パニックケアワーカー

パニック障害と向き合いながら、介護職をしています。既婚者で、子どももいますが別居してい…

パニックケアワーカー

パニック障害と向き合いながら、介護職をしています。既婚者で、子どももいますが別居しています。 二世帯住宅のマイホームを建てたものの、義母と折り合いがつかずに、パニック障害と鬱を発症。その後は別居。現在は自宅に戻って要介護2の父親の身の回りの世話をしています。

最近の記事

諦めた

義母と喧嘩してからも、二世帯住宅を建てるという話は進んでいった。 僕が拒否してるのは明白だったが、妻と義母の中ではもうそれで決まっていたのだろう。 それで、ある日僕は妻と2人で知り合いに紹介してもらったハウスメーカーに相談に行くと、なかなかに良い条件の提案をしてくれて、僕も妻も納得してそこにお願いしたいという事を義母に伝えると、義母は拗ねてキレだした。 その事をキッカケに僕は、最終的に僕の出した条件だけ満たしてくれたらどうでも良いわと伝えて家の事は完全に妻と義母に丸投げした

    • 二世帯住宅

      介護職に就いて、ようやく腰を据えて働ける環境に落ち着き、役職まで頂いた。 そんな頃に、妻と義理の母からある提案をされた。「うちの実家を建て替えてその土地に二世帯住宅建てて同居してくれへん?」と。 元々は妻の希望で、妻の地元に引っ越してきており、いつかはそうなるかもしれないなとは思っていたし、義母とも特に仲も悪く無かったのし、何より土地代無しにマイホームを持てるというメリットを感じた僕は、いくつか条件を出した上で了承した。 その条件は『自分が引きこもれる部屋を必ず作る事。

      • 天職やと思って働いた。

        皆様いつもスキありがとうございます😊 稚拙で、文体もぐだぐだな自分の頭の中の整理みたいなものですが、こうして何かで繋がれている事に喜びを感じます‼️😂 介護の仕事は順調そのものだった。どんどん仕事を覚えていき、他の職員ともすぐ仲良くなって、何より利用者の方々を愛おしく感じられて、これまで経験した事の無い充実感を感じて働いていた。 懸念としていた排泄介助も、いつしか慣れていき、妻が言っていた言葉も理解した。 それに何より、業務には決まり事やタイムスケジュールは意識して動かな

        • 介護やってみよう!⑤

          今回で研修期間の思い出は最後の投稿となります。稚拙な文章を読んでくださっている皆様には心より感謝しています。 ※今回の投稿は、人によっては不快な内容も含みます。 配属が決まっている3階での研修は、ほぼ実践で始まった。大体新人が入ると噂はすぐに広がるもので「経験者やんね?」「○○さんの旦那さんやんね?」等、色々と僕の情報を聞いてきてくれて、コミュニケーションは円滑にとれてとても働きやすい環境だった。 ただ、デイサービスで働いていた情報はどこで聞いたか知らないが、残念ながら

          介護やってみよう!④

          デイサービスでの長い長いコミュニケーション中心の研修が終わると、次は本格的に療養棟、いわゆる世間一般のイメージする『介護』の 現場での研修が始まった。 当時、2階は満床で60名。 3階は満床で40名の利用者様が入所出来る居室数があり、入社以外にもショートステイでの利用等も積極的に受け入れていた。 懐かしいコロナ禍の前の話である。 配属先は3階という事で、まずは2階のフロアにて1週間の研修となった。ここで僕は、特養の人間関係の難しさを痛感する事となったのだ。 施設で働く職

          介護やってみよう!④

          介護やってみよう!③

          あっという間に座学研修が終わって、実際に 現場での実技研修が始まった。 今思えば、あの当時は今に比べて職員の数も多くて手厚く色々教えてもらえたんやなぁと 最近になって思う。 まずはデイサービスで1週間研修。 既にこの段階で「パニック君は3階に配属やからね〜。」と言われていたので、その階以外の 研修は正直「とりあえず言われた事やっといたら言いか。」位の気楽さで過ごしていた。 そしてデイサービスでの研修は、基本的に利用者の方々の自宅への送迎に一緒に行き、他の職員にその都度指

          介護やってみよう!③

          介護やってみよう!②

          初出勤。同日に同期入職がいると聞いていたが、その日に初めて顔合わせをした。 話を聞けば、高卒で施設で働いている子の友達という事で、まだ大学生ながらパートとして働くという事らしかった。20歳の男の子。 いかにもチャラいな〜というのが第一印象だったが、意外と礼儀正しくてお互いに縁故採用という事もあってすぐに仲良くなった。 そして新人オリエンテーションで、施設についての説明や、基本的な介護の知識についての研修からはじまり、施設長からのマナーについての研修や、看護師からの医療の知

          介護やってみよう!②

          介護やってみよう!

          仕事を続ける自信も無くして、パニック障害という持病まで抱えてしまった僕は、妻からの 一言で介護の仕事を改めてやってみようと 思う事が出来た。 リハビリデイサービスでの楽しかった記憶があり、その後に結婚して妻の地元で一緒に住み始めた頃にも施設での介護の仕事を勧められていたのだが、その時は正直、排泄物の処理や認知症の人への対応が出来る気がしなかった。 それで他職種を選んだが、30歳を目前にしてそろそろ何か手に職をつけて落ち着きたいという気持ち。 そして「誰でもやったら出来るから

          介護やってみよう!

          僕の家庭環境。

          僕は今、要介護2の75歳の父親と実家で 2人暮らしをしています。 父親は去年の9月に自宅で倒れており、僕がそれを発見してすぐに救急車で病院に運ばれました。発見した時は、意識は朦朧としていて、僕の事も分からず、尿も便も垂れ流していて、顔とお腹にひどい褥瘡が出来ていました。 極度の脱水状態とコロナに感染していました。 そこから奇跡的に回復して、本人が自宅に帰りたいと言ったので今に至ります。 マイホームと実家から車で約1時間半程の距離のところにありますが、実はこうして別居する

          復職の怖さ。その時の心理

          パニック障害による発作。 いわゆるパニック発作のトリガーはほんまに いつ何がきっかけで起こるのか自分でも よく分からないし、もちろん医師の方にも ハッキリとは分かりません。 ただ僕は職場復帰を希望し、クリニックの 先生からの診断書を書いてもらいました。 施設にその診断書を提出し、復職についての話し合いの時間を作って頂きました。

          有料
          300

          復職の怖さ。その時の心理

          休職

          さてまた話は飛びますが、 僕は今は休職しています。 またパニック障害が再発して、転職したての 施設で約1ヶ月休んでいます。 試用期間なので、正確にはただの欠勤ですよね。 そう、今も実は働けて無いんですよね。 パニック障害。ほんまにこいつは気まぐれなやつで僕に断りもなく、前触れもなく、 いきなり襲ってくるので、ほんまに厄介な やつと付き合う事になったなぁと しみじみ感じています。

          仕事何やったら続くんかな?って悩んだ結果。

          当時29歳。 30歳を目前にして仕事も色々転々としてきて、僕は自信も無くなってた。 パニック障害と鬱病は幸いにも、飛び込み営業の仕事を辞めたらすぐに回復して、1ヶ月程度で落ち着いた。不幸中の幸いにも服薬で発作そのものも日常では起きないまでに回復した。 そうすると、今度は仕事の事をちゃんと考えて焦ってきた。自分が続けられる仕事はなんやろう? そう思った時にまず思い出したのは、 リハビリデイサービスでの経験。 もし、あの時に安定した給料が貰えていれば続けていたやろうな。そう思

          仕事何やったら続くんかな?って悩んだ結果。

          閑話休題。実は僕、借金もあるんです!!

          ちょっと話は変わりますけど、父親と現在2人暮らし。父親はもう自分で金銭管理出来ないので僕がやっています。 父親の退職金の貯金は大体4年制の大学の入学から卒業までの授業料払うのにちょっと足りない程度の額がありました。 僕はというと、結婚してから妻に給料の振り込みの口座のキャッシュカードを渡していてお小遣い制やったので、個人でまともに貯金なんてありませんでした。 そして僕は考えました。 「オトンの貯金をどないかして増やす方法は無いんやろか?」 色々と気心しれた知り合いに相談

          閑話休題。実は僕、借金もあるんです!!

          僕の履歴書③

          いくら大好きでやりがいある仕事でも手取り10万円では結婚出来へん。 「とにかく稼がなあかん。」それが僕の転職失敗して転々とする大きな理由になりました。 以下は簡潔にまとめていきます。 ⚪︎土方(地盤改良工事)の営業 一応営業採用でしたけど、ほとんどは現場で普通に土方してました。 そんな中で営業車を運転中に人身事故を起こしてしまって、試用期間中に退職。 ⚪︎警備員 これはもう半ばやけですね。とにかく給料良くて誰でも出来そうって理由で、難波駅の施設の警備員してました。ただ、

          僕の履歴書②

          新卒で入った会社を3年足らずで辞めた僕は、当時25歳。やりたい仕事をやってみようとここで初めて自分のやりたい仕事という事を考えて、ようやく真面目に仕事を探してみました。 ⚪︎リハビリデイサービス 僕は実は元ラグビー部で、大学時代にフィットネスクラブのインストラクターのアルバイトをしていました。なのでトレーニングや筋肉の仕組み等の知識はそれなりにありましたし、誰かの役に立てると実感出来るのでは? そして何か楽しそう! そう思ってここで介護職の入り口に立ちました。 仕事内容

          僕の履歴書

          僕は色々な仕事を転々としてきました。 今の時代、転職でキャリアアップするのが当たり前? そんな良いものやない転職です。 名前を書けば誰でも入れると言われた地元で有名なアホな公立高校を卒業。 AO入試というよく分からない入試で、作文と面接だけで入った大学でも、何の資格も取得せずに卒業。 就職活動では、たまたま受かった会社に就職。こんな感じで僕の社会人としての生活は始まりました。 ⚪︎某パンメーカー 入社して1ヶ月で辞めたいと思ってました。 そして3年以内に40名近くい