なんとか復職。でも地獄。

 職場で上司にキレて、周りの職員にも
「もうやってられへんわ!辞めたるわ!!」と散々悪態をついていた僕は、妻にその日めちゃくちゃ怒られた。

 元々その施設は、妻が正社員として働いており、僕との結婚をキッカケに退職して、数年後に今度は僕が正社員として働きだした。
 そしてまた数年が経過し、僕が役職に就いていた頃に妻がパートとして職場復帰し、
同じ施設内で働く事となった。
 現場では、時折顔を合わすものの基本的に仕事中はあまり関わらないような配置になるように、シフトは考慮されていたが、それでも、僕のその日の態度や言動は当然ながら、即座に妻の耳にも届いたようだ。
 妻とも僕とも親しいパートさんが妻に「パニックさん辞めはるんですか??」と聞いてきて、事の詳細を妻が知ったのだ。

 「あんた、どれだけ周りに迷惑かけてると思ってんの!!
仕事も長い事休んで、それで復帰してあんな態度とって!大人としてあかんやろ!!
あんたのせいで私もどれだけ周りに気を遣ってたか知ってんの?!ちょっとは私の立場も考えて行動してや!!」と妻は激怒した。

 なんでお前に気を遣わなあかんのや。
僕はその時も、悪気も無ければ後悔も無く、
「どうでも良いわ。結局こいつ自分の事しか考えてへんやんけ。」と妻に対する謝罪の感情も、罪悪感も一切無かったものの、妻が言っている事も一理あるな〜ぐらいには思ったので、妻には謝り、数日後には改めて上司の都合の良い時間に直接謝罪にも行った。

 ただ、僕はどうしてもネガティブな感情が常に上回っていた。「なんで謝らなあかんねん。アホくさ。」と心底どうでも良かった。
ただ、辞めるにしても、きちんと自分の体調が戻ってから、そして次の職場が決まってからやなと思ったから、ひとまず続ける為に謝っただけだった。

 その後、徐々に体調は安定してきて、それとともにメンタルも落ち着いてきた。
それとともに、元々壊滅的に人手不足な現場だった事もあり、僕は復帰してから一悶着あったものの、しばらくしてから通常通り勤務形態に戻り、しっかりと復職を果たす事が出来た。

 基本的に介護施設での正社員は、変則シフトだ。曜日も時間も関係無く、年末年始ももちろん無い。早出、日勤、夜勤の三交代制のシフトで、当時働いていた施設はそこに加えて必ず残業をしないと業務が終わらないというレベルで人手が足りていなかった。なので、復職してから早い段階で、僕は変則シフトに戻っていた。

 復職し、元通りの働き方が出来るようにはなってきた。ようやく安定してきたものの、職場の環境はどんどん悪化していった。

 幸いにも、僕は仕事をこなす事には慣れてきていたし、人間関係も良好だったが、あまりにも職員が足りない為に、以前のようにどんどん僕に負担が回ってくるようになっていた。
 これはある日の例だが、シフトとは別に週間単位で業務分担表というのがその施設ではあった。その日、誰がどういうポジションで勤務をするのか、全体が把握出来るようにする為にそれは作られていたのだが、とある日曜日。
忘れもしない業務分担をされた。

 日曜日は元々、正社員でも主婦の方々には優先的に休みが配慮されていて、パートさんの出勤もほとんど無く、毎週日曜日の現場はもはや、施設と呼べるのか分からないレベルで破綻していた。それで、他の職員の休みとも重なって、どうしようも無かったのだろう。
その日僕は、絶対にありえない業務分担をされた。
(早出)パニック(日勤)パニック
(日勤後残業)パニック
同日に僕が3人いたのだ。
定時だと、早出は6:40〜15:00まで。
日勤は8:40〜17:00まで。日勤で勤務すると基本的に残業しないといけないので、残業は日勤後10分休憩を挟んで17:10〜20:00まで。
これが当時の僕の働いていた施設の就業時間の基本だった。まぁ、みんな現場が回らないので、時間よりもかなり早く来て働いていたり、日勤だけの場合でも自分の仕事が終わらないので定時で帰れる事は基本的にあり得ないし、その上に残業があるのだから、残業後に残務整理をする事が当たり前だった。

 その日僕のタイムカードの打刻時間は
出勤が5:30で退勤が21:00過ぎだったと思う。
休憩は、現場の状況を見て他の職員にはなるべくきちんと取って貰って、自分は行けそうな時に何度かタバコを吸いに行っただけだった。

 そんな勤務を組まざる得ない施設で働くうちに、また時折発作が起きて欠勤する日が出てきてしまった。過労とストレスがトリガーになっていたのだろう。

 復職して、安定して働けるようになった頃には仕事中は自分の感情をコントロール出来るようには戻ってきたが、以前よりも明らかにネガティブな感情が強くなった。
 「なんで俺ばっかりこんなに働かなあかんねん。」「なんであんなやつと俺の給料変わらんねん。」「俺の名義でローン組んだ家に俺が住まれへんとか意味わからん。」「クソ嫁腹立つ。」「義母(クソババァ)あいついつまで生きてんねん。早よ死○や。」
 もう何もかもやってられるかボケ。
そう思いながらも仕事中は必死に仕事して、
そしたらまた、時折パニック発作で仕事を休まざるを得なくなる。
 そんな日々を繰り返していた。

 過酷な労働環境に、不愉快な生活環境。
そして僕は復職してから約3年程悩みに悩んで、何度も信頼している上司や妻にも相談し、転職して別の施設で働く事にした。

 その頃にはようやくパニック発作は服薬で
完全に治まってくれており、服薬の量も1日2回で、朝と夕に1錠ずつまで減薬出来ていて、発作も出なくなっていた。自分の中では「薬は飲んでるけど、もう治ったようなもんや!」と
思えるまでになっていた。

 結局は、この転職をキッカケに僕は再び
人生の歯車が狂ってしまったのだ。

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