僕の介護の技術や知識、経験はこの施設で学んだ事が全てのベースになっている。  だからこそ辞めるのは悩んだが、最終的な決め手は「近いうちにこの施設は破綻する。」と明確に感じたからだ。  正社員は年々辞め続けていき、反対に新しい職員は面接にすら来ない。パートさんも辞めていって7年間で正社員の数はかなり減った。  転職する際に利用した転職サイトの人にうちの施設

          ターニングポイント。

          なんとか復職。でも地獄。

           職場で上司にキレて、周りの職員にも 「もうやってられへんわ!辞めたるわ!!」と散々悪態をついていた僕は、妻にその日めちゃくちゃ怒られた。  元々その施設は、妻が正社員として働いており、僕との結婚をキッカケに退職して、数年後に今度は僕が正社員として働きだした。  そしてまた数年が経過し、僕が役職に就いていた頃に妻がパートとして職場復帰し、 同じ施設内で働く事となった。  現場では、時折顔を合わすものの基本的に仕事中はあまり関わらないような配置になるように、シフトは考慮されて

          なんとか復職。でも地獄。

          感情が抑えられへん。

           パニック障害になった後、後遺症というか、これまでとはネガティブに性格が変化するという事は、比較的よくある事だというデータがあるというのは、病気について自分なりに色々調べて知っていた。  ただ、実際に自分がそうなるとは思わなかった。僕は自分から申し出て降格したとはいえ、もと役職就きの正社員。そして既にベテランと呼ばれる程の年数働いており、他の職員よりも仕事が出来ていたし、やってきたと自負もあった。そして、休職明けの復帰。色々な優しい言葉を現場の職員の皆さんから掛けてもらって

          感情が抑えられへん。

          なんとか復帰したものの。

           重度のパニック障害と鬱病と診断されてから 結局僕は、その時3ヶ月もの間休職した。    実家で約2ヶ月の自宅療養と通院と服薬で症状はかなり落ち着いて、その間に妻とも色々話合った結果、僕はマイホームには戻らずに、その近くのハイツで一人暮らしをする事にした。 家庭内別居から、本格的に別居する事になったのだ。  実際、別居してからは義母という1番不愉快な人間から離れて生活出来た事で、徐々にパニック障害も鬱も快復していった。  ただ、この時に思った。 なんで俺が出て行かなあかんね

          なんとか復帰したものの。

          僕の女性遍歴②

           この話はこれで終わりです。 童貞卒業から結婚に至るまで。歪んだ性活最終章でございます。  大学に進学した僕は、当時「ヤラハタ」という言葉を周りでよく耳にした。童貞を守り抜いて、無事に成人(20歳)を迎えた将来の魔法使い候補の事を「ヤらずにハタチ。」という略語で呼んでいた。いわば将来、ウィザードや大魔導士となる者達へと捧げられる栄誉だ。 もちろん僕はヤラハタになり、ホグワーツへの編入許可を得る事になる。  大学では、入学早々にラグビー部に入った。高校でまともにラグビーをす

          閑話休題。僕の女性遍歴。

          誰が興味あんねん!! とツッコミたくなるような事ですが、書かせて頂きますとも。何せ世の中には表現の自由という素晴らしい権利がありますから、興味のある方にだけ読んで頂ければ幸いです。  まずはじめに言わせて頂きたい。 人生には3回モテ期がある。というのは嘘であると思っている。それは、国民の平均所得のようなもので、高額納税者もいれば、様々な理由で生活保護受給して暮らしている人だっている。だから、平均なんてものは決して皆がそれに近いという事では無いという事で、この人生モテ期論には

          閑話休題。僕の女性遍歴。

          死にたい。

          パニック障害の発作は、人によって出る症状や、トリガー等が様々です。 一般的な症状は、ちょっとネットやらで調べるとすぐに出てくると思いますが、これはあくまでも僕の体験した症状です。 飛び込み営業をしていた頃に初めて発症したパニック障害でしたが、その後はすぐに症状が治まり、服薬も継続していませんでした。 きっとそれは、仕事のストレスそのものが強烈なトリガーだったので、パニック障害になってすぐに仕事を辞めた事で、トリガーが無くなり、早くに回復出来たのだと思います。 ただ、この時

          僕の親友紹介②

          1人目の紹介が思ったより長くなったんで、 ちょっと分けました。 2人目は、中学と高校が同じで、その頃に1番一緒に遊んでて、唯一結婚後妻に紹介して、僕の婚姻届の保証人にもなってくれたやつ。 彼との思い出はアホな事しか無い。高校1年生の時、遠足をサボって2人で生駒山にサイクリングに行ったり、高校3年になると4月の僕の18歳の誕生日がきたその日から、僕の会員証でほぼ毎週のように制服のままTSUTAYAでアダルトDVDをレンタルしに行っていた。 毎週毎回2人分のエロDVDを借りるも

          僕の親友紹介。①

          今日はやたらと無性に何か頭の中のモヤモヤやら色々と吐き出したい気持ちでいっぱいです。 なので、連続投稿です。 僕には親友と呼べる人間が4人いてます。 相手がどない思ってるかなんて聞けへんし、ほんまのとこ分からへんけど、少なくとも僕は、今から紹介する4人の事を絶対に裏切ったりする事は無いし、向こうも僕を裏切ったりする事は無いと心から思ってます。 まずは、1人目 こいつとは幼稚園、小学校、中学校、高校、そして一時期バイト先も同じやったという1番付き合いの長い相手。そして誕生日

          閑話休題。僕の現状。

          2024年3月1日。その日に僕は今の職場での仕事が始まった。 僕は父親と実家に帰って、父親の介護認定の更新手続きやら、ケアマネとのケアプランの打ち合わせ。止めていた電気、ガス、水道の利用再開や口座振り込みの手続きに、役所関係、介護の手続き関係の書類の処理。自分の引越しやら、父親が入所していた老健から自宅までの送迎等を全てほぼ1人でやった。そんな中で転職活動をして、新しい職場で働き始める事となった。新しい職場での仕事。長年離れていた地元で、要介護状態で日常の世話が必要な父親と

          閑話休題。僕の現状。